RAVEN

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 三十二階の七号室。城嶋が扉を開けるのを待つ僅かな間、流星はなんともいえぬ気分になった。扉を閉めた瞬間に、いいようのない閉塞感を感じた。
 部屋の正面に大きな窓があり、煌々とした東京の夜景を一望できる。見事な眺望だが、どろりとした既視感を覚えた。彼に軟禁されていたマンションも、見事な夜景だったことを思いだしたのだ。
(部屋全体が息詰まるようだ――)
 玄関口で立ち尽くす流星を振り向いて、城嶋は首を傾げた。
「入れよ」
 一瞬、今すぐ逃げだしたい念に流星は駆られた。だがそうはしなかった。足音を消す、ふかふかの絨毯を踏んで部屋を進んだ。
 城嶋はリラックスした様子で、備えつけの冷蔵庫を開けると、水を飲むかと訊いてきた。流星が強張った表情で首を振ると、苦笑を浮かべ、ベッドの上に置いてあるノートPCを起動させた。
「それじゃ、さっさと終わらせるか。先ずはUSBメモリから……」
 言葉をきり、後ろを振り向いて、流星が見ていることを確認すると、メモリに保存されたデータを開いてみせた。
 日付ごとにフォルダがあり、その下に、動画と写真のフォルダがそれぞれ保存されている。サムネイル表示に切り替えられると、思わず流星は口元を手で覆った。視界の暴力だ。自分が主役の、出来の悪いポルノを品定めしている気になる。
 改めて、彼の異常性を意識せずにはいられない。胸が悪くなるような写真や動画の使い道を考えると、心底、吐き気がする。
「……レイヴンの写真、何枚くらい撮った?」
 背筋がうそ寒くなるのを感じながら、流星はどうにか平静を装って訊ねた。
「十枚くらい。プロに頼んで撮ってもらったんだ。心配しなくても、変な写真はないよ。家をでてきたところとか、歩いている写真ばかりだ」
 それだって褒められた行為ではない。脅迫材料に使ってくるあたり、おぞましい犯罪行為だ。
「一枚も残さないで。彼を脅かすような真似は、絶対にしないでくれ」
「判ってる」
 城嶋はフォルダ内をスクロールしてみせた。流星のデータは、膨大な量だった。
 自分の預かり知らぬ写真を、他人が持っていることへの嫌悪に、本当に気持ちが悪くなってきた。もう見ていられず、片目を手で覆った。
「……全部消して」
 城嶋は頷いて、データをディレクトリごと一括選択して、強制削除キーを押した。
「これで全部削除した」
 流星はしっかり削除されたことを確認し、頷いた。
「次はHDD。サーバには保存していない……これで全部だ」
 同じ名前のディレクトリがHDDにも保存されていることを見せてから、城嶋は同じように一括選択し、削除した。
 空になったディレクトリを見て、流星は安堵の息を吐いた。
「……ありがとう」
 感謝を口にする自分を奇妙に感じるが、とにかく安心した。脱力していると、正面から城嶋に抱きしめられた。
「好きだ」
「ッ、正嗣……」
 嗅ぎ慣れた香水。硬い肉体に圧倒され、流星は頭のなかが真っ白になった。
「データは全部消した。これで許してくれ」
 城嶋はきつくきつく抱きしめてくる。
「離れてくれッ!」
 流星が鋭く返すと、城嶋は少し身を引いて押し黙り、顎の線をそこはかとなく険しくした。
「……なぁ、戻ってこいよ」
 狂気を宿した、そら恐ろしいほど真剣な目で請われて、流星は全身がぞわっと総毛立つのを感じた。
「――放せっ!」
 身を振って暴れようとする流星をがっちり捕まえて、城嶋は冷たく笑った。
「セックスしてないなんて、嘘なんだろ? あの綺麗な男と、本当は寝ているんだろう?」
「寝てない! 彼とはなんでもないよ! 放せっ!」
 必死に逃れようともがく流星の顔を、城嶋は心底不思議そうに、覗きこんできた。
「なぁ、教えてくれよ。俺は駄目なのに、どうしてあいつはいいんだ?」
「は?」
「あいつだって、俺と同じだろ? 
「何いって、」
「有名人で、年不相応の豪邸に住んでいて、あれだけ派手な容姿をしているんだ。相手に不自由なんかしてないだろう? なのに、流星に執着しているって、傍から見たらちょっと異常だと思わないか?」
 はなはだ失敬な私見だが、流星自身も同感だった。自虐の趣味はないが、自分が平凡以下の男であることは判っている。冴えない容姿に身体。仕事はそこそこできたが、一年前から無職である。ゲイで、虐待から逃げてきた三十過ぎの男なんかに、レイヴンはどうして好意を寄せてくれたのだろう?
 そう思っても、城嶋にいうつもりはない。じろりと睨みつける。
「余計なお世話なんだよッ! 自分と一緒に考えるな――やめろッ!」
 キスされそうになり、流星は思いきり顔を背けた。
「好きなんだ」
 押し倒されて、両腕を掴まれシーツに縫い留められた。城嶋は体重をかけてのしかかってきて、流星も懸命に暴れるが、彼の方が体格がいいから、押し負けてしまう。顔に影が落ちる。
「嫌だっ……レイヴン……ッ」
 城嶋の顔を、一瞬、何かがよぎった。“やっぱり”といいたげな、裏切られたという怒りだ。