超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 4 -

 ニ日目。東京渋谷。朝八時。
 広海はカウンターテーブルの椅子に座り、テレビニュースを見ていた。
 期待も虚しく、一夜が明けて事態は回復するどころか、更なる混乱に陥っていた。
 報道局も例外ではなく、リアルタイムな情報供給はほぼストップしている。大手SNSの幾つかは、依然いぜんとしてサーバーが落ちている状態だ。
 息のあるSNSもあるが、有象無象の情報過多により、かえって人々に攪乱かくらん錯綜さくそうをもたらしていた。
 たった一日で、文明都市が破壊されてしまった。
 全ての交通機関は運転をみあわせていて、政府や自治体は家からでないよう、ネットやTVで民間に呼びかけている。自分の命を守るため、そして大切な人を守るために、外出は控えて戸締りをし、備蓄を大切にしろという。
 無理難題だ。
 一日二日ならともかく、数日も経てば喰料や生活必需品の補給が必要になる。永遠に引きこもってはいられない。
 ネットで発注しようにも物流はストップしているし、電話も繋がらない。
 安否を確認する緊急回線が敷かれて、広海もレオもかけてみたが、しばらくお待ちくださいのアナウンスが流れるばかりだった。
「だめだ、連絡つかない……」
 悄然しょうぜんと項垂れる広海の肩を、レオが励ますように抱き寄せた。広海もすがるようにレオの肩に頭を押しつける。いたわるように優しく髪を撫でられ、のろのろと顔をあげた。
 案じる眼差し……昨夜は暗闇のなか、虹彩が金色にかがやいて見えたが、今は日中の明るさのせいか、蜂蜜を溶かしたような琥珀色をしている。
 彼の瞳は、こんなにも明るい色をしていただろうか?
 ……不思議な人だ。
 全校生徒に畏怖いふされていて、強くて恰好良くて、次元の違う人だと思っていたのに、とても親切にしてくれる。どうしてなのだろう?
 奇妙で親密な空気は、突然の、窓の割れる音によって破られた。
 レオは、素早く広海を抱きこみ手で口を塞ぐと、カウンターの内側に屈みこんだ。
「……手を離すけど、声はだすな」
 耳元で囁かれ、広海はこくりと頷いた。ゆっくり手が離される。レオはカウンターから顔をのぞかせ、テーブル席を窺った。すぐに広海を振り返り、緊張した表情でこういった。
奴ら・・が入ってきた」
 広海は、絶望のあまり気が遠くなりかけた。言葉もなく、おこりのようにぶるぶると震える肩を、レオは勇気づけるように掴んだ。
「始末してくる」
「っ」
 そんな。無茶だ。殺される。早く逃げないと――必死に訴える目を覗きこみ、レオは広海の髪をくしゃっとかき回した。
「二階で待ってて。部屋に鍵かけておけよ。いいな?」
 広海は唇を噛み締めた。哀願するようにレオを見るが、強い眼差しが返された。決意と闘気を宿して、琥珀色の瞳は金色にかがやいている。
 迷っている暇はない。これしか方法はないのだ。
 苦渋に満ちた顔で、広海は頷いた。屈んだ姿勢のまま奥の通路へと移動を始めると、レオは業務用の長包丁を掴んだ。
 最新の注意を払って二階の和室に入ると、扉をしめて、鍵をかけた。そのまま、緊張の極致で耳を澄ませていると、鈍い音がして、怪物じみた呻き声が聞こえてきた。
「ッ」
 悲鳴が迸らぬよう、口を両手で押さえる。レオが危ない。助けにいった方がいいのか? だけど自分がいって、助けになるのか?
 永劫えいごうにも続く葛藤と絶望を味わっていると、やがて物音は鎮まった。
 耳を澄ませていると、とっとっとっ……階段を登ってくる軽い足取りが聴こえてきた。これぞ跫音空谷きょうおんくうこく。安定したリズムだから、きっとレオに違いない。そう思っても、いきなり扉を開けるのは怖くて、声をかけるタイミングを計っていると、
「笹森、お待たせ。あけて」
 広海は急いで鍵を開けた。
 はたせるかな、そこには無事な姿のレオがいた。安堵のあまり、広海は全身から力が抜けていくのを感じた。
「あぁ、良かった。怪我はありませんか? 大丈夫ですか?」
「おう、無傷。噛まれてないぞ」
 確かに外傷はなさそうだ。服にも汚れが見当たらない。長包丁も洗ってきたのか、血は付着していなかった。さっきは光って見えた瞳も、柔らかな琥珀色に戻っている。
 レオは、包丁の状態を確認しながら、報告を続けた。
「男のゾンビが二人いた。きっちり止めを刺したから、さすがにもう生き返らねぇだろ……店の外の、道路端に置いてきた」
 淡々とした口調の裏に、彼の緊張が感じられた。
 一方的に負担をかけてしまったという、申し訳ない気持ちで、広海の胸はいっぱいになった。
「うぅ、お疲れ様です……すみません、なんもできなくて」
「んなことねぇよ。窓の修繕すっから、手伝って」
 頭にぽんと手が乗せられた途端に、視界が潤んだ。ぽろっと涙がこぼれる。
「どした?」
 レオは苦笑をこぼすと、広海の肩を抱き寄せ、髪をくしゃくしゃにした。胸に熱いものがこみあげて、広海も強い力でしがみついた。声を噛み殺していると、顎に手をかけられた。熱のこもった視線に捕らわれる。綺麗な顔が降りてきて……疑問を覚えた時には、瞼に柔らかい唇が押し当てられていた。
(え……)
 吃驚びっくりして顔をあげると、同じくらい驚愕しているレオと目が遭った。
 無言で見つめあう。
 レオは、気まずそうに視線を逸らすと、
「あ――……お前が泣いたりするから……」
 弁明口調で、こう続けた。
「ついやっちまった」
「え」
「悪ィ」
「え」
「間違えたんだよ」
「え」
 と、しばらく互いに困惑したまま、短い応酬が続いた。
 驚き過ぎて、広海の涙は止まった。
 何をどう間違えたのだろう? 疑問に思いつつ、耳まで真っ赤になっていることがよく判った。首から頬から指先まで、熱く激しい動悸が全身を駆け巡っている。
 嫌悪はない。それどころか、いまだかつてないほど、胸がどきどきしている。一体自分はどうしてしまったのだろう?
 せわしなく眼球を揺らしながら、必死に話題を探した。
「あの、レオさん」
「レオでいい。俺もロミって呼ぶから」
「ロミ?」
「広海だから、ロミ」
 なるほど、と思いつつ広海はスマホを見せた。
「見てください、九段下に避難所ができたみたいですよ」
 レオは顔を寄せてスマホを覗きこみ、難しい顔をした。
「今度は九段下か。そこが安全だっていう保証はねぇだろ」
「でも、自衛隊が守ってくれているって。医療所と、喰事と寝る場所を提供してくれているみたいで」
「誰がどうやっていくんだよ。外はゾンビだらけなのに」
 レオは呆れたようにいった。
「うっ。だけど、九段下ならそこまで遠くないですよ。頑張ればいけるかも」
「無理だろ。感染症なんて言葉で誤魔化して、自力で来れないやつは、家からでるなっていうんだぜ? そんなの、手立てがないといっているのも同然だよ」
「そうですけど……」
「発症源も判らないのに、人の密集している場所にいくのは自殺行為だと思う」
「だけど、ここだって安全とはいえないじゃないですか」
「この状況で、安全地帯なんてどこにもねぇよ。それでも、避難所よりはここの方がまだ対策できる」
 話はしまいとばかりにレオが部屋をでようとするので、広海は喰いさがった。
「そんなの、いってみないと判らないじゃないですか! 家族がいるかもしれないし」
 レオは立ち止まり、厳しい眼差しで広海を見た。
「んなこといって、避難所が難民キャンプみたいだったらどうするんだよ。一人でも発症したら、一巻の終わりなんだぞ」
「うぅ、それは……」
 混乱し、めまぐるしく頭を働かせる広海を、レオは冷静な瞳で見つめ返した。
「それ以前に、俺かお前のどっちかがそうなる可能性もあるけどな」
 絶句する広海を見て、レオは肩をすくめた。
「冗談だよ。今のところ俺たちに兆候はない。だけどこの先、何が起きてもおかしくないだろ? 非常事態なんだ。ゾンビも危険だけど、生きている人間も同じくらいに警戒した方がいい」
「……発症源は判らないけど、最初におかしくなった人たちは、心臓発作じゃないかって誰かがいってましたよ。その波はもう、治まったんじゃ?」
「楽観視しすぎ。第二、第三の波がくるかもしれないだろ。不確定要素が多すぎる。軍も政府もまともに機能していないのに、そこら中から集まってくる民間人を支援しきれるとは俺には思えないな」
「じゃぁ、どうすれば……」
 泣きそうな顔になる広海の頭を、レオはくしゃっと撫でた。
「様子を見よう。避難所がまともに機能していて、安全だと判ったら移動してもいい」
「それまで、ここにいるんですか?」
 拗ねたように広海はいった。
「ずっとじゃねぇよ。ここも対策はするけど、なるべく早く、どっか別の住処を探そう。な?」
 優しく諭されると、広海も少し冷静になり、彼の言葉を心のなかで反芻はんすうした。いわれてみると確かに、避難所に駆けこむのは早計かもしれない。どんな様子かも判らないのだ。もう少し様子を見て、きちんと運営されているかどうか、見極めた方がいいのかもしれない。
 不承不承に広海が頷くと、レオはほっとしたように、優しく笑った。
 方針が決まり、二人は早速、店の修繕と補強にとりかった。
 先ず、突破された一階の窓の開いた穴を、適当な板きれで塞いだ。さらにテーブルや椅子といった重たい家具を積みあげ、バリケードを築きあげた。
 その後も喰料を確認したり、使えそうな武器や防具の準備をしているうちに、あっという間に日は暮れた。
 疲れて二階の和室で休んでいた広海は、レオに肩を揺すられて目を醒ました。
「起きろ、ロミ」
「レオさん? 何かありました?」
 緊張に強ばる広海を見て、ゾンビが襲ってきたわけじゃねぇよ、とレオはつけ加えた。
「こっちきて、窓の外見てみろよ」
「?」
 不思議に思いつつ、広海はレオの隣に並んだ。窓の外に目をやると、幻想的な光景が拡がっていた。
「うわぁ、すごい……」
 ビルの合間から、夜空に向かって、仄碧い無数の光が立ち昇っている。
 まるで、碧い蛍が遊泳しているみたいだ。或いは街全体が海底に沈んで、青い波模様に照らされているようにも見える。
「綺麗……」
 広海は魅入られたように呟いた。
「もしかして、死体が燃えてんのかな」
「え?」
 広海はぎょっとしてレオを仰ぎ見た。端正な横顔は、無感動に窓の外を眺めていた。
「あの光……人魂じゃねぇ? もしくは鬼火」
 ひとだま。人魂――意味を理解した途端に、広海は、床が抜けるような感覚に襲われた。
 おびただしい数だ。
 あれが全て人魂なのだとしたら……たった一日で、一体どれだけの人が死んだのだろう?