月狼聖杯記

10章:背負うもの - 1 -

 ラギスは牢で一晩の謹慎を命じられた。
 今は騒ぎも鎮まり、松明を持った牢番が二人、睨みを利かせている。
 軍規では、味方同士の私闘、しかも殺傷沙汰ともなれば、吊るし首に処されるところだが、シェスラの聖杯であるラギスは免除された。一晩牢屋で謹慎という、破格の恩赦が認められたのである。
 それでもラギスは不満だった。
 だが、彼をこうも激昂させた掠奪は、然るべき軍規に基づいたものなのである。
 この時代、従軍に伴う掠奪許可は、指揮官の采配に委ねられていた。
 敵対している集落都市でも、和議が成立すれば、指揮官の許可がない限り、勝手な掠奪行為は禁じられている。逆にいえば、許可がでれば掠奪放火は自由であり、許可しない指揮官は先ずいない。
 こうも残虐がのさばっているのは、ヴィヤノシュの率いる傭兵団の荒っぽさもあるが、戦争背景による感情も大きかった。
 アルトニア帝国という外圧に対して、抵抗して月狼の結束を高める者と、逃亡の算段に走る者がある。
 殆どの傭兵は、前者だ。
 金次第で雇い主を変えるとはいえ、相手は月狼に限る。アルトニアの水霊族に媚びたりはすまいという、自負があった。彼らは、戦わずして帝国にくだった都市や村々を蔑視しており、掠奪に躊躇いがなかった。
 ましてや、平和主義を標榜ひょうぼうしつつ、アルトニアにくみする月狼、アレッツィアには容赦がなかった。月狼の誇りをもて――蛮行に走る彼等の、無謬むびゅうの大儀である。

 蝙蝠が一匹、揺らめくようにして空へ飛んでいく様を、ラギスはぼんやりと眺めていた。
 俄かに騒がしくなり、正面を見ると、近衛と共にシェスラがやってくるところだった。
 彼は、牢の前で立ち止まると、なかにいるラギスを静かに見つめた。
「登攀に向かったのではなかったのか?」
 ラギスの琥珀のひとみに獰猛な光が灯った。
「うるせぇ……知っていたのか?」
 無言の肯定に、ラギスは唸った。
「なぜいわなかった! 月狼の黎明だとよくもいったな。この俺が掠奪を許すと思ったか」
 檻を壊しかねない勢いのラギスに、牢番が焦った顔で槍を突きつけるが、シェスラが制した。しかし彼の冷静さが、ラギスをかえって逆上させた。
「よくも……っ」
 力任せに格子を殴りつけると、近衛騎士の顔にも緊張が走った。
 怒りに燃えるつがいを、シェスラは静かに見つめ返した。
「北上軍は過酷な最前線の任に就く。ヴィヤノシュといえど、部下に褒美を与えなければ、手綱はとれぬ」
 冷静な口上が白々しく聞こえて、ラギスは鬼の形相になった。
「だから殺戮を容認したのか」
「ペルシニア侵攻に失敗は許されない。道々の掠奪行為は、必要に応じて許可してある」
「必要だと? あんなことが、必要だというのか。最初から掠奪するつもりだったのか!」
 ラギスが吠える。シェスラは冴えた眼差しを返した。
「アレッツィア離反を誘発する目的もある。家を焼かれたくなければ、我々に寝返り物資を差しだせば良い。これは戦争の法ぞ」
 ぎりぎりと歯噛みするラギスの目を見て、聞け、とシェスラは続ける。
「私とて掠奪行為を推奨しているわけではない。旧来の陋習ろうしゅうだと知っている。だが今は、ばんやむをえざる時であり、ラピニシア奪還に続く布石だと――」
「黙れ!」
 ラギスが遮り、シェスラの言葉は氷柱のように、ぽきりと折れた。ラギスは昂りを押さえようとし、できず、
「布石だと!? 喪った者たちの前で、お前はその台詞をいえるのか。結局、あんたは掠奪される者の苦しみを知らないから、偉そうなことがいえるんだ!」
 激した断罪口調で吐き捨てた。
 辺りはしんと静まり返り、ラギスは食い入るようにシェスラの美しい顔を見つめたが、自責の色は少しも浮いていなかった。
 鬼の形相で佩剣はいけんに手をかけるヴィシャスを、シェスラは冷静に手で制した。
「弁明はしない。決断には責任を伴う。そなたがいった通りの罪と責任は、私が背負うべきことだ。そなたは納得しなくて良い」
 ラギスは怒りと苦悶に表情を歪ませた。
「違うだろうがっ! こんなことで、お前の描く大陸制覇はなされるものか」
「国境統一を掲げた時から、この手を血に染めると決めた。修羅の道を避けては、どんな泰平もありえない」
「どう言葉を飾ろうと、あんたがやっているのは猛禽にも劣る蛮行だ」
「否定はしない。どのような大義名分を掲げても、戦争は金と物が全てだ。私はそのことをよく理解している。そなたに、犠牲を受け入れる度量がないことも」
 ラギスは怒りあまり、唇を戦慄わななかせた。眼裏に幼い日の絶望が蘇る。目の前がかくと燃えるかのようだった。
 爆発寸前にまで暴力衝動が膨れあがったが、ふと別の疑問が浮かんだ。
「……捕虜はどうなる?」
 シェスラはラギスをひたと見据えた。
「作戦を知られた以上、逃がすわけにはいかない。交渉に応じる者は自軍に配置するが、そうでない者は権利者に任せる」
 ラギスは唸った。
 捕虜の権利は捕まえた者、つまり傭兵にある。考えるまでもなく、連中は嬲り殺しにするだろう。
「……残酷に殺す必要はない。それなら、俺に決闘させろ」
「捕虜と?」
「望んだ者と戦う。一撃で殺してやる。だがもし、相手が一太刀でも俺に入れることができたら、そいつには馬と水を与えて逃がしてやれ。勝者の権利だ」
 シェスラは提案を吟味するように、片眉をあげてみせた。
「それから、俺と戦う捕虜に、次の相手の指名権を与えてやる。俺が捕虜を斬ったあとは、捕虜が指名した傭兵を斬る。これは命を懸ける者の権利だ」
「そなたは今、私闘厳禁を冒したとがで、そこにいるのだがな」
 シェスラは呆れたようにいった。
「軍規なんざ糞くらえ。掠奪する連中は血に飢えているんだろう? 俺が娯楽を提供してやるよ」
「私が許可すると思うか?」
「しろよ。でなけりゃ俺は、今すぐここをでて、さっき見た傭兵を一人ずつ殺しにいくぞ」
 脅しでもなんでもない、ラギスの本気だった。
「たわけたことを申すな」
「たわけ者はお前だ。一つくらい、俺が納得いく筋を通してみせろ。俺も筋を通す。あんな連中、百篇殺しても足りねぇが、嬲り殺しにはしねぇよ。誰が相手でも、一撃必殺で仕留めてやる」
 シェスラは沈黙したが、そう長くはかからず、意を決して唇を開いた。
「……いいだろう。確かに捌け口も必要だ。決闘は明日の早朝にする。躰を休めておけ」