アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 28 -

 真っ直ぐ、ジュリアスだけを見つめて砂の上を歩く。
 光希に気づいた兵士達は道を譲り、ある者は杯を掲げ、ある者は胸に手を当てて跪いた。
 酔いの回った赤ら顔の男達は、光希を宴を盛り上げにきた踊り子とでも勘違いしたのか、はやし立てるように口笛を吹いた。それを傍らの兵士がたしなめている。
 素足で舞っていた女達は、踊りを止めて砂の上に跪いた。
 楽士達も演奏を止めて同じように跪く。音が消えて辺りがしんと静まると、天幕に籠っていた兵士達も訝しげに顔を覗かせ始めた。
 光希がやぐらの前で足を止めると、ジュリアスは蠱惑的な笑みを浮かべて手を差し伸べた。傍に侍っていた女達は、場所を譲るように左右の階段から櫓を降りていく。
 傍へ寄って良いものか迷っていると、ジュリアスにもう一度手招かれた。

「コーキ、こちらへ」

「ジュリ……」

 おずおずと櫓に上がり、ジュリアスの傍で胡坐を掻くと、力強い腕に腰を引き寄せられた。紗の上から強く唇を押しつけられ、酒精の匂いに嫌悪を覚えた。
 光希が顔を背けても、ジュリアスは何度も唇を寄せてくる。
 ひとしきりキスの雨を降らせた後、ようやく顔を離すと、光希を腕に抱いたまま立ち上がった。祝杯をあげるように杯を掲げ、兵士達を見渡す。

「ロザイン*****、********!」

「「「*****!」」」

 ジュリアスが叫ぶと、割れるような大喝采が起こった。
 それに応えるように、ジュリアスが腕を振り上げる。大地を揺るがす喝采と兵士達の興奮は更に昂った。冷淡なアルスランですら、拳を突き上げて叫んでいる。
 異様な熱気に包まれて、光希は一人茫然としていたが、ふと思い至った。
 もしかしたら、戦局がジュリアス達に大きく傾いたのかもしれない。
 数日前から夜でも爆音が響いていたけれど、今夜は不思議と静かだし、戦場の前線で乱痴気騒ぎをする余裕があるのだ。
 戦う必要も逃げる必要もなく、勝利が見えているのではないだろうか?
 砂漠に異国情緒に富んだ音楽が流れ出し、女達は指に通した打楽器を鳴らして踊り始めた。サーベルを高く掲げて舞う男もいる。
 ジュリアスはクッションにもたれかかりながら、光希の腰に腕を回して宴の様子を満足そうに眺めている。
 白磁の煙管きせるをふかし、酒を飲みながら、悪戯に光希の顔や髪に口づける。甘ったるい女物の香水や、強い酒の匂いが不愉快でたまらない。
 しばらくすると、櫓を降りた女達が酒瓶を手に戻ってきた。ジュリアスと光希の傍に侍り、酌をし始める。
 光希が俯いて手元をじっと見つめていると、宝石のような青い双眸に顔を覗きこまれた。

「コーキ、*******?」

 あんなに会いたかったのに、今は口をきくのも嫌だった。
 伸ばされる手からつい逃げてしまう。光希がつれない態度を取ると、周囲の女達は忍び笑いを漏らした。
 周囲の目に、光希はどんな風に映っているのだろう?  酌をする女達のように、ジュリアスに侍る一人だと思われているのだろうか?
 衝動的に頭にかけられた紗に手をかけると、ジュリアスに腕を掴まれた。

「*****ません」

「……離してください」

「コーキ?」

「離してください」

 伸ばされる手を払いのけると、傍にいた美女が、甘えるようにジュリアスにしなを作った。ジュリアスはちらとも視線を向けなかったが、光希は胸を締めつけられるような切なさに襲われた。
 ジュリアスは美しい砂漠の王者だ。
 彼の傍に侍りたい女も男も、きっと腐るほどいるのだろう。見目麗しい女達に比べて、光希は平凡でちっぽけな子供でしかない。
 特異な出会いのおかげで、今はジュリアスの傍に置いてもらっているけれど、いつかは飽きられる。
 媚びるような視線を向けても、見向きもされない女。あれは、そう遠くない未来の自分の姿だ――
 そう思うと、紗を取ることを許されないのも、平凡な顔を晒して欲しくないからでは、と悲観的な考えが浮かんだ。女を真似て化粧したところで、光希は冴えない男でしかない。
 悄然と俯く光希を、ジュリアスは気遣わしげに覗きこみ、労わるように抱き寄せた。素直にもたれかかれず、距離を置こうとすれば、強引に抱き寄せられた。

「どうかした? コーキ……*****」

『ジュリには判らないよ』

「泣かないで」

『泣いてねーし』

「コーキ……」

『何で、好きだなんていったの? 期待しちゃうじゃん。一緒にいる自信なんてないのに……』

「****、何を*****? 私は****コーキが好きだよ」

 ジュリアスは少し身体を離すと、紗の上から光希の頬を包みこんだ。青い炎のような双眸を見上げるうちに、視界がぼやけた。

『俺は、ジュリが好きだよ。でも……ジュリは本当はどう思ってんの? 女じゃねーし、チビだし、言葉も不自由だし……ちょろいって思ってんだろ? 俺はお前のハーレムに加わるのはご免だぜ。ふざけんなよ、心配してたのに。俺にあんなことしておいて、酒飲んで女侍らせて何してんだよ。人にこんな恰好までさせて、てめーは何様のつもりだ』

 紗を被っていて良かった。涙が零れても、見えないだろうから。

「ごめんね、コーキ……********。シィー……泣かないで」

 ジュリアスはあやすように光希を抱き寄せた。彼に腹を立てて泣いているのに、優しくされると甘えたくなってしまう。
 いっそ背を向けて走り去れたら爽快なのに。毅然きぜんと立ち去る光希を、ジュリアスが泣いて縋って追いかければいいのに。
 八つ当たり気味に妄想をしていると、腰に腕を回されて立ち上がるように促された。
 ざわめく気配がしたが、泣いていることを知られたくなくて、ずっと顔を伏せていた。