メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

10章:ナプトラ諸島沖合海戦 - 5 -

「もう一度聞くけど、ジョー・スパーナの命令で、攻撃したわけ?」

「ハッ! エステリ・ヴァラモン討伐命令なんざ、半年も前から全船団に出されてる。あんたらに懸けられた賞金を聞けば、誰だって挑むさ。無限幻海の秘宝も積んでるって噂だしよ! しかもジョー・スパーナの目の仇だ。首を持ち帰りゃ、ビスメイルがたんまり褒賞くれんだッ」

 唾を吐きかねない勢いで男は喚いた。必死な様子を見て、ふぅん、とヴィヴィアンはどうでもよさげに呟いた。

「要は君の独断なわけね……よし、決めた。お前に課す罰は、死の恐怖と孤独だ」

 縛り上げられた男の前に立ち、ヴィヴィアンは気安い口調で応えた。訝しげに眉をひそめる男に、水夫に持ってこさせた潜水服を披露する。
 その後ろには、玲瓏れいろうとした美貌の青年、アマディウスもいる。滅多に甲板に姿を見せない彼だが、潜水服の設計をした本人なので、この場に呼ばれたのだろう。

「これを着て、深海へ沈むがいい」

 天使の如し美しい笑みで、ヴィヴィアンは恐ろしいことを口にした。
 申し渡された男の頬が、緊張に強張るのが判る。物陰に潜んだまま、ティカも生唾を呑み込んだ。

「服の性能を計る試験だ。失敗すれば圧死して、内臓が飛び散るだろうよ。服に問題なけりゃ、潜れるだろ」

「ちょっと。僕の設計に問題なんてないよ」

 聞き捨てならぬとばかりに、アマディウスは口を挟んだ。

「もちろんだとも。そいつをこれから、証明するのさ」

 愉しげにヴィヴィアンが笑うと、アマディウスは眉をひそめてパイプを咥え直した。
 筋金入りの愛煙家たる彼は、こんな時でも紫煙をくゆらし、気だるげに水夫達に指示している。嫌がる男を兄弟達は押さえつけ、潜水服を着用させていった。

「水圧を乗り越えても、お前が見る世界は昏くて深いぞ。水深三百メートル、群れ成すふかもいる。運悪く遭遇したらそれまでだ」

 おどけるように、ヴィヴィアンは肩をすくめた。
 男は悪魔を見るようにめつけているが、強張った顔からは血の気が失せている。

「判るかい? 鱶の群れをくぐりぬけて、水深一千メートル。四方よもは闇、未知の魚影を見るだろう」

「誰が行くかッ」

「いいかい、潜るんだ。おめでとう、無事に辿り着いた水深三千メートル。どんな世界だと思う? 一条の光も届かぬ暗闇だ。正気を保てるかな?」

「黙れッ!!」

 とうとう潜水服を着せられて、男は憎々しげに吠えた。

「一撃必殺、恐ろしい顎を持つめしいの魚の棲家でもある。水棲海獣リヴァイアサンにも会えるかもしれないね」

「畜生ッ!!」

「四肢に重石をつけて沈めてやろう。その服の最大潜水深度は六千メートルだ。ところがブルーホールは水深一万メートルの超深海層。さぁて、無事に還れるかな?」

 男は瞳に憤怒の光りを浮かべている。怒りと恐怖に弄ばれ、身体をぶるぶると震えさせ始めた。

「……すごく高価な潜水服だから。粗相をして、汚したりしないでくれよ」

 悲壮な顔つきの男を眺めて、アマディウスは冷然且つ淡々と懸念を口に乗せた。
 戦意を挫かれ、恐怖する男の様子を見ても、ヴィヴィアンは容赦しない。船員を見渡して、美貌に笑顔を閃かせた。

「よし、俺が許す。賭けをしよう! この男は果たして、生きるか死ぬか?」

 明るい口調で、死刑宣告も同然の、命の賭け事を提案する。
 男はもう、言葉も出ないらしい。死人も同然の顔色でヴィヴィアンを見ている。

「圧死で内蔵破裂に、五万ルーヴ!」

 意気揚々と誰かが即答した。

「水深三百で気絶したままあの世逝きィッ! 十万ルーヴだ!!」

「鱶に食われて死亡に、十万ルーヴ!!」

「深海魚に食われるに、五万ルーヴゥッ」

 次々に声が上がる。男はもはや青色吐息、瀕死の形相で喚いた。

「ふざけるなッ! やめろぉッ!!」

 その光景は、ティカの心を重くした。
 あの男はヘルジャッジ号に喧嘩を売って、味方を傷つけた敵の親玉だ。そうと知っていても、怯えて悲歎ひたんする男を、よってたかってなぶっているように見えてしまう。
 いよいよ男の四肢に重石がつけられた。
 船縁に向かって小突かれる背中を見て、ティカは我慢できずに物陰から飛び出した。