メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

7章:ニーレンベルギア邸襲撃 - 5 -

 ここはどこなのだろう……
 ユリアンはどんどん人気の少ない通りへと歩いて行く。ティカは物陰に隠れながら後を追い駆け、救出のチャンスを窺っていた。
 敵は全部で七人。口元をスカーフで覆い、顔の半分は見えないが、眼差しはいずれも鋭く、異様な雰囲気に包まれている。大きな重火器を背負っており、昨夜ティカが倒したゴロツキとは明らかに格が違う。
 彼等は殺し屋か、この辺りを縄張りとする盗賊ギャングに違いない。
 美貌の少年がすすけた壁の袋小路に追い詰められた時、いよいよ飛び出すべきか迷った。
 とはいえ、多勢に無勢だ。ティカ一人で七人も相手にできるだろうか。
 しかし――
 男の一人が拳銃を抜いた。迷っている暇はない。ティカは腰からナイフを抜くと、男目掛けて放った。背中に命中する。男は呻いて動きを止めたが、周囲の男達も一斉に拳銃を抜く――ティカは叫んだ。

「ユリアンッ!!」

 ティカが彼等の前に躍り出るよりも早く、ユリアンは羽織っていた外套を脱ぎ捨て、男達の視界を塞いだ。
 パンッ!
 発砲音がしたけれど、外套に穴を開けただけ。
 瞬閃、ユリアンは目にも止まらぬ速さで男の背後を捉えると、手にした細いナイフで男の喉を裂いた。
 鮮血が噴き上がる。
 ティカは唖然として動きを止めた。
 彼は、虫も殺せぬ天使の如し美貌で、何の躊躇いもなく、複数の男を相手に立ち回り、次々と地面に転がしてゆく。

「******、******! 糞ったれ!! ジョー・スパーナの犬の分際で、よくも……っ、がっ!!」

 最後の一人は聞きなれぬ母国語を叫び、口汚い罵りを吐いたが、ユリアンに喉を裂かれて事切れた。
 ユリアンの動きに無駄は一切無い。
 どれだけ手を血に染めようとも、怯まずにナイフを閃かす。冷酷な白磁の人形を思わせる。感情は剥落はくらくしているかのよう。
 もう誰も、動く者はいない――ティカとユリアン以外は。
 石畳を濡らす鮮血は、目の錯覚か……通りで鈴の音のような声を聞かせてくれたのは、誰であったか。“ジョー・スパーナの犬”とは、誰のこと……

「ティカ」

 静かに呼びかけられて、不自然なほど肩が跳ねた。

「また助けてくれましたね」

 あどけない笑みを浮かべて微笑む少年は、まさしく昨日ティカが助けたユリアンだ。頬に血が撥ねていても、純真無垢な天使のように美しい。
 けれど恐い。可憐な容貌に反する、凄まじい殺しの腕。ユリアンという少年が判らない。

「どうして……」

「驚かせてすみません。彼等は、私の元部下達です」

「元部下……?」

「私はブラッキング・ホークス海賊団の一番隊隊長、ユリアンです。改めて、どうぞよろしくお願いいたします」

 彼は、場にそぐわぬ穏やかな笑みを浮かべると、舞台でお辞儀するように、典雅な所作で一礼してみせた。

「ブラッキ……って、えぇっ、君、海賊なのっ!?」

 海賊。しかも、ジョー・スパーナ率いるブラッキング・ホークス海賊団の一味。天使もかくや、儚い美貌を持ちながら隊長を名乗るというのか!

「はい」

「だって昨日は……!」

 言葉が続かない。ティカの衝撃といったらなかった。凄惨な光景も忘れて、ユリアンに震える人差し指を向ける。

「昨日は?」

「とても海賊には、見えなかった」

「よく言われます」

「こんな、こんな、酷いことを……」

「酷い?」

 不思議そうに聞き返しながら、ユリアンはあどけない仕草で首を傾けた。

「酷いでしょう!」

「彼等は仲間を殺して、盗みを働きました。本来なら拷問の末に死であがなう重罪です。一撃必殺で仕留めたのは、私なりに情けをかけたつもりです」

 絶句。ティカを映す宝石のような翠瞳すいとうは、玻璃はりのように澄んでいる。一遍の曇りもなく、悔悟かいごは一切浮いていない。
 彼の纏う清廉さと迫力に呑まれて、口を閉ざしたのはティカの方だった。
 大して年は変わらないように見えるのに、恐らく修羅場をくぐり抜けた経験値はかけ離れている。ティカはまだ、彼ほどに躊躇わずに刃を振るえない。
 何も言えずにいると、見知らぬ男達が近付いてきた。彼等もまた、明らかに武装している。

「大丈夫、彼等も私の部下です」

 身構えるティカを、彼は血の撥ねた繊手せんしゅで制した。

「どんな理由があるにせよ、死者は敬わないと……」

「なぜ?」

「亡霊になって、君を苦しめるよ」

 真剣に告げたが、ユリアンは鈴を転がすように笑った。

「埋葬は彼等に任せて、私達はもう行きましょう」

 やってきた大柄な男から手拭いを受け取り、ユリアンは顔や手に散った血を拭き取る。そしてティカの手を掴んだ。

「さ、こちらへ」

「へ?」

 間の抜けた声を上げるティカの手を引いて、ユリアンは真っ直ぐに歩き出した。