超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

2章:エナジー・ドリンク - 8 -

 十月十八日。五十日目。
 依然として、世界は生ける屍者に支配されている。
 社会秩序は崩壊し、文明の波濤はとうの及ぶ区域に安全地帯はどこにもない。
 ただ、この頃になると有志によるコミュニティが幾つか誕生していた。
 池袋駅の東口もその一つだ。
 悪夢を生き延びた生存者が、商業ビル周辺に集まり、ふる九龍城砦くーろんじょうさいよろしく生活を営んでいる。
 通称ベース。
 ここには、喰料や日用雑貨、酒に煙草からLSD、マリファナといったありとあらゆる麻薬、PC、機器類、バイク部品、銃火器までなんでも揃っている。
 人材も豊富で、戦闘員や修理工、医師に美容師がいて、十歳にも満たない子供が煙草を吸い、女たちは粗末な小屋で売春している。
 活力に充ちた、したたかで、混沌こんとんとした無縁都市。
 もはや現金は意味をなさないので、ベースでは、物々交換で取引される。
 レオは、ここでバイクのメンテナンスをしたり、銃や弾丸を仕入れている。
 車庫や武器庫はコミュニティの信頼がある者しか近寄れないが、レオは依頼を請け負ううちに、ここでの信頼を勝ち得ていた。
 依頼とは、主にゾンビのコロニーの駆除である。放っておくと他のゾンビを集めてしまうため、特にベース近くにあるコロニーの駆除には、高額報酬が支払われるのだ。
 無論危険を伴う。規模にもよるが、駆除には武装戦闘員が三人から五人は必要で、なかには命を落とす者もいる。しかしレオは、単独で三回の駆除に成功していた。
 この日はまず車庫へいき、レオのバイクを見てもらうことにした。
 ガレージの奥では、オイルと焼けた鉄の匂いが入り混じり、冷光灯の代わりに青白いネオン管が唸っている。
 整備台にはスクラップから蘇ったマシンが無数に並び、義肢ぎしのように補修された外装が光を反射していた。
 レオの愛機も例外ではない。何度もカスタムを重ね、いまでは荒野航行用ハイブリッドバイクと呼んでも差し支えない代物だ。
 ほとんどのパーツはリビルド品か闇市場で調達したもので、フレームも、エンジンも、既に二回交換している。
 もはや当初の原型を留めていない、レオ専用の戦闘機械マシーンである。
「そういや、いいエンジンが手に入ったぜ。試験用ニトロ・ブーストだ。積んどくか?」
 バンダナを巻いた髭面の修理工が、口元をにやりと歪めた。
「お願いします。燃料タンクも拡張できますか?」
 レオが平然と答えると、修理工は一瞬、溶接面を持ちあげて目を丸くした。
「本気か? あれはレース仕様だ。オーバーヒートしたら事故るぞ」
「保険ですよ。いざという時の」
 レオは淡々と返した。
 彼等の会話を聞きながら、後ろに乗っていたら死ぬかもしれないな……不安を覚える広海だった。
 車庫にバイクを預けた二人は、仕上がりを待つ間に武器庫へ向かった。
 フェンス越しには電子ロックのゲート。両脇には、古いアサルトスーツを着た警備員が立っている。
 出入りには認証が必要だが、レオは顔パスで通る。広海もその隣にいるだけで、すでに関係者扱いだった。どの店を覗いても、警戒されることはない。
 金属の匂いと油の湿気に包まれた店内は、壁一面のラックに、旧式から改造モデルまで、銃と刃物が整然と並んでいる。
「軍仕様のデザートイーグル、五〇口径アクション・エキスプレス。改造済みだ」
 通称、店長がいった。四十過ぎのいかつい男で、屋内でも黒いサングラスをしている。強面だが面倒見はよく、周囲から慕われている。
 レオは弾倉だんそうと銃を受け取ると、慣れた動作で弾倉だんそうをパチッとはめ、滑らかな動作でスライドを引いた。問題がないことを確かめ、頷いてみせる。
「それから、注文されていたライフルな」
 そういって店長が机に置いたのは、ドイツ製H&K社の黒い銃だ。レオのひとみが少年のように輝いた。
「PSG-1だ。半自動の狙撃銃だけど、調整次第でドローンの装甲も抜けるんだぜ」
 彼は広海を振り向くと、少し弾んだ声でいった。
「旧世代のライフルだが、今でもこれに勝る精度の銃は少ないさ」
 渋い笑みで同意した店長だが、ふと真面目な顔つきになり、
「狙う時は脳幹のうかんを狙えよ。下手に頭を撃つと、死なないうえに凶暴化するからな」
 店長の言葉に、レオも真面目な顔で頷いた。
「了解。できればショットガンも欲しいな。頭ごと吹っ飛ばせば話は早い」
 銃を構える姿が様になっていて、広海は憧憬しょうけいのいりまじった目で見つめた。
 ゲームでは平気でも、現実世界では怖くて銃を撃てない広海と違って、レオは実戦でも傭兵みたいに強い。
 シャープな横顔に見惚れていると、視線を察知したレオが振り向いた。顔を寄せてきたと思ったら、不意打ちで、唇にちゅっとキスをされた。
「うぜェ、店のなかでイチャつくんじゃねーよ」
 朱くなりながら広海は謝ったが、レオは平然としている。
「ラブラブだね~」
 店長の隣で、アルバイトの小林がいった。
 広海はますます朱くなり、空気を変えるように咳払いをした。
「レオはすごいなぁ。よく銃を扱えますね」
 それには店長も同感のようで、不気味なものを見るような目をレオに向けた。
「お前、高校生って嘘だろ? 殺し屋の間違いなんじゃないのか」
「高校生ですよ」
「見えねぇなぁ……一応いっておくが、銃はいざって時の用心だからな。わざわざ倒しにいこうとしないで、なるべく危険は避けろよ……駆除もあんまり請け負うな。そのうち死ぬぞ」
 え~、と雑誌をめくっていた小林が口を挟んできた。
「レオ君めっちゃ強いし、いんじゃないッスかぁ? ってか、避けるのキツくないッスかぁ? 山奥や海上にいられるならまだしも、こっちは東京に閉じこめられてんのに~」
 軽い口調の、見た目も軽そうな二十四歳の元フリーターだが、割と真面目な性質で、一人で店番を任されたりもする男である。
「まーな……こうなると、日本は他の国に比べて圧倒的に不利だよな」
 店長は肩をすくめた。なんでですか? と広海が訊ねると、
「和平と安定、経済的な繁栄を長年むさぼってきた島国だ。危機感が足りてない。銃が蔓延しているアメリカや暴力に慣れた国に比べて、ゾンビに抵抗する手段が弱いからさ」
 と、装填そうてんする重々しい音が鳴る。三人の視線が、レオに集まった。
「……あいつは例外な」
 店長の言葉に、レオ以外の全員が頷いた。
 我関せず、レオは銃の調律について店長に話し始めた。熱心な様子を見ると、しばらくかかりそうだ。
 退屈し始めた広海に、親切な小林はモナカアイスを渡してくれた。広海は笑顔で礼をいうと、レオに声をかけてから、武器庫をでた。
 空は晴れ渡り、ひとかけらの雲もない完璧な青空が拡がっている。
 木陰でアイスを喰べていると、顔見知りの二人組が喰品倉庫からでてきた。ここで時々見かける顔ぶれで、そのうちの一人が広海を見とめて、手を振った。
「こんにちは、笹森君」
 丁寧で、教養が感じられる声だ。元塾講師の長浜である。広海は、愛想笑いを浮かべながら小首を傾げた。
「こんにちは、長浜さん、三島さん……牧野君は?」
 三島は肩をすくめた。続く言葉を予感して、広海の顔は強ばる。
「狩りにいった時に、ゾンビにやられた」
「……残念です」
 広海が視線を伏せると、しゃーない、と三島はあっけらかんといった。
「自業自得だよ。女のゾンビ捕まえて、人形にしようとかアホなことすっから、返り討ちにあってゾンビになるんだ。ばっかじゃねーの」
 その顛末てんまつは、広海も苦笑いを浮かべざるをえなかった。
 長浜は有名な塾の講師で、牧野は彼が教えている塾に通う生徒だった。三島は、塾の一階にある携帯会社の店員だった。
 牧野はお調子者で、三島とは反りがあわないようだったが、広海と同じ十六歳で、彼との気軽なおしゃべりが広海は嫌いではなかった。
「牧野君は殺人淫楽狂の気がありましたらね」
「しゃーない」
 と、長浜の言葉に三島は冷酷に相槌を打った。広海は気落ちしていたが、二人とも、牧野が感染したことに特別の感慨もなさそうだった。
 用事を終えたレオが、広海を見つけて近づいてきた。彼は長浜と三島を見て、小首を傾げた。
「ちわッス……牧野は? もしかして死んだ?」
 どこか期待の滲んだ声でレオは訊ねた。三島は自分の頭を指差し、クルクルパーを表現しながら、
「ゾンビになった」
「ふーん。ざまぁ」
 牧野を嫌っていたレオは、冷笑的に唇を歪めた。
 ……こんな会話が日常茶飯になってしまったのだから、世も末である。
 だが、広海も人のことはいえまい。悲惨な光景に見慣れてきてしまい、道端に血を流して息絶えている人を見ても、あまり哀しみが芽生えないのだ。
 それは広海に限った話ではなく、今も生き残っている人間は、PTSDを抱えながらも、サバイバル耐性を身につけつつあるはずだ。
 もしくは最初からこわれているか、運良くコミュニティに逃げこんだか、どこかに引きこもって、最後の時が訪れるのを俯瞰ふかんしていられる精神の持ち主だけだ。
 暴力が全面に押しだされたこの世界で、弱い者は生き残れない。
「ところで、何か躰に異変を感じたり……しますか?」
 言葉を選んで、広海は漠然ばくぜんとした質問を投げかけた。
「そりゃあるさ。物音に異常に敏感になっちまった。ちょっとでも揺れると、感染者が近くにいないか不安になるぜ。眠りも浅いし」
 と、三島。
「……ですよね」
 そういうことを訊きたいわけではなかったが、広海は否定せず、別のことを訊いてみた。
「南極に避難所ができるって噂、本当ですかね?」
「新世界ってやつ? そりゃ、南極までいけばゾンビもいないだろうけどよ、誰が、どうやっていくんだっつーの」
「ですよねぇ……はぁ~……無慈悲な世界だ」
「そうだね。ただ、我々にとっては無慈悲な世界であっても、広い視野で見れば、本当の平和が訪れるのかもしれないよ。自然を脅かす、人間の営みは全て消え失せる。戦争も、工場も、車も……あらゆる公害はなくなるだろうから」
 元塾講師の長浜は、穏やかな口調でいった。広海は控えめに相槌を打ったが、三島は鼻を鳴らした。
「知るかよ。地球温暖化も自然破壊も、今に始まった話じゃないだろ。なんで俺らがツケを払わないといけないんだ。完全に、とばっちりじゃねぇか」
「そうだね。だから無慈悲な世界なんていわれるのだろうね」
 三島は、大げさに頭を抱えて項垂うなだれてみせた。しかしすぐに、ぱっと顔をあげ、
「わからんぞ。もしかしたら、動物擁護ようご団体の陰謀いんぼうかもしれないぞ~」
「それで自分達が襲われていたら、元も子もないでしょ」
 と、呆れたように長浜。
「なにが無慈悲な世界だよ。人為的な理由に決まってる。どっかの国か機関が、バイオ・テロでも起こしたんだろう」
「驚異的致死率のウィルスが、人の手で開発されたって?」
 めずらしく長浜は、嘲笑の滲んだ口調で訊き返した。
「そうだよ。頭の螺子ねじの外れたどっかの科学者が、呪われたパンドラの箱を、我慢できずに開けちまったのさ」
「面白いね」
 そう言って長浜は、肩をすくめた。
「人の手で開発されたのなら、解毒方法もあるんじゃないでしょうか?」
 つい、広海は口を挟んだ。
「そんなものがあれば、都市が壊滅するかよォ」
「バイオ・テロだとしても、誰がどうやって、世界中で同時に起こしたのだろうね」
「アンブレラ社だろ」
 YESバイオハザード! 三島は投げやりに叫ぶと、両の拳を天に掲げた。
「まるでSF映画ですね」
 広海の言葉に、三島は肩をすくめて訂正した。
「どっちかっていえば、B級ゾンビ映画だろ」
「「確かに」」
 全員の声が重なった。
 世界は未だ混沌こんとんの真っ只中だ。
 あのワシントンDCでさえも、ゾンビの大群を前にゴーストタウンと化した。
 運よく生き延びた人にも、過酷な試練は続いている。
 止まらない感染、生存者の自殺、暴動、飢饉ききん、戦闘……貧しい国は壊滅状態。先進国も都市の威容いようは観る影もなく、刻一刻と廃墟はいきょが拡がっていく。
 映画のなかで見た世紀末。
 地上の地獄絵図が、現実に拡がっていく様を、誰も止めることができない。
 陰謀いんぼう論、もしくは自然淘汰とうた――数日間で百万人単位で増加し続ける人口、加速する燃料消費、枯渇こかつする資源。地球が悲鳴をあげて、もしくは激怒して、荒療治を始めたのかもしれない。
 真相は誰にも判らない。
 判っていることはただ一つ。

 SOS。二十二世紀を目前にして、人類は滅亡の危機にひんしている。