アッサラーム夜想曲
第2部:シャイターンの花嫁 - 10 -
「殿下、お背中を流しましょうか?」
「えっ!? いや、平気です」
「ですが、歩かれるのもお辛そうですし……」
「ありがとう、でも平気です。あ、そうだ。お風呂を出たら、ご飯食べたい。いいですか?」
「かしこまりました。お部屋に運ばせていただきます。お着替えを置いておきますので、お召しになりましたらお戻りください。外に傍仕えがおりますので、ご不便がありましたら、何なりとお申しつけくださいませ」
「はい、ありがとうございます……」
曇り硝子の引き戸が閉まるのを見届けると、思わずため息をついた。光希の身の回りの世話が彼の仕事だと判っていても、一般家庭育ちの身としては、
それに、この身体を見られるのはちょっと……
見れば身体のあちこちに赤い跡が残っている。全てジュリアスにつけられたものだ。無垢な少年の目に晒してはいけない気がする。
木椅子に腰かけると、太ももの際どいところに跡を見つけてしまい、思わず呻き声が漏れた。
(うわぁ、こんなところにまで……)
昨夜はまだ陽も明るいうちから情事に
疲れ果てて意識が途切れてもジュリアスは光希を離さなかったし、光希も盛り上がった気分のまま、目が醒めれば再び身体を繋げた。
夜が更ける頃にようやく軽食をとったが、寝台に入ると口づけを交わしてそのまま……
『
どうにか入浴を終えて私室に戻ると、ナフィーサは可憐な笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。テラスに昼食のご用意ができております。どうぞこちらにいらしてください」
当然のように、ナフィーサは手を差し伸べた。光希より、よほど可憐で華奢な少年の手を見て、どうしたものか躊躇い……よろめいた。
「殿下! 危のうございます。さ、お手をどうぞ」
「ありがとう……でも平気です」
差し出された手を避けて歩き出すと、ナフィーサは傷ついたような顔をした。そんな
「あ、ありがとう! 嬉しいよ」
取り繕うように笑みを貼りつけて、華奢な掌に己の手を重ねる。ナフィーサの安堵した表情を見ると、正しい判断だったようだ。
「遠慮はいりません。さ、足元にお気をつけて」
テラスに連れ出され、大きな日傘の下、絨緞の上に案内された。
瞬く間に、彩色の良い果物や野菜、熱々の鳥肉の香草焼が運ばれてきた。給仕する召使達の中で、ナフィーサは誰よりも年若いが、臆せず指示する様は堂に入っている。光希よりも大人びて見えるくらいだ。
綺麗な少年を観察しながら黙々と食べていると、空の杯に気づくや、ナフィーサは檸檬水を注いでくれた。
「ありがとう。ナフィーサ、昼食はもう済ませた?」
「お気遣いありがとうございます、殿下。私は後ほどいただきますから、お気になさらず」
「いっぱいあるし、一緒にいかがですか?」
「いえ、めっそうもございません。そのお気持ちだけで十分でございます。ありがとうございます、殿下」
礼儀正しい少年は、きっちり腰を折って頭を下げた。綺麗な仕草に感心しつつ、気になっていたことを口にした。
「その……殿下って、いわないと駄目なの?」
「……といいますと?」
ナフィーサは不思議そうに首を傾げた。
「でもそうか……僕の、
「御名をお呼びできるのは、シャイターンだけでございます。ですから、私を含め他の者は、敬称でお呼びさせていただいております。お気に触りましたか?」
心配げに訊ねられて、すぐに応えなくてはと思うが、一瞬懐かしい記憶が蘇った。
学校の友達や、家族からは当たり前のように“光希”と呼ばれていた。他には“こーちゃん”とか……
頭を軽く振って、
「いいえ、平気です。変なことをいってすみません」
不安そうにしているナフィーサを見つめて、光希は安心させるようにほほえんだ。