超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

3章:サヴァイヴァー - 10 -

 一月一日。百二十五日目。
 元旦の彼誰時かはたれどき
 広海は起きあがると、窓の向こうを見た。空は白み始めて、星の色はめかけている。
 レオはまだ眠っている。美しい寝顔……これが見納めかと思うと、重たい憂鬱と哀切の念がこみあげてくる。
 結局、レオと意見が対立したまま今日を迎えてしまった。
 五日前から放送は毎日流れている。
 聴こえてくる度に広海は説得を試みたが、結果は同じ。平行線のまま終わっていた。
 昨夜もそうだったが、レオは、いつものようにセックスに訴えようとはしなかった。
 会話が途切れると、思いつめたような、物憂げな表情を浮かべて、ただ広海を見つめていた。
 ……こうなることを、覚悟していたのだろうか。
 離れがたい気持に浸っていると、唐突に、レオは目を開けた。身を起こして膝を立てると、前髪をかきあげながら、じっっと広海を見つめてきた。
「いくの?」
「……はい。いきます」
 全身に緊張をみなぎらせて、広海は硬い声で告げた。
 答えを知っていたように、レオは膝の間に顔を埋めた。深く息を吐きだすと、諦めたように広海を見つめた。
「判った。俺もいく」
「え……」
 まじまじとレオの顔を見ると、彼は、気まずそうに視線を逸した。
「……ンだよ、文句あんのかよ」
「っ、まさか! 嬉しいです」
 前のめり気味に広海が答えると、レオは腕を伸ばして、広海を胸のなかに抱きしめた。
「相棒だろ。一人でいくなよ」
「うん……っ!」
 嬉しくて、広海も背中に両腕を回して、ぎゅっと抱きついた。
 当日ぎりぎりの決断であったが、意志統一さえできれば、二人の行動は早かった。
 すぐさま準備にとりかかり、着替え、水、靴、救急道具なんかをバックパックに詰めた。監視カメラや非常電源の動作確認も済ませる。
 こうなることを予期していたように、レオは菜園や屋上の片付けなんかも既に済ませていた。
 午前八時三十分。
 準備は整った。
 広海はいつもの安全メットに金属バッドだが、レオはサブマシンガンと精密ライフル、地雷に手榴弾、軍靴に仕込みナイフという完全武装である。
 十五階までエレベーターでおりて、そこから階段をおりていくと、自動機関銃の射程範囲外である十階の踊り場に、谷山らが集まっていた。
「おはよう~」
 二人がくることを知っていたかのように、谷山はひらひらと手を振ってきた。
 レオは、うんざりしたような顔になると、広海の腕を掴んで、一つ上の階に戻った。
 おもむろに宙に手を伸ばしたと思ったら、不可思議な大気の歪みのような、殆ど無色透明な防壁を張った。
 いつの間に、こんなことまでできるようになったのか?
 目を丸くする広海の前で、レオはサブマシンガンを抱えて、
「あいつらここで殺していい?」
 至極まじめな顔で訊いた。
 広海は蒼白になって首を振る。もちろんだめに決まっている。
「なんで? 俺が殺さなくたって、遅かれ早かれ、あいつら全員死ぬよ」
 確信の籠もった冷たい口調に怯みながら、広海はレオの胸に縋りついた。
「これも何かの縁ですよ。いけるなら皆で一緒に避難所にいきましょうよ!」
 レオは不快げに表情を歪めると、広海の腰を引き寄せた。逞しい腕のなかに囲いこまれる。
「お前は俺をなんだと思ってるんだ? なんのメリットがあって連中の面倒を見なけりゃいけないんだ?」
「でも……」
 広海が弱りきった顔で見つめると、ぐっとレオは言葉に詰まった。
「そうやって、俺を操ろうたって……」
 レオは、広海の唇に指で触れた。
 彼の葛藤を後押しするように、広海が背伸びをして唇を近づけると、レオは唸り声をあげた。金緑の瞳に、剣呑な光が宿る。
「てめぇ、マジでいい加減にしろよ……っ」
 吐き捨てるようにいったあと、広海の唇を塞いだ。苛立ちをこめたキスは荒々しく、罰するように柔らかな唇の内側に、歯をたてる。
「ん、ふ」
 鼻から息が抜ける。あえかな声をあげる広海を、レオは貪る。顔を離したと思ったら、壁に押しつけて再び唇を塞いだ。
 長いキスが終わった時、二人とも息があがっていた。広海は、なすすべもなく、レオを見あげることしかできなかった。
 レオは、ぽってりと赤く腫れた広海の唇を親指で拭いながら、ため息を吐いた。
「……勝手についてくる分にはいいけど、守ったりはしない。襲われても無視する。それでいい?」
 広海は頷いた。
「お、俺も頑張ります」
 バッドを握りしめると、レオは目を瞬いて、額に唇を押しあてた。
「ロミは俺が守る」
 広海は朱くなりながら、レオの襟を引っ張って、額にキスを返した。
「俺もレオを守ります」
 するとレオは、吃驚びっくりしたような顔つきになり、ぱっと顔を離した。奇妙な沈黙が挟まり、視線を避けるようにして踵を返した。
「……いくぞ」
「はいっ」
 慌てて広海も追いかける。気のせいか判らないが、男らしい背中が照れているように見えた。
 下の階へ降りていくと、にぱっと谷山が笑った。
「相談終わったー? 避難所いくんでしょー? 一緒にいこうよ」
 相変わらず飄々ひょうひょうとしているが、友人の穂高は、不安そうにしている。
「避難所じゃなくて、収容所って噂を聞いたぞ。生存者も感染者も柵の中に放りこんで、人体実験しているとか」
 声には怯えと皮肉が籠もっていた。
「出鱈目じゃないの? そんな証拠はどこにも……」
 弱々しい春香の呟きは無視して、谷山はレオを見ていった。
「あそこまでどうやっていく?」
「正面突破」
 即答するレオの武装をじろじろと眺めたあと、次に広海を見て、谷山は小首を傾げた。
「広海クン、これ貸してあげようか?」
「えっ」
 と、谷山は自分の持っているもりをさしだそうとした。広海が返事をする前に、レオが振り向いた。目線だけで黙らせる。降参というように、谷山は手をあげると、にやっと笑ってみせた。
「レオ君がいれば、平気か?」
 そう思っているのは、谷山の方に見えた。これからゾンビの群れに突っ込もうとしているのに、不自然なほど平気な顔をしている。
 他の二人、穂高と春香は違う。緊張に青褪めた顔で、槍――棒の先に包丁を固定した武器を持っている。
 レオを先頭に一階まで降りると、物音を立てないように、あらかじめ設置してあるゾンビ避けのバリケードに身を顰めた。
「店の中と外、見える範囲にいるゾンビは消しておく」
 レオは屈みこむと、ライフルを組み立て始めた。
「マジ? 外って……五百メートルくらい離れてるけど」
 呆気にとられたように、谷山が小声で囁いた。
 レオは動じることなく、消音機をつけた銃身をバリケードから覗かせ、
「一〇五〇メートル。距離は少しあるけど、障害物は殆どない。風の抵抗に邪魔されにくいし、ここなら銃を固定できるから、狙撃に適してるんだよ」
 レーザー測距機のように的確な回答だった。
「命中させられんの? 相手は動き回ってるゾンビなんだぞ?」
「問題ねーよ。着弾まで一秒、動きが鈍い感染者ばっかだし、無防備な的を撃つようなものだ」
「本当かよ。マシンガン撃った方が早いんじゃないの?」
「それでもいいけど、音うるせぇから、他のゾンビを引きつけるぞ」
「ライフルはいいのかよ」
「新型のサイレンス・ライフルだ。射撃音はない」
「撃ったことあるのかよ?」
「性能を知っている」
「なんでー? ひょっとして、ミリタリー・オタク?」
「……」
 問答が面倒になり、レオは無視して照準を覗いた。
「おいおい、本当に撃つのかよ! こんな遠くから撃って、威力はあるのか?」
「四四マグナムよりな。もう黙ってろ」
 パスッパスッパスッ。
 乾いた音が立て続けに鳴り、店内、その外をふらついている感染者が膝からくずおれた。
「すげぇ……」
 谷山が惚けたようにつぶやいた。眉間を撃ち抜いたのだ。春香も頬を染めて、レオを見つめている。
「視界に映る範囲を片付けたら、一気に走るぞ」
 そういってレオは連続して引き金を絞り、引いた分だけ感染者が地面に転がった。
 数十発全てを命中させて、正面玄関前から感染者の姿が消え失せた。
 この時ばかりは、谷山も穂高も、畏敬の目でレオを見つめた。
 広海も興奮せずにはいられなかった。彼の凄さはよく知っているが、新たな感動と畏怖とを感じていた。
 憧憬しょうけいの眼差しに気がついたのか、レオは広海を見て、ふっと目を細める。
(ぅわ、超格好いい。惚れる……って、こんな時に何考えてんだ、俺)
 混乱して額を手で押さえる広海の頭を、レオはぽふっと撫でた。
「いくぞ」
「っ、はい!」
 レオを先頭に、全員で駆けだした。
 ばたばたと脚音が響いたが、追いかけてくる気配はない。はっはっと互いの息遣いだけが聞こえている。
 驚いたことに、他にも逃げてきた生存者が駆け寄ってきて、同じ方向を目指して走りだした。
 十人ほどいる。
 なかには小さな子供を抱えて走る母親がいて、広海は胸が熱くなるのを感じた。
(あんな小さな子も、まだ生きていたんだ)
 どうにか助かってほしいという気持で、彼女を気にしながら走った。
 このまま何事もなければ、指定ポイントに辿りつけるかもしれない――
 希望を見出した時、割れた窓から、ぼろぼろと落ちてくる感染者の群れにでくわした。
「なんでこんなところに!?」
 誰かが上擦った声で叫んだ。
 集まってきた生存者たちは、パニックに陥った。
 刹那!
 正面から武装した兵隊が駆けてきて、マシンガンを連射し始めた。耳をろうする射撃音と同時に、血飛沫、肉飛沫が降り注ぐ。
 対不死者専門に結成された最精鋭の大都守護部隊だ。全員が黒いフード付き防弾野営服に、ガスマスクを装着している。
 生存者たちは歓喜ともつかぬ喊声かんせいをあげた。援護射撃を受けて、それぞれ手に持った武器で応戦する。
「下がれッ!」
 兵隊の一人が怒鳴った。戦闘服を着ていても、鍛えあげられた体躯の持ち主であると判る。
 彼等は凄まじい勢いでバリケードを築き、迫りくるゾンビの大群に向かって、火炎手榴弾を放った。
 ドォンッ!
 轟然ごうぜんたる響きと共に焔が噴きあがる。周辺の感染者は木っ端微塵に吹き飛んだ。
 熱波と腐臭が押し寄せ、生きた人間は地べたに這いずり、息を喘がせた。
 ともかく助かった――思った瞬間に、目眩を覚えた。
 危険なまでに甘い匂い。
 逃げようと行動を起こすが、甘い匂いはいっそう強くなった。
 これはガスではない。強力な麻酔薬だ。
(なんで!?)
 逃げなくてはいけないのに……思考が霞んでいく。脳の機能が麻痺し、立ちあがった傍からがくりと膝をついた。足が鉛のように重い。
 白い靄が漂い、レオの姿が見えない。音も聴こえない。
 地面にくずおれたあと必死に藻掻いたが、数センチ這ったところで意識は曖昧模糊あいまいもこに霧散した。