アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 3 -

 光希は少年の腕の中で、借りてきた猫のようにじっとしていた。恥ずかしいことこの上ないが、人の体温とは暖かいものだ……
 厚布のおかげで外気が遮断されて、余計に人肌を温く感じる。濡れた服は気持ち悪かったが、人肌に馴染んで温まるうちに気にならなくなってきた。

「……あの、do you speak english?」

「******、************、******」

 やはり英語は通じない。何をいわれているのか、全然判らない。
 これは現実なのだろうか? 何だってこんなところにいるのか、全くもって理解不能だ。
 あの硝子瓶を洗っている最中に、何か事故でも起きたのだろうか?
 水道管が破裂したか、或いは地震でも起きて頭を強く打ったか。実は光希は倒れていて、これは夢だったりしないだろうか?

「すげーリアルだけど……」

 ぶつぶつ呟いていると、顔を覗き込まれた。じっと見つめられて、光希もおずおずと青い瞳を覗きこんだ。夜闇の中でも、神秘的な瞳は仄かな光彩を放っている。
 硝子瓶を覗いた時も思ったけれど、なんて綺麗な人なのだろう。同性でも思わず赤面してしまうほどの完璧な美貌だ。神々しいとは、彼のことをいうのだろう。

「******……************」

 意味は判らないが、穏やかで少し低い声は耳に心地いい。ずっと、囁くような優しい口調で話しかけてくれている。
 彼は溺れかけている光希を見て、迷わず飛びこんで助けてくれた。火を熾してくれて、今も布で包んで温めてくれている……
 何でこんな事態になったのかは判らないが、これだけは判る。彼が傍にいてくれて、本当に良かった。

「助けてくれて、本当にありがとう。貴方がいなかったら、俺は死んでいたかもしれない」

「*****」

「ごめん、言葉判らない……俺は、桧山光希っていうんだ。桧山、光希、桧山、光希だよ」

「ヒヤマ」

「そう! 桧山、光希」

「ヒヤマ、コーキ」

「貴方の名前は?」

 光希は少年に指を向けて問いかけた。

「ジュ**ス・*ーン・****ーン」

 半分以上聞き取れなかった。

「ごめん、もう一度。ジュ……ス?何?」

「ジュリ*ス・*ーン・シャ***ーン」

「ジュリ……?」

「ジュリ*ス・*ーン・シャ***ーン」

「ジュリ、アス……??」

 何度か繰り返してくれたが、全部の音を拾うのは無理そうだ。焦りが顔に出たのか、彼の方から妥協してくれた。

「――ジュリ」

「ジュリ!」

 二文字ならいえる。思わずガッツポーズをする光希を見て、ジュリアスは小さく笑った。初めて見る彼の笑顔は、思わずドキッとするくらい魅力的だった。

「***、ヒヤマ、コーキ、*********」

「あのさ、俺、硝子瓶の向こうからジュリが見えた……これが夢じゃないなら、俺は一瞬で地球からここに移動したのかもしれない。地球があんなに大きく見えるから、位置的に考えてここは月だったりする?」

 反応を待ってみたが、彼の表情は少しも変わらない。凪いだ青い瞳で見つめ返すばかり。

「言葉、判らないもんね……でもさ、ここにこれたってことは、戻れるはずだよ」

 あの不思議な硝子瓶の出所を、どうしても思い出せない。大掃除していたら出てきたのだ。
 最初はただの硝子瓶に見えたのに、湯をかけた途端にきらきらと輝き出した。
 その後は……よく判らない。
 なぜか冷たい泉の中で溺れていた。あの泉にもう一回飛びこんだら、元に戻れるだろうか?