アッサラーム夜想曲
第1部:あなたは私の運命 - 27 -
もう五日、ジュリアスの顔を見ていない。
戦場に何か起きたようで、数日前から空も大地も鳴動している。光希が天幕で一人眠っていると、不穏な地響きに目を醒ますことが何度かあった。早鐘を打つ心臓を押さえながら、ジュリアスの安否を祈った。
不安で堪らない。ジュリアスは無事なのだろうか?
扉の外には昼夜を問わず、必ずジャファールかアルスランのどちらかがいる。ジュリアスのこと頻繁に訊ねるうちに、ジャファールはともかく、アルスランには適当にあしらわれるようになった。言葉は判らなくても、悪口をいわれていると何となく判る。
身の回りの世話は、毎日同じ召使がしてくれる。女達は心優しく、光希に一生懸命仕えてくれるが、殆ど会話をしてくれない。いつでも数歩下がったところで跪いて、こちらが言葉をかけるまで何もいわない。声をかけても、最小限の会話で終わってしまう。
鬱々とした軟禁生活が続いた。
その日、空は朝から仄暗く染まり、遠くの砂漠で幾つも火柱が上がった。
耳を聾 する轟音が響き渡り、大地を揺るがす。天幕の中にいても、恐ろしげな振動が伝わってきた。
この戦争、ジュリアス達は優勢なのだろうか? それとも劣勢なのだろうか?
彼が無事ならもう何でもいい、無事な姿を一目見たい。オアシスで過ごした穏やかな夜を、遠い昔のように感じる。
夜になり、ようやく地響きは止んだ。
光希は夕食後、不自然な酩酊感に参って、寝台の上で倒れていた。やけに身体が熱い。
あの夜と同じ……
食後に出された、とろりとした甘い飲み物。あれを飲んでから、身体が熱くて思考がはっきりしない。
扉を開く音に顔をあげると、召使達がぞろぞろと壺や小箱を抱えてやってきた。
「ロザイン***シャイターン。****湯浴みを****、お召し物は*****」
「ジュリアスがここへ?」
光希は期待に目を輝かせながら、指で床をさした。今夜は久しぶりにここへくるのだろうか?
ところが、召使達は曖昧に首を振る。
よく判らないまま、力の入らない身体を支えられて浴槽に連れていかれた。恐怖が蘇り、逃げようとしたが、相変わらず力のある女達に身体を押さえられて、爪の先から指の合間まで磨かれた。
尻穴まで綺麗に洗浄されて、甘い香りの香油で揉み解される。この先の展開を想像して、羞恥と恐怖で涙が滲んだ。
あの夜のように、ジュリアスに触れられるのだろうか。
光希が震えている間も、女達は手を休めずに支度を続けた。
髪を整えて繊細な額飾りをつけながら、光希の平たい顔に薄化粧を施し紅を引く。
薄い紗で胸を巻かれ、涙滴 型の銀細工が無数についた、絹の衣装を着せられた。身じろぐ度にシャラシャラと涼やかな音が鳴る。まるで異国の踊り子のようだ。
入念に着飾ったが、最後に足首まで覆う毛皮のついた外套を着せられ、頭から紗をかけられた。少しも肌が見えない。
女達は光希の手を取り、扉の外へと連れ出した。外へ出ると、今度はアルスランに手を引かれて歩かされた。
この恰好は最悪だ。視界は悪いし、着飾りすぎて重い。歩き辛くて敵わない。
「アルスラン……」
天幕の外へ連れ出された理由が判らず、光希は戸惑いながら呼びかけた。
「ロザイン***、シャイターンが****います」
「ジュリ?」
「はい、*****。シャイターンに****」
これからジュリアスに会えるのだろうか?
光希は周囲に視線を走らせた。しかし頭にかけられた紗のせいで視界が悪い。取ってしまおうかと頭に手を伸ばすと、アルスランに止められた。
「顔を*****ません」
「何?」
なぜ顔を見せてはいけないのだろう? 視線で問いかけたが、アルスランは黙々と歩くばかりで、問いかけには応えてくれそうにない。
諦めて周囲に視線を移すと、野営地の奥の方に、大きな焚火が見えた。近づくにつれて、愉しげな哄笑 や、歌声が聴こえてくる。野太い男の声が多いが、女性の笑い声も聴こえる。
もしかして、あそこへ連れていかれるのだろうか?
ジュリアスには会いたいが、踊り子のような衣装を着ていると思うと、手放しで喜べない。
まさか、踊れといわれやしないだろうか?
それだけは無理だ。
冷や汗を掻いているうちに、焚火を囲む人の輪にたどり着いてしまった。皆、軍服を着崩して、豪快に酒を飲んでいる。
中には露出の激しい女性と熱烈なキスを交わしている者もいた。
唖然茫然……目を丸くしていると、近くの天幕が揺れて、情事を連想するような喘ぎ声が漏れ聴こえた。
(何だここは。戦場で乱交騒ぎでもしているのか?)
ジュリアスはすぐに見つかった。
一段高いところで絨緞の上にしどけなく寝そべり、酒を飲んでいる。左右に艶やかな美女達を侍らせて。
目の前が真っ暗になった。
もう一歩も近寄りたくなくて、その場で足を止めたが、アルスランに無情にも背中を押された。立ち止まっては背中を押される。
ジュリアスは光希を見て、優艶な笑みを浮かべた。今夜は一段と迫力がある。神秘的な青い燐光を纏うジュリアスは、この世のものとは思えぬ美しさだ。
「コーキ」
薄い紗では、射抜くような眼差しを防げない。
真っ直ぐに見つめられて手招かれると、強烈な怒りを覚えていても、足は自然に前へと踏み出した。
戦場に何か起きたようで、数日前から空も大地も鳴動している。光希が天幕で一人眠っていると、不穏な地響きに目を醒ますことが何度かあった。早鐘を打つ心臓を押さえながら、ジュリアスの安否を祈った。
不安で堪らない。ジュリアスは無事なのだろうか?
扉の外には昼夜を問わず、必ずジャファールかアルスランのどちらかがいる。ジュリアスのこと頻繁に訊ねるうちに、ジャファールはともかく、アルスランには適当にあしらわれるようになった。言葉は判らなくても、悪口をいわれていると何となく判る。
身の回りの世話は、毎日同じ召使がしてくれる。女達は心優しく、光希に一生懸命仕えてくれるが、殆ど会話をしてくれない。いつでも数歩下がったところで跪いて、こちらが言葉をかけるまで何もいわない。声をかけても、最小限の会話で終わってしまう。
鬱々とした軟禁生活が続いた。
その日、空は朝から仄暗く染まり、遠くの砂漠で幾つも火柱が上がった。
耳を
この戦争、ジュリアス達は優勢なのだろうか? それとも劣勢なのだろうか?
彼が無事ならもう何でもいい、無事な姿を一目見たい。オアシスで過ごした穏やかな夜を、遠い昔のように感じる。
夜になり、ようやく地響きは止んだ。
光希は夕食後、不自然な酩酊感に参って、寝台の上で倒れていた。やけに身体が熱い。
あの夜と同じ……
食後に出された、とろりとした甘い飲み物。あれを飲んでから、身体が熱くて思考がはっきりしない。
扉を開く音に顔をあげると、召使達がぞろぞろと壺や小箱を抱えてやってきた。
「ロザイン***シャイターン。****湯浴みを****、お召し物は*****」
「ジュリアスがここへ?」
光希は期待に目を輝かせながら、指で床をさした。今夜は久しぶりにここへくるのだろうか?
ところが、召使達は曖昧に首を振る。
よく判らないまま、力の入らない身体を支えられて浴槽に連れていかれた。恐怖が蘇り、逃げようとしたが、相変わらず力のある女達に身体を押さえられて、爪の先から指の合間まで磨かれた。
尻穴まで綺麗に洗浄されて、甘い香りの香油で揉み解される。この先の展開を想像して、羞恥と恐怖で涙が滲んだ。
あの夜のように、ジュリアスに触れられるのだろうか。
光希が震えている間も、女達は手を休めずに支度を続けた。
髪を整えて繊細な額飾りをつけながら、光希の平たい顔に薄化粧を施し紅を引く。
薄い紗で胸を巻かれ、
入念に着飾ったが、最後に足首まで覆う毛皮のついた外套を着せられ、頭から紗をかけられた。少しも肌が見えない。
女達は光希の手を取り、扉の外へと連れ出した。外へ出ると、今度はアルスランに手を引かれて歩かされた。
この恰好は最悪だ。視界は悪いし、着飾りすぎて重い。歩き辛くて敵わない。
「アルスラン……」
天幕の外へ連れ出された理由が判らず、光希は戸惑いながら呼びかけた。
「ロザイン***、シャイターンが****います」
「ジュリ?」
「はい、*****。シャイターンに****」
これからジュリアスに会えるのだろうか?
光希は周囲に視線を走らせた。しかし頭にかけられた紗のせいで視界が悪い。取ってしまおうかと頭に手を伸ばすと、アルスランに止められた。
「顔を*****ません」
「何?」
なぜ顔を見せてはいけないのだろう? 視線で問いかけたが、アルスランは黙々と歩くばかりで、問いかけには応えてくれそうにない。
諦めて周囲に視線を移すと、野営地の奥の方に、大きな焚火が見えた。近づくにつれて、愉しげな
もしかして、あそこへ連れていかれるのだろうか?
ジュリアスには会いたいが、踊り子のような衣装を着ていると思うと、手放しで喜べない。
まさか、踊れといわれやしないだろうか?
それだけは無理だ。
冷や汗を掻いているうちに、焚火を囲む人の輪にたどり着いてしまった。皆、軍服を着崩して、豪快に酒を飲んでいる。
中には露出の激しい女性と熱烈なキスを交わしている者もいた。
唖然茫然……目を丸くしていると、近くの天幕が揺れて、情事を連想するような喘ぎ声が漏れ聴こえた。
(何だここは。戦場で乱交騒ぎでもしているのか?)
ジュリアスはすぐに見つかった。
一段高いところで絨緞の上にしどけなく寝そべり、酒を飲んでいる。左右に艶やかな美女達を侍らせて。
目の前が真っ暗になった。
もう一歩も近寄りたくなくて、その場で足を止めたが、アルスランに無情にも背中を押された。立ち止まっては背中を押される。
ジュリアスは光希を見て、優艶な笑みを浮かべた。今夜は一段と迫力がある。神秘的な青い燐光を纏うジュリアスは、この世のものとは思えぬ美しさだ。
「コーキ」
薄い紗では、射抜くような眼差しを防げない。
真っ直ぐに見つめられて手招かれると、強烈な怒りを覚えていても、足は自然に前へと踏み出した。