メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 8 -

 薔薇の女王対決は白熱した。
 興奮した聴衆が、飛んだり跳ねたりするので、長身のオフィーリアでも背伸びしないと視界が悪いくらいであった。

「未熟な蕾を摘み取るのは、罪かしら。道草に咲く野茨など、私を前にしては背景も同然。視界に入っても三歩ゆけば忘れるわ」

 緋色の罪は、嫣然えんぜんと微笑んだ。艶めいた笑みを、はっ、と鼻で笑い飛ばすと、ロザリアは腰に手を当てて胸を反らした。

「美貌を楯に傲慢に振る舞う薔薇は、腐れば路草よりも悪臭を放つのでしょうけれど」

 可憐な外見に反して、機知に富んだ斬り返しで応じてみせる。更に鼻をつまんで、臭いものを堪えるように顔を顰めてみせた。
 どっと会場から笑い声が上がる。
 痛烈にやりこめられ、アガレットは苛立ちを抑え込むように、扇子を拡げて口元を覆った。
 薔薇の女王に君臨し続けたアガレットに、これほど喧嘩腰で挑んだ精霊は未だかつていやしない。
 会場から、冷やかしの声が続々と上がった。女王の反撃を期待しているのだ。
 双方の間に、見えぬ火花が散った!
 次の火蓋は、アガレットから切って落とされる。悩ましげに吐息を吐くと、燃える炎のような花弁を一斉に散らした。
 緋色の罪に相応しい、深みのある天鵞絨びろうどの真紅が咲く。
 星明かりの魔性をもらい受けて、薔薇の女王は艶冶えんやにほほえんだ。

「求めるばかりが愛ではないわ。真実の愛は、捧げるもの。慈しむもの。傍に侍り、見守るものよ」

 恋をする乙女のように歌うと、アガレットの気性を知る精霊達は、驚きに眼を瞬いた。
 誰にも屈しない、孤高に咲く薔薇の精霊が、その心を捧げるのかと。更にアガレットは続ける。

「黄昏の君。麗しい方。吹きすさぶ嵐を照らす、一条の光。音楽のように優しい貴方。唇から零れるたえなるがくは、私の心を慰めてくださる」

 炎のように気高く、凛とした女王の姿からは遠い、その儚げな姿は見る者の眼を奪った。

「お姉様。野茨の棘を甘くみないでくだる? 古の魔法の雫を浴びたこの身は、どんな婀娜花あだばなよりも深く艶やかに咲けるのだから」

 瑞々しくも勝気な斬り返しに、聴衆は手を鳴らして喜んだ。アガレットの瞳に闘志が灯る。

「道草の遠吠えなど、崇高な想いの前には雑音も同じ。貴方は、夕闇に咲く、清楚な一輪の花。私を惑わし、導いてくれる運命の女神。陽が翳っても、その輝きは損なわれないのだわ」

「今さっき気付いた鈍い人が、運命だなんて愉快な話。夜に輝く花であると、私は創世記の頃から知っておりました」

 わざとらしく、慇懃な口調でロザリアが応じると、観衆から笑い声が上がった。
 繰り返される応酬の、定型となりつつある。アガレットが美しい詩で観衆を魅了すれば、ロザリアがからかうように詩を返して聴衆を沸かせる。
 悠久に暮らす精霊は、古典と同じくらい機知を好むのだ。
 文学的熱気は次第に高まっていった。聴衆は瞳を輝かせて舞台を見つめている。

「貴方というひとを、夏に喩えてみましょう。朝は爽やかに梢を揺らし、昼は葉を拡げて、暑い日射しを遮ってくださる。闇のとばりが下りれば、青銀の月に姿を変えて、熱帯夜に蒼い涼風を運んでくださる」

 美しい詩の韻律に、聴衆から感嘆の溜息が聞こえた。それに臆することなく、ロザリアは口を開いた。

真実ほんとうの詩は、大仰な言葉で飾りたてる必要なんてない。あるがまま、見たままを伝えれば、ほほえんでくれる。私の……健気な人は、そういう人だから」

 技巧の効いた詩の後に、その素朴な声はよく響いた。
 これまでのお茶目な仕返しとは違う、一途な詩は、耳を傾けている観衆の心を打った。
 しんと会場は静まり、感嘆のため息が落ちる。
 次の瞬間、割れんばかりの喝采が起こった。
 一進一退の小気味良い、白熱した詩の応酬に、観衆は口笛や拍手を盛んに贈っている。

「ロザリアも、やるじゃないか」

 感心したように呟くアスティーの言葉に、前を向いたままオフィーリアも頷いた。
 詩比うたくらべを見るのはこれが初めてだが、オフィーリアの瞳にも、ロザリアは善戦しているように見える。
 善戦どころか、七冠している薔薇の女王に対して、一歩も引けをとらず大接戦を展開している!
 華麗な詩の舌鋒ぜっぽう合戦は注目を集め、瞬く間に円形舞台は観衆で溢れかえった。見晴らしの良い木々に登り、眺めている者までいる。
 詩の応酬が続くうちに、観衆は疑問を募らせた。
 この情熱的な詩を捧げられている想い人、“貴方”、すなわち“黄昏の君”は、どのような姿なのかと……
 次第に、オフィーリアの居心地の悪さは増した。
 何せ、アガレットもロザリアも、こちらばかりを見つめて、時には手を差し伸べ歌うものだから、自然と会場の視線は一方向に吸い寄せられる。

(み、見られてる、見られている……!)

 強い好奇の視線が顔に刺さり、オフィーリアは窒息しそうな心地で俯いた。仮面をしていても、こうも注目されては堪らない。
 しかも、背中にもちくちくと、咎めるような視線を感じるのだ。こちらの重圧は、もっと酷い。

「モッテモテだなぁ……いっそ、君も舞台へ上がったらどうだい?」

 無神経なアスティーの言葉に、オフィーリアはむっと顔をしかめた。

「無理にきまってるでしょ」

「でもよぅ、ここにいたって、視線を集めるだけだぜ。思い切って、恋の乱気流に乗ってこいよ! ぶぅーんッてな」

「……」

 両腕をぱたぱたさせているお調子者の妖精を、オフィーリアは白けた眼差しで見下ろした。
 しかし、彼の言葉にも一理ある。ここにいても、仲裁はおろか、観戦もそろそろ限界であった。
 もしかして、この方が……そんな声を耳に拾い、オフィーリアはついに駆け出した。

「おい、フィー!」

 背中に呼び止める声を聞いたが、構わず走り抜ける。

(ロゼ、ごめんなさい! 応援しているけど、逃げさせてッ)

 心の中で詫びながら、オフィーリアは群衆の輪を抜けて、一目散に森へと駆け込んだ。