メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

7章:ニーレンベルギア邸襲撃 - 13 -

 撤収は、実に鮮やかであった。
 波止場まで、味方の装甲戦闘車に加えて、カルタ・コラッロの湾警備部隊に守れながら戻った。
 どんな手を使ったのか、いつの間にかヘルジャッジ号は軍港側に錨泊びょうはくしており、周辺には、蟻の子一匹忍びこめない厳戒態勢が敷かれている。
 市場で商談をしていたシルヴィー達は、仕事を切り上げ、戦闘員達の手配、作戦指示に加わっていた。陸で休暇を満喫していたロザリオも然り。
 なお、ティカの財布を盗んだのは、ユリアンの息のかかった地元の子供で、ティカをおびき出す為の罠であったと、後から判明した。
 失った金銭も悲しみだが、それよりも、少しも軟化しないヴィヴィアンの態度の方が、ティカに深い悲しみを呼び起こしている。

「ごめんなさい……」

 船に戻ると、ティカは全員の前で悄然と頭を下げた。
 日はすっかり傾き、停泊しているヘルジャッジ号を黄金色に染め上げている。
 兄弟達はティカを見て、安心したように表情を緩めたが、シルヴィーはいつになく厳しい顔でティカを睥睨へいげいした。

「声が小さい」

「ごめんなさい」

「聞こえないな」

「ごめんなさいっ」

「大事な商談に水を差されても、俺は賢人よろしくお前を助ける為に、地元警備隊すら動して、厳戒態勢でニーレンベルギア邸を包囲した」

 教典を読み上げるような抑揚のない声が、ティカの頭上に降る。

「無事に戻ってきてくれて、良かったよ」

 気遣う言葉とは裏腹に、シルヴィーの声は氷で編まれた鞭のように冷たい。静かな迫力に気圧され、ティカは肩を震わせた。

「だが、知るべきだ。ジョー・スパーナと対決して、無事に済んだのは奇跡と言っていい」

「すみませんでした……」

「判ってるのか? 毎回、運よく帰ってこれるとは限らないんだぞ」

「アイ……」

 彼の怒りの中にこそ、ティカを気遣う優しさが隠れて見える。声が震えないよう、拳を必死に握りしめなければならなかった。

「罰として、今回迷惑をかけた全員から、何でも一つ、仕事を引き受けること」

 待ち望んだとも言える罰を申し渡され、ティカは勢いよく顔を上げた。

「要はしばらく、ヘルジャッジ号全員の雑用係だ」

「アイ」

「返事が小さい」

「アイッ」

「言っておくが、罰と謝罪は別だ。アルバナの帰りに、敵の先鋒に眼をつけられたそうだな?」

 何を申し渡されるのだろう……。
 戦々恐々と見上げていると、シルヴィーは冬の湖水のような眼差しを、ティカの班員に向けた。

「連帯責任だ。班員、舷側からティカを吊るせ」

 刑務所の番人よろしく、彼は顎をしゃくって班員に命じた。

「アイ、サー」

 機械じみた返事と共に、マクシムとブラッドレイが静かに歩み出た。彼等の後ろで、オリバーは辛そうに顔を歪めてティカを見つめている。

「え……」

 彼等はティカの前に立つと、無言のままに、青褪めるティカの両腕を手際よく縛りあげてゆく。

「あ……」

 言葉をかける間もなく、罪人のように両腕を縛り上げられた。
 顔に鉄仮面を貼り付けた班仲間は、まるでティカの知らない人間のようだ。いつも明るいブラッドレイですら、淡々とティカを見下ろしている。
 何も言えずにいると、背中を小突かれて、船縁ふなべりから飛び降りるよう促された。

「ヴィー……」

 心細くなり、後ろを振り向いてヴィヴィアンを呼んだが、彼の表情も同じく冷たいままだ。
 誰も、何も言わない。味方は一人もいない。