メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

2章:エステリ・ヴァラモン海賊団 - 2 -

 ティカはオリバーと一緒に、第二甲板の船首側にある、ごった返し部屋――食堂へ向かった。兄弟たちは、昼からグロッグ――ラム酒の水割を飲んでいる。
「ヘルジャッジ号の水は新鮮なんじゃないの?」
 彼等を見て、ティカは不思議そうにオリバーに訊ねた。
「新鮮だよ。消毒の為にラムを入れているんじゃなくて、好きで飲んでいるんだ」
 ティカは曖昧に頷いた。あんな喉が焼ける飲み物を、好んで飲もうとする気が知れない。
「飯はこっち」
 オリバーは部屋の奥に置かれた、料理の並んだテーブルに近づくと、ブリキのプレートをティカに渡した。自分も一枚手に取り、あれこれ料理を乗せていく。好きなものを、好きなだけよそっていいらしい。
 ティカはきつね色にトーストしたマフィン、ポーチドエッグ、ベーコンにマッシュポテトを乗せた。それから、フルーツバスケットにプラムを見つけて目を輝かせた。
「美味しそうー!」
「好きに食べていいんだぜ」
「やったぁ!」
「食べたら剣の稽古をつけてやるよ」
「いいの?」
「もちろん」
 オリバーば機嫌良さそうにしっぽを揺らしながら、にっこり笑った。
 着席して食べ始めると、雑談するシルヴィーとヴィヴィアンの姿を見つけた。思わず凝視していると、オリバーもティカの視線を追いかけて、おや、という顔をした。
「キャプテンも食堂で食べるんだね」
 ティカはヴィヴィアンを見つめていった。昨日は豪華な船長室キャプテンズデッキで食事をしたが、普段は違うのだろうか。
「うん。個室を持っている船員も、大体ここで食べているよ」
「そうなんだ」
 昨日のシルヴィーは、ヴィヴィアンにとても腹を立てていた。船長室に入ってくるなり、厳しい口調で責め立て、嵐のように去っていったのだ。
 シルヴィーを親友だといったヴィヴィアンの言葉を信じられなかったが、今の二人を見ていると、なるほどと思わせられる。和やかな雰囲気で笑いあう姿は、打ち解けた親友そのものだ。
「昨日、シルヴィーはすごく怒ってたんだよ」
 しみじみ呟くと、オリバーはしたり顔で頷いた。
「本当なら今頃、ガロとセルヴァに挟まれた、アンデル海峡を目指して航海しているはずだったんだ。アンデル島で大きな仕入れをする為にね。ところが、無限幻海に目をつけたキャプテンが正反対に舵を切ったものだから、シルヴィーは腹を立てていたのさ」
「大きな仕入れって?」
「鉱石らしいけど、詳しくは知らない。着いたら説明するって話だった」
「アンデル海峡は、今しか通れないってシルヴィーがいっていたよ」
「うん。あと一、二ヵ月もすれば、アンデル海峡は氷結するんだ。そうなったら巨大な砕氷艦でもないと通れなくなる。無限幻海に寄り道していたら間にあわないんだよ」
「そうなの……どうやって、仲直りをしたんだろう」
「いつものことだよ、キャプテンがシルヴィーを怒らせるのは。でも大体その日のうちに元に戻ってる」
「二人共、すごく恰好いいよね。僕、海賊ってもっと、大きくて、恐くて、髭だらけみたいな……そんな人を想像していた」
 オリバーは笑った。
「あの二人、ガロ海軍士官学校の時から一緒なんだよ」
 初耳である。ガロ海軍士官学校といえば、世界五大学府の一つに数えられる、名門学校ではないか。
「そうなの!?」
「有名な話だよ。キャプテンに至っては、リッキンベル魔法魔術学校まで卒業しているらしいよ。キャプテンの経歴って、そこらへんの貴族よりよっぽど華々しいんだぜ」
 リッキンベル魔法魔術学校も世界五大学府の一つだ。そんな名門校を二つも卒業しているなんて、とても信じられない。
「二人共、海軍士官学校に入ったのに、海賊になっちゃったの?」
 ティカには不思議だった。サーシャは生前、ガロ海軍士官学校をでれば、薔薇色の未来を約束されていると話していた。
「無限海を自由に航海したい冒険者には、海賊業はうってつけだからね」
「自由な航海、かぁ……」
「無限に続く海の果てを、未だ誰も見たことがない。発見されていない新大陸も山ほどあるんだ。俺たちは、夢に溢れた大航海時代に生きているのさ」
 オリバーの海のように青い瞳は、夢を映して煌めいている。ティカもだいだいの瞳を輝かせた。
 ヘルジャッジ号は、世界の大海原を駆ける海賊船だ。この船には、灰色の幸福館にはなかった、夢と希望が山ほど詰まっている。
「第一、あんな破天荒な人が、規律に縛られた海軍で働けるわけがないよ」
 オリバーの言葉に、ティカは目を瞬いた。
「そうかなぁ。キャプテンなら、海軍に入っても活躍したと思う」
「そうかもしれないけど、海軍に入ったら兵役あるし、どんなに登り詰めても、上官命令から逃げられないじゃん。大艦隊の提督になったって、ラファエリ国王に“ビスメイルを攻めよー”って命令されたら、休暇中だろうが出撃しないと」
 ビスメイルはティカの母国、ガロ=セルヴァ・クロウ連合王国――通称ロアノスと制海権を争っている敵国だ。
 ちなみに、ヘルジャッジ号がロアノスの私掠船しりゃくせんであるように、ジョー・スパーナはビスメイルの私掠船乗りである。
 ティカたち、エステリ・ヴァラモン海賊団と、ジョー・スパーナ率いるブラッキング・ホークス海賊団は宿命の敵同士なのだ。
「海軍士官学校に入る人は、皆そのまま海軍に入るんだと思ってた」
 ティカの言葉に、オリバーは頷いた。
「確かに卒業と共に兵役が課せられるけど、金で解決できるよ。だからキャプテンもシルヴィーも、兵役を免れる為に、結構な額の賠償金を払ったはず。あの二人、卒業を待ってすぐに海賊稼業始めたらしいから」
「なんだか、すごい人生だね」
 ヴィヴィアンはともかく、真面目そうなシルヴィーまで海賊になったのは意外だ。
「先のことなんて、誰にも判りゃしない」
「だったら最初から、海軍士官学校に入らず海賊になれば良かったのに」
「キャプテンは知らないけど、シルヴィーは海軍提督の家系の生まれなんだよ。シルヴィー・ブルヴァンス」
 きょとんとしているティカを見て、オリバーは呆れた顔になった。
「なんで王都で暮らしていたのに、知らないんだよ。めちゃくちゃ有名な名門貴族だぞ」
「王都じゃないよ。山奥の幸福館で暮らしてたんだ」
「それにしたって、知らな過ぎる。とっておきのネタだったのに、話し甲斐がないな!」
 オリバーはつまらなそうな顔をした。
「ごめんよ」
「いいけどさ。ヘルジャッジ号がいかにも無法者の集まりってわけじゃないのは、キャプテンの羽振りの良さと、あの二人が海軍士官学校出ってのもあると思うよ。契約や給金、規律は、海軍を参考にしてるから、海賊船の割に統制がしっかりとれているんだ」
「他の海賊船とは違うの?」
「全然違う。余所はもっと残虐だし、汚いし、設備も整ってない。そんなわけで、ヘルジャッジ号は処女航海から注目されていたよ。行先も不明な航海なのに、船乗り志願者が後を絶たなかったって話だぜ」
「じゃあ、僕は本当に運が良かったんだなぁ」
 ヘルジャッジ号のプラムを齧ったところを、ヴィヴィアンが見ていてくれて良かった。彼がいなかったら、殴られていた上に船にも乗せてもらえなかっただろう。
「だからいったろ? ティカはついているって」
 オリバーは機嫌良さそうにしっぽを揺らした。