メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

15章:アプリティカ - 6 -

 その日、人目を忍ぶようにひっそりと佇む赤煉瓦の建物に、ヴィヴィアンたちは集まった。ここは彼等の隠れ家の一つであり、カーヴァンクル商会の事務所でもある。
 外は冷たい風が吹いているが、広々とした談話室の二つの暖炉には火が灯され、寒いなかやってきた客人たちを温もりで迎えた。
 装飾の少ない質素な内装だが、樫材のテーブルの周囲には、赤い革張りの肘掛け椅子、寝椅子が幾つか置かれ、全体に真鍮の飾りびょうと皺があり、部屋に贅沢な雰囲気を与えている。
 先ず最初に、シルヴィーとサディールがやってきた。二人が雑談していると、ユヴェールとプリシラ、ジゼルの三人がやってきて、会話の輪に加わった。
 陽が暮れた頃にヴィヴィアンとティカが訪れ、次にアマディウス、最後にロザリオがやってきた。
 全員がそろった時、すっかり夜も更けて、満点の星々が天空に浮かんでいた。
 天井から鎖で吊るされた燭台のなかの石油ランプが、テーブルや部屋で寛ぐ彼等に、静かな光の環を投げかけている。
 ティカは初めて見る部屋だが、なんとなくヘルジャッジ号のごった返し部屋――食堂兼談話室を彷彿させ、我が家にいるように寛いだ気持ちになれた。
「それで、どんな男だった?」
 昼間の襲撃の件を一通り聞いて、シルヴィーが訊ねた。
「外套と覆面で顔を隠した、四人組の大男だ。そのうちの二人は銃で撃ったが、血も流さず、怯みもしなかった」
「本当に人間か?」
「たぶんね。一言も口をきかなかったが、妙な呻き声だったな。覆面から覗くのは目だけで、異様だった。少なくとも地元の人間じゃない。訓練を受けた手練れだ」
「護衛をつけないから、そういう目に合うんだ」
 叱るようにシルヴィーがいうと、ヴィヴィアンは肩をすくめた。
「そうなんだけど、休暇にきたっていうのに……でも、改めるよ。ティカといるところを狙われたんだ。目的はティカかもしれない」
 全員の目がティカに集まり、ティカは緊張して背筋を伸ばした。
「二人とも護衛が必要だ。競売会も近いし、色々な人間がアプリティカにやってくる。この時期は、のどかな田舎町だと油断しないほうがいい」
「肝に銘じておくよ。次はない」
 ヴィヴィアンは深く息を吐いたあと、ユヴェールを見た。
「そっちは何か判った?」
「ええ、顧客リストを手に入れましたよ」
 ヴィヴィアンはユヴェールから書類を受け取ると、火のついていないパイプを噛み直し、じっくり目を注いだ。
「さすがユヴェール、よくまとめてくれたね……ふーむ、東欧系スラヴの武器商人が混じっているが、どう思う?」
 紙面をのぞきこんでいたシルヴィーは、思慮深げに顎を撫でた。
「骨董と金品以外に、彼等の目を引く品物が競売にだされるのかもしれないな」
 興味をひかれたロザリオも紙面をのぞきこみ、リストを眺めて目を瞠った。
「見ろよ、ビスメイルの買手バイヤーの名前が五つも並んでるぜ」
「宝石目当て、ってわけじゃなさそうだな」
 シルヴィーもリストを覗きこみ、訝しげにいった。
「競売会は、昼の部と夜の部があって、夜の方は会員制です。裏競売会とも呼ばれ、法外な商品が並ぶこともあるとか」
 ユヴェールの言葉に、法外な商品ね……とシルヴィーは相槌を打った。ヴィヴィアンは別件での調査報告を思いだした。
「そういえば、ブラッドレイの情報によると、人魚をいれた水槽が先月アプリティカに移送されたらしい」
「「人魚?」」
 幾つかの声が重なった。
「そう、人魚。運搬した男がいうには、伝説通りに下半身には尾ひれがついていて、水中で泳いでいたそうだよ」
「その男は酔っ払っていたんじゃないか?」
 シルヴィーは表情を変えずに、不確かな情報を一刀両断した。
「真偽は永遠の謎だ。なぜなら、その男は先週溺死しているからね。信憑性が増したと思わないか?」
 シルヴィーは一笑に付して、
「馬鹿馬鹿しい。口封じに殺されたとでもいうつもりか?」
「人魚だなんて、普通なら考えられない、というところだが、興味深いことにティカが森で人魚の幻影を見たらしい」
 ヴィヴィアンの手が肩にのり、ティカは大きく頷いた。
「オデッサという女の子です。彼女は狭い水槽のなかに閉じこめられていました」
「その幻影とやらは、ティカしか見ていないのか?」
「えっ? はい……」
「悪いが、それだけじゃ信じることはできないぞ。俺が納得できるだけの材料はないのか?」
 シルヴィーは動じない。じっと見つめられて、ティカの方が怯んでしまった。ヴィヴィアンは励ますようにティカの肩を叩き、
「シルヴィーの疑問も尤もだが、ティカのいうことも可能性の一つとして考えてみようよ」
 シルヴィーは反論を控えて考えるそぶりを見せたが、今度は回転肘掛椅子に座っているアマディウスが、くるりと椅子を回転させてティカを見つめた。
「考える以前に、人魚がいるはずがないと思うよ。幻覚を見たのだとしたら、それが見間違いか、よくできた偽物じゃない?」
 ティカは困った顔をしていたが、閃いたように表情を変化させた。
「そういえば、オデッサは自分のことをまがい物だっていっていました。僕の瞳には人魚に見えたけれど……」
 アマディウスは訝しげに眉をひそめた。
「まがい物? ……ふぅん、よくできた模造品かな?」
「模造品?」
 シルヴィーは胡乱げに尋ねた。
「だって、本物のはずがないでしょ。なら、人工的に作られたものじゃない?」
「どうやって?」
「考えられるのは、禁断の錬金術、命の錬成かな。人魚の合成獣キメラを、どこかの誰かが造ったんじゃない?」
「狂気の沙汰だ」
 シルヴィーはおぞましいものを見るような目でいった。
「……ただの幻覚だろう」
 ロザリオも否定的である。
「仮定の話だよ。というか、僕が造ったわけじゃないぞ。そんな目で見ないでくれたまえ」
 アマディウスは肩をすくめて反論した。
「仮に合成獣キメラだとして、どこの誰が、そんなものに手をだしたと思う?」
 ヴィヴィアンの問いに、シルヴィーは疑わしそうな視線を送った。
「どこの誰だか知らないが、あんたとは気があいそうだな」
 親友の皮肉に、ヴィヴィアンは肩をすくめてみせた。
「俺は魔道にも魔術にも興味はあるけど、そこまで悪趣味じゃないよ。ただ、もし本当に作れたのだとしたら、恐るべき技術だ。潤沢な資金と設備、権力を兼ね備えていないと――」
 ヴィヴィアンは不意に黙りこみ、リストを眺めながら思考の迷宮へと彷徨いだした。再び顔をあげると、
「人魚が造れるなら、他にどんなものが造れるのかな? 軍事関連の招待客が多いことから推察するに、大量殺戮兵器でも開発していたりして」
「あんたの妄想癖も磨きがかかってきたな」
 シルヴィーがうんざりしたようにいうと、ヴィヴィアンはにやりと笑った。
「君の鋭い切り返しもね。だけど、否定はできないだろう?」
「妄想の域をでてもいない」
「妄想かどうか調べてみようよ。エリア―シュもいっていたじゃないか、ビスメイルが生物兵器の開発しているって」
「人魚が生物兵器とでもいうのか?」
「今の段階では、肯定も否定もできないよ」
 シルヴィーは面倒そうな表情で唸ったが、まぁまぁとユヴェールが宥めた。
「クライ・エメラルドを出品するのですから、不安材料を放置するわけにはいきませんよ。キャプテンのいう通り、真偽を確かめましょう」
「……確かに、気にはなる。その人魚が裏競売会に並ぶとして、誰がどうやって仕入れたんだ?」
 シルヴィーの言葉に、沈黙が流れた。やがてヴィヴィアンは自分の膝を叩き、
「勘だけど、アダムが怪しい。まぁ、調べてみないことには、判らないね」
「信頼のおける競売会と思ったんだが、とんだ不安要素があったものだな」
「それじゃ、調べてくれる? 誰が人魚を提供したのか、彼女はどこにいるのか、果たして合成獣キメラなのかどうか」
「要求が多いな」
 乗り気でない親友を見て、ヴィヴィアンは非の打ちどころのない微笑を美貌に浮かべた。
「友よ。君の明晰な頭脳なら、困難の二つや三つ同時に処理できると俺は信じているよ」
 芝居がかった台詞は、シルヴィーの精神を余計に削ったが、彼等のこうしたやりとりは、もはや何かを計画する際の通過儀礼と化していた。
「……いいだろう。調べてみるさ」
 シルヴィーは不承不承頷き、片手で眉間を揉んだ。
「よし。合成獣キメラに関しては、アマディウスも調べるのを手伝ってくれ」
「えぇ?」
 露骨に嫌そうな顔をするアマディウスに、ヴィヴィアンは穏やかにほほえみかけた。
「ティカがいうには、人魚の瞳は宝石のように美しかったそうだよ。古い伝記には、人魚の声や涙には魔力が宿るというよね……興味はない?」
 その囁きの効果は絶大だった。
「あるとも」
 アマディウスは紫水晶の瞳を煌めかせ、前のめりで聞く姿勢になった。
「裏競売会の情報がほしいな。プリシラとジゼル、それからユヴェール。カーヴァンクル商会として、アダムに近づいてくれる?」
「判りました。やってみましょう」
 穏やかに青年紳士が応え、
「「了解アイ、キャプテン」」
 ジゼルが不敵に笑い、プリシラはおっとりほほえんだ。
 彼等にシルヴィーは警告の眼差しを贈った。
「あまりヴィーを甘やかすなよ。際限なく要求されるぞ」
「酷いなぁ、シルヴィー。俺だって協力するさ。調査に難航するようなら、国家権力を匂わせていいからね」
「国家権力? 国王に頼む気じゃないだろうな」
 シルヴィーは殺人光線のような視線でヴィヴィアンを睨みつけた。
「ははは、名前を借りるだけなら無料ただだからね」
「ユヴェール、こいつの言葉は聞き流せ」
 シルヴィーの容赦ない言葉に、青年は控えめにほほえんだ。
「ロザリオとサディールは、有事に備えて戦闘準備をしておいてくれる? 船は造船所に預けてあるから、代わりの車と機関銃、小銃ライフル、夜間用の暗視装置ナイトビジョン、一式そろえておいて」
 サディールは頷いたが、ロザリオは面倒そうな顔をした。書架にもたれていた身体を起こし、葉巻を灰皿に押しつけ、
「俺も働くのかよ。やれやれ……船を降りたっていうのに忙しいな。アプリティカで休暇するんじゃなかったのか?」
 ぼやくロザリオに、ヴィヴィアンはすまなそうに笑みかけた。
「頼むよ、ロザリオ。君の協力が必要なんだ。消音器、閃光弾、いざという時の破砕手榴弾、遅延信管も頼む」
「おいおい、城でも襲撃するのか?」
「備えあれば憂いなしだ」
「アイアイ、キャプテン。遂せの通りに」
 ロザリオは諦め半分、おざなりな返事をした。ヴィヴィアンは笑顔になり、
「ありがとう、諸君。万事解決すれば、巨利を手に入れ、人魚を手に入れ、アダムとのコネもできる。一石三鳥の価値はある労働だよ!」
「あんたは相変わらず意味不明に自信家だな」
 胡乱げな表情をしているシルヴィーを振り返り、ヴィヴィアンは片目を瞑ってみせた。
「色々準備はしておくけど、競売会を台無しにするつもりはないから、そこは安心してくれていい。まとまった航海資金を作っておきたいしね」
「だが、あとから裏競売会が明らかになれば、面倒なことになるぞ」
「なんとかする。ともかく、何があっても予定通り競売会は終わらせよう。アダムをどうこうするにしても、その後だ」
 永い議論の間、ティカは額に八の字を寄せ、一語も聞き漏らすまいと、一心に耳を傾けていた。半分も理解できなかったが、彼等が次第に計画に乗り気になり、オデッサの救出作戦が現実味を帯びてきたことは肌に感じられた。
 高揚感でうずうずしていたティカは、会話に区切りがつくと、ようやく口を挟む機会が到来したと思い急いでいった。
「キャプテン! 僕は何をしましょう!」
 元気よく挙手するティカに、生暖かい視線が集まる。だいだいの瞳を期待に輝かせている少年の肩に、ヴィヴィアンは手を置いた。
「ティカには重要な任務があるよ。くだんの人魚の行方を知る、最たる手掛かりはティカだからね。その摩訶不思議な千里眼で、何か視えたらすぐに教えておくれ」
「アイ、キャプテン!」
 ティカはやる気に満ち溢れた返事をした。
「しっかりやれよ。掴まっている場所が判れば教えてくれ。探す手間が省ける」
 ロザリオが肩を叩くと、ティカは張り切って頷いた。
「任せてください!」
 ヴィヴィアンは少年の決意を讃えるように、拍手を送った。
「よし、決まりだ。諸君、新年を迎えるまで、もうひと働きしようじゃないか」
 方針が決まった。皆の視線がヴィヴィアンに集中する。
「「アイ、キャプテン」」
 彼等は異口同音に唱和した。