超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 3 -

 しばらく、二人とも無言でニュースやSNSを見ていた。
 世界中で暴動が起きていて、テロにしても、どの国が仕掛けているのかまるで判らない状況だ。あらゆる巨大都市はパニックに陥り、閣僚評議会で侃々諤々かんかんがくがくの論争がかわされているが、五里霧中である。
 軍隊が出動し、懸命に鎮圧にあたろうとしているが、彼等のなかにも発症者・・・がいて、事態は混乱を極めた。
 日本政府も緊急避難指示を発令したが、先ず、指定場所に辿り着くことが至難のわざだ。交通機関が停止しているなか、異常喰欲に支配された街を歩くのは、自殺行為に等しい。
 一体何が起きているのか――
 憶測段階だが、医師らによると、肉喰にくじき行為は脳の神経回路が混線し、思考や判断が著しく退化しているせいだという。
 ……だからといって、同じ人間に噛みつき、その肉を喰べられるものなのだろうか?
 残虐な行為があちこちで繰り広げられているせいで、通常なら情報規制されるレベルの、ホラー映画のような映像がメディアからも、SNSでも垂れ流し状態だ。
 見ていたら気持ち悪くなってきて、広海はスマホを弄るのをやめた。顔をあげると、つられたようにレオも顔をあげて、視線がぶつかった。
「……もうこんな時間か。何か喰べる?」
「あ、いえ……」
 断ろうとしたが、忘れていた空腹が蘇り、ぎゅうと腹の虫が鳴った。
 レオはくすっと笑い、組んでいた長い脚をほどいて席を立った。煙草を灰皿に擦り潰しながら、思いのほか優しい眼差しで広海を見た。
「何か作ってやるよ。オムライスでいい?」
「あ、はい。なんでも……」
 広海は腹を手でさすりながら、恥ずかしそうにいった。
 待ってな、そいってレオは二階へいき、汚れた服を着替えて戻ってきた。腰にエプロンを巻いている。
「ランタン持ってきた。こっちきて、カウンターに座れよ」
「はい」
 いわれた通り、広海はカウンターテーブルの前にいき、一番端にある椅子に座った。
 レオは、アンティークなLEDランタンをテーブルに置くと、調節螺で明るさを絞った。
「外から見えないようにな」
「はい、気をつけます」
「じゃあ、作ってくる」
 そういってレオは、厨房に入っていった。
 広海の座っている場所から、ちょうど後ろ姿が見える。見守っていると、業務用の大きな冷蔵庫から喰材を取りだし、慣れた手つきで調理を始めた。
 あの神楽レオが、料理をしている。
 厨房でバイトしているというだけあり、エプロン姿も、調理する手つきも堂に入っている。
 格好良くて優しくて強くて、料理までできるとは。どこまで完璧なのだろう?
 衝撃を受けていると、卵とバターの香ばしい匂いが流れてきて、喰欲を刺激された。こうして座って料理を待っていると、ついさっきまで命の危険にさらされていたことが、嘘みたいに感じられた。
「おまちどおさま」
 目の前に湯気の立つ皿が置かれると、広海は目を輝かせた。
「すげー、超美味しそう」
 熱々の、ふっくらしたオムライスにオニオンスープと、お洒落に盛りつけられたカプレーゼ、それに林檎ジュース。どれも好物ばかりだ。
「いただきます」
 スプーンで卵を割った瞬間に、とろりと黄金色の卵とチーズがこぼれて、湯気がたった。炒めたケチャップご飯にからめて口に放りこむ。
美味うめェ……」
 空腹は最大の調味料というが、それを差し引いても、これほど美味しいオムライスを喰べたことがあるだろうか?
 一口喰べた途端に、手が止まらなくなった。オムライスもカプレーゼも最高に美味しい。
 あっという間に平らげて、ごちそうさまと手をあわせると、既に喰べ終えて寛いでいるレオが、くすくすと笑った。
「笹森って、幸せそうに喰べるのな」
 優しい眼差しに、広海の胸はどきんと高鳴った。視線を伏せてもじもじしながら、美味しいですと呟く。
「サンキュ。俺、料理するの結構好きなんだ」
「意外ッス」
「よくいわれる。笹森の好きな喰べものは?」
「焼肉とか、生姜焼きとか、ハンバーグとか、ビーフシチューとか」
 くくっ、とレオは笑った。その笑みが眩しくて、広海の胸はまたしても高鳴った。
「そっか。肉が好きなんだな」
「はい。レオさんは?」
「レオでいいって。俺は飯より、飲む方が好きかな」
 さらりと飲酒をほのめかされたが、広海は懸命にも指摘をしなかった。そうですか、と相槌を打つ。
「テレビつけていい?」
「どうぞ」
 映像は相変わらず、酷いものだった。事態は悪化の一途で、暴動は更に激化し、逃げ惑う人にまじって、店に押しいり物資を奪う輩まで出始めていた。
(父さん、母さん。無事かな……)
 胃がきしむのを感じた。家族とは連絡がとれず、これからどうすればいいのか、まるで判らない。
「二階に、俺が使わせてもらっている和室があるんだ。布団をだしてやるよ」
 項垂れていた広海は、はっとして顔をあげた。
「はい。何から何まですみません……」
「気にすんな、こんな時だし……ところでお前さ、何かつけてる?」
 レオは広海の首筋に顔を近づけ、すん、と鼻を鳴らした。広海はかぁっと顔が熱くなるのを感じた。
「えっ、すみません、汗臭いですか?」
 焦ったように腕の匂いを嗅ぐ広海を見て、レオは戸惑ったような表情を浮かべた、
「いや、っていうか……まぁいいや、シャワー使う? 悪ィ、飯の前に訊けば良かったな」
「助かります」
 恥じいるように頷く広海の頭を、レオはぽんぽんと軽く叩いた。
「臭くないよ」
「はいぃ……」
 ふっと優しい微笑を向けられて、広海は赤くなって頷いた。
「着替え、俺のでいいよな。下着はボクサーで良ければ、新品があるぞ」
「何から何まですみません」
「気にすんな」
 レオはランタンを手に提げると、広海を連れて二階にあがった。風呂場に案内すると、壁に備えつけられた電気を点けた。
「電気点けていいんですか?」
「ん。ここは窓ないし、明かりが外に漏れる心配ないから平気」
「なるほど、判りました」
「あとで着替え持ってくっから、先にシャワー浴びてて」
「はい、ありがとうございます」
 引き戸がしまり、一人になると、広海は素早く服を脱いで、浴室に入った。シャワーは心地良いが、無防備な状態でいるのが心細くて、急いで髪と躰を洗った。途中、洗面所にレオがやってくる気配がした。着替えを持ってきてくれたのだろう。
 間もなく浴室をでると、洗濯機の上に折り畳まれたバスタオル、MA-1のスウェット上下と無地の黒いボクサー、Tシャツが置いてあった。
 スウェットの丈はかなり長く、裾を幾重にも折り返さねばならなかった。脚の長さが一目瞭然で辛いが、借り物に文句などいえない。
 着替えた広海は、肩越しに鏡を振り返り、背中に刺繍されたALPHAロゴを見つめた。
(さすがレオさん、部屋着もかっけェ)
 不安だらけで落ち着かないが、レオのおかげで、どうにか取り乱さずにいられる。彼がいなかったら、今頃死んでいるか、途方に暮れて道端に蹲っているかのどちらかだっただろう。
 髪を拭きながら廊下にでると、奥の部屋から、ランタンの仄明かりが漏れていた。
 扉は開いており、近づくにつれて、八畳ほどの和室の様子が見てとれた。部屋の中央に紺色の布団が敷いてあり、壁際に置かれたベッドにレオは腰かけ、MacBookの液晶を眺めていた。
 顔をあげたレオは、驚いたような顔つきで広海を見た。
「お前……」
「はい?」
「……いや」
 レオは、曖昧に言葉をにごすと、かぶりを振った。
「あの、シャワーありがとうございました。それから服も」
「おう。布団敷いておいたぞ。シーツは洗濯してあるから」
「ありがとうございます」
「ん。じゃあ、俺も入ってくる」
 と、レオはMacBookを閉じて立ちあがり、部屋をでていった。
 残された広海は、布団の上に座った。SNSを見る気が起こらず、日参している漫画ポータルサイトを開いた。こんな状況でも、サーバーは無事だったらしい。
 好きな漫画でも、内容はあまり頭に入ってこない。絵や台詞に目を注ぎながら、頭の半分では、今日起きたこと、これから起こることを考えていた。
 何話か読み進めたところで、レオが戻ってきた。広海に貸してくれたのと同じ、MA-1のスウェットにランニングシャツという部屋着だが、長身のレオが着ると違う服に見える。しなやかな筋肉のついた長い手脚を見て、密かに劣等感を刺激されていると、頭をぽふぽふ撫でられた。
「ちょっと早いけど、疲れたし寝るか」
「はい」
 レオはベッドに長身を横たえると、LEDランタンの明かりを消した。
 静寂と暗闇に包まれると、窓の向こうの不気味な音が、際立って聴こえた。
 呻きともつかぬ不気味な声。何者かが徘徊している音。遠くから響いてくる叫び声。鈍い破壊音。
 広海は怖くて、両耳を手で塞いで身体を丸めた。これからどうなってしまうのだろう? 不安でたまらない。真っ暗な深淵に堕ちていくような深い絶望と哀しみが、体を這いあがってくる……
 震えていると、不意に頭を撫でられた。吃驚びっくりして目をあけると、レオが見ていた。暗闇のなか、瞳の虹彩は、金色を帯びてかがやいている。
 普通じゃない――けれども、不思議と怖いとは思わなかった。
「レオさん?」
「レオでいい」
「……レオ。ありがとう」
「おう」
「あの事件の時も……レオは命の恩人です」
「大げさなんだよ」
 レオは笑ったが、広海は心の底からそう感じていた。
 異常者から守ってくれた時も、今日もカツアゲされているところを助けてくれて、その後のパニックからも救ってくれた。今も、こんな訳の判らない状況のなか、力になってくれている。
 なにか、目には見えない不思議な縁を感じる。
 周囲から憧憬しょうけいと畏怖を集める人だが、実際のレオは、気さくで磊落らいらくな人柄だ。
「心配すんな。ここなら、あいつらもそう簡単に入ってこれねぇよ」
 沈黙を怯えと思ったのか、レオは安心させるように穏やかな口調でいった。
「はい……」
「不安だろうけど、今夜は休もうぜ。明日になれば状況が変わってるかもしれないし、また電話してみろよ」
 その言葉に、広海はほんの少し気が楽になった。
「そうします……」
 広海はベッドの方を見ていった。彼の瞳をもう一度見たいと思ったが、レオはもうこちらを向いていなかった。
(……レオさんのいう通りだ。今悩んでも仕方ない、明日に備えて休まないと)
 目を閉じると、全身の疲れがどっと溢れて、緊張が弛緩するのが判った。小さな欠伸を噛み殺し、疲労困憊の眠りに就いた。