超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

4章:新人類 - 1 -

 薄い冷光灯のした、広海は目を醒ました。
「……?」
 ぼんやりしていた思考から、霞が徐々に引いていく。
 どうやら、無機質な部屋の寝台に仰臥ぎょうがしているようだ。白い半袖の貫頭衣を着せられ、身体に毛布が掛けられている。腕に綿が張られていて、めくると小さな朱い点、注射痕があった。
(ここはどこだ? 病院?)
 横になったまま部屋を見回すと、スチール製の棚や机に、フラスコや電子顕微鏡や小型電子計算機といった器具がごちゃごちゃ陳列しており、病室というよりは研究室に見えた。
 壁にかけられた電子時計は、午前八時二十分を過ぎたところだ。
(八時……? 一日経っている?)
 広海は困惑しながら、起きあがった。
 足元に揃えて置かれているスリッパを履くと、淡緑色のスチールドアに向かった。
 鍵がかかっている。
 扉にそなえつけられた丸窓から覗くと、白い廊下が見えた。
「誰か、いませんか?」
 扉を叩いてしばらく待ってみたが反応がなく、仕方がなく寝台に戻って腰をおろした。
 どうしようか考えていると、廊下から足音が聴こえてきた。ドアが開くのを待っていると、間もなく医者と思しき白衣姿の男が入ってきた。
「お早う。良かった、目が醒めたんだね。体調はどうかな?」
 彼は、外見通りの穏やかな声でいった。
 四十路前後の、眼鏡をかけた柔和な雰囲気の男で、焦げ茶の髪に、レンズの奥から明るい色の瞳が笑みかけている。
 顔色が悪く、やつれた面差しをしているが、目は優しい。きっと、本来は明るい性質たちなのだろう。
(お医者さんだ)
 広海は安堵に胸を撫でおろしながら、大丈夫です、と頷き返した。
「あの、他の皆は?」
 白衣の男は、痛ましい表情になった。
「ここへ来たのは君ともう一人、谷山君だけだよ。輸送機に乗りこむ直前に戦闘が起きて、二人しか救出できなかったと聞いているよ」
「え……」
「覚えていないかい? 昨日の昼頃、君たちはここに運びこまれたんだ」
 不意に、ヘリに向かう途中の出来事が、断片的に脳裏を過ぎった。
「他に生存者がいないか、哨戒機が向かっているから、もしかしたら君の知り合いが見つかるかもしれない」
 男は励ますようにいったが、広海には聴こえていなかった。
 感染者と交戦になって、生存者が無事でいられるだろうか?
 ……少なくとも、レオは無事なはずだ。
 彼が死ぬわけがない。無敵なのだ。なのに、どうして一緒にいないのだろう?
「あの、僕の携帯……荷物を知りませんか?」
 男は済まなそうに首を振った。
「残念だけど、届いていないみたいだよ。服もぼろぼろだったみたいで、処分したそうだ」
「え、でも……」
 それじゃあ、どうやってレオに連絡をとればいいんだ?
 強烈な焦燥感に駆られて、広海は寝台を降りるなり、廊下へ飛びだした。
「広海君!」
 呼び止める声を無視して走ったが、大きな窓硝子のあるロビーにでると、思わず脚を止めた。
 そこから見える光景に、呆然となる。
 海上に滑走路と高速道路があり、重火器をもった大都守護部隊が歩哨している。
 その向こうに拡がるのは、際涯さいがいもない大海原だ。
 慌てて追いかけてきた男は、窓の向こうを眺める広海に気がついて、歩調を緩めた。隣に並ぶと、同じように外の景色を眺めた。
「驚いたかい?」
「……ここは、どこなんですか?」
「東京湾に浮かんでいる、大都守護部隊本部兼疾病対策センターだよ。海は陸より安全なんだ」
 彼の説明によると、ここは第ニ海ほたるとして建設中の、横須賀と南房総をつなぐ、海上人工島らしい。
 世界同時感染の影響で、海ほたるは壊滅したが、建設中の施設は完成間近にして人が殆どいなかったため、崩壊を免れたようだ。
 この巨大な人工パーキングエリアには、電気と水、ガスといったライフラインが敷かれていて、食料と宿泊施設も完備している。生存者による感染対策基地の一つとして運営しているらしい。
「続きは座って話そうか」
 促されて、広海はおとなしくロビーのテーブルに腰を落ち着けた。
 彼はコーヒーサーバーの前に立つと、広海を振り向いた。
「何がいい? カフェオレ、カプチーノ、ブラック」
「あ、カフェオレお願いします……すみません」
「気にしないで、関係者は自由に飲めるんだ」
 サーバーから独特の振動音が鳴り、間もなく、珈琲の良い香りが漂ってきた。
 それぞれブラックとカフェオレの入った紙コップを手に持って、彼は対面の椅子に座った。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。さて、と……僕は野上純一、ここで研究員をしているんだ」
 そういって野上は、頸からかけたネームカードを見せた。
 ――野上純一。四十ニ歳。疾病対策センター新薬開発チーム所属。
 そう書いてある。
 彼は、簡単な自己紹介をしてくれた。
 あの始まりの日、世界保健機関WHOの仕事でインドネシアにいたという。なんとか生き延びてここへ辿り着いたものの、千葉にいた妻子は既に感染していたという。
 それ依頼、研究チームの一員に加わり、新薬開発を続けているらしい。
 彼等は今、最新の試作品を試しているという。感染直後に投薬すれば、症状の遅延効果を確認できるところまで成果はでているそうだ。
 青褪めた顔で傾聴していた広海は、静かに訊ねた。
「感染者を元に戻すことは可能ですか?」
 野上はゆっくり頸を振った。これまでに何千回と繰り返してきたような、染みついた動作に見えた。
「残念ながら、百パーセントの感染者を治すことは不可能だ。死者を蘇らせることはできない。僕らの研究は、生存者に免疫を付与することなんだよ」
「インフルエンザの予防摂取みたいに?」
「そうだね」
 広海は黙りこんだ。実家の両親が思いだされて、暗澹あんたんたる思いを禁じ得なかった。
「君は、感染者に襲われないと聞いた。それは本当なのかい?」
 広海は驚いた。
「どうして知っているんですか?」
「調査報告書にそう書いてあったよ。渋谷から救難信号を送ってきた誰かが、生存者について一緒に報告してきたそうだよ」
 広海は黙りこんだ。
 救難信号を送ったのは、もしかして、谷山なのだろうか?
「……もし良ければ、本当かどうか、見せてもらってもいいかな?」
「見せる?」
「感染者を隔離している場所がある。安全は保障する。檻に入っていて、手だしはできない。そこへ近づいて、彼等の反応を見たい」
「感染者と対面するってことですか?」
「そうだね。武装兵が後ろに控えているし、君に危険はないと約束する」
 広海は、しばし頬を撫でて考えこんだ。やがて顔をあげると、
「それを証明できたら、僕の血からワクチンを作ることは可能でしょうか?」
 野上は、眼鏡の奥から感心したように視線をよこした。
「うん、可能性はあるよ。僕らの研究は今行き詰まっているんだ。広海君の協力があれば、突破口を見出せるかもしれない」
 広海は頷いた。
「僕も、作れたらいいなって、ずっと考えていたんです」
 野上が笑顔になる。広海は目に力をこめて頷いた。
「やってみます」
「ありがとう。必ず守るよ」
 野上は、安心させるように広海の肩に手を置いた。
「ここはもう安全だと判ってもらえていると思うが、どんな危険も、君に近寄らせないと約束するよ」
 あの、と広海は言葉を継いだ。
「友達を探してくれませんか? 彼はすごく強くて……死ぬはずがないんです。絶対に生きている。だけど、きっとあまり時間の猶予はないから」
 こんな説明で許されるか自信なかったけれど、野上は頷いた。
「哨戒機に伝えておくよ。友達の名前は?」
「神楽レオです」
「判った。もう少し話を訊いてもいいかな?」
 広海は頷くと、ここまでの経緯を、差し障りのない範囲で伝えた。広海とレオの体質変化のことには触れずにおいた。
 自分のことはともかく、レオのことを人に話すのは憚られた。野上は良い人そうだが、レオのことを知って、いらぬ関心を集めるのは避けた方がいいだろう。
「あの、谷山さんはどこにいるんですか?」
「別室で診断を受けているよ。ごめんね、外部からきた人間は、感染していないって確定するまで、メディカルチェックが必要なんだ」
 それは当然だろう、と広海は頷いた。彼等にしてみれば、命に関わる必須対策だ。
 広海は、ずっと不思議だったことを訊ねてみた。
「同時感染の日に起きた“銀鼠”は、自然現象なんですか?」
 野上は肩をすくめた。
「それに関しては、未だに妄想の域をでていないよ。高次元世界、或いは宇宙人の接触、異次元の扉が開いたという仮説もあれば、全てが偶然による、いわばランダム・ウォーク理論を展開している学者もいる。けど、今生存者に必要なのは真実ではなく、あれが数千万年に一度起こる――つまり再発しない自然現象だという政府の公言だからね」
「つまり……噂なんですか」
「そうだよ。突飛な筋書きだろうが、環境破壊による地球規模の汚染といった方が、まだ希望を持つことはできる」
「じゃぁ……結局、ゾンビってなんなんですかね」
「なんだろうねぇ……言葉自体は、西アフリカで生まれたもので、Zom'be、またはZOM-BIESと書くのだけれど。意味するところは、映画やゲームに登場するゾンビと同じで、歩く屍、生者を食らう屍者。ブードゥー教に関連する意味も持つけれどね」
「……なんで人間を食べるんだろう」
 野上は広海を見つめた。
「感染は、脳の神経回路に作用することが判っている。一部の例外・・・・・を除いて、殆どは退化するか、死に絶えるかのどちらかだ。不死者として蘇った人は、失った智識を取り戻したいのかもしれないね」
「……」
「彼等に関してはまだまだ謎が多すぎる。死んだあとにDNAが変化するなんて、もはや我々の知っている人間じゃない。宇宙人といわれた方が納得がいくよ」
「変化って?」
 野上は自分の脳を指差しながら、こう説明した。
「それこそ、基本的なホメオティック遺伝子から変化している。不死感染者は、心臓から血液を供給しない。脳幹が球根のような役割を担うんだ。ありえないけど、人と植物が融合したみたいにね」
 不意に、ゾンビのコロニーが脳裡に閃いた。
 彼等は最終的に、胞子を飛ばす菌株ストレインになる。最終形態が空気感染という凶悪さにこれまで意識が向いていたが、植物との融合といわれると、また別の奇妙さを覚える。
 野上の説明を反芻しながら、広海はある予感に襲われた。ずっと疑問を抱いてきたことだ。
「……僕も、人間じゃないかもしれません」
 野上は、勇気づけるように広海の肩を叩いた。
「君は全人類の希望だよ」