メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 3 -

 薔薇際は華やかに幕を開けた。
 たわわわに咲き零れる、眼にも彩な薔薇の百花繚乱。
 庭園には、大勢の仮装した精霊達がひしめいている。精霊界中の薔薇の精霊が招かれているのだ。それぞれが、異なる花弁と色味、芳香を持ち、多種多様な薔薇は万を越えるともいわれている。
 仄かな桃色のエメ・ヴィベール、柔らかな白色の西王母、清浄無垢な純白の不二、可憐な蔓薔薇、天鵞絨びろうどのように赤いアルティシモ、慎ましやかな原種の薔薇達……ありとあらゆる薔薇が集っている。
 彼等は、訪れる精霊達に薔薇を一輪贈りながら、どうか私を選んでくださいね、とお願いするのだ。
 薔薇の女王は、来訪者からの得票により選ばれる。
 すなわち、最も多く身に着けられている薔薇の主が、女王の名を冠するのだ。
 薔薇の精霊による、熾烈な戦いは既に始まっている。
 熱心な彼等はライバルを牽制しつつ、来訪者達の気を引こうと艶やかな笑みを浮かべ、立ち姿や歌を披露している。
 薔薇の女王に七冠しているアガレットは、濃い赤の更紗を翻し、訪れる者の瞳を奪っていた。彼女の信奉者たちが、列をなして群がっている。世界樹宮で最も注目を集めているのは、間違いなく彼女だろう。
 宴の輪から離れたところで、オフィーリアはその様子を眺めていた。

「ロゼは、薔薇を渡さなくていいの?」

「興味ないよ」

 艶やかな黄金色の衣装を着た美しい少女は、気のない返事で応えた。
 すっかり大人びた美しい横顔を、普段からは想像もつかぬ華やかな装いのオフィーリアが、思案気に眺めている。
 今夜の衣装は、アシュレイに贈られたものだ。
 露出を押えた絹の衣装は、控えめながら、星屑のように煌めき、見る者の視線をさり気なく奪う。
 ほんのりと輝く白い衣装の背には、魔法による玻璃の羽が生えており、着飾ることに興味のないオフィーリアも、少なからず胸を高鳴らせた。
 髪も華やかに結い上げ、月桂樹で編んだ冠を乗せいる。緑の冠の中には、赤い薔薇が一輪。最初は、召使が青薔薇を用意したのだが、

「そんな薔薇より、ロゼの薔薇の方が好きでしょ?」

 かわいらしく拗ねて、真紅の薔薇を差し出したのだ。ロザリアの薔薇は、瑞々しく、美しい花色で華やかに香っている。

「もし、私に気を遣っているのなら、遠慮しなくていいのよ?」

 美しい薔薇を咲かせられるのに、オフィーリアと並んで壁の花でいては勿体ない。

「してないってば」

 ロザリアは不服そうな顔で応えた。

「でも、ここにいては、薔薇の女王に選ばれないかもしれないわよ?」

「フィーと一緒にいる方がいい」

 真っ直ぐな言葉が嬉しくて、豊かな金髪を撫でると、ロザリアは嬉しそうにひっついてきた。離れている間に大人びた少女だが、甘えたなところは変わらない。

「いつも傍にいてくれてありがとう。貴方は、私の大切な友達。綺麗でかわいくて、本当に大好き。薔薇の女王に選ばれなくても、私にとっては、絶対にロゼが一番」

 頭の天辺にキスを落とすと、ロザリアは嬉しそうに高い声を上げた。

「フィーに薔薇の祝福がありますように!」

 ロザリアは恭しくオフィーリアの手の甲に唇を落とした。

「ロゼにも、祝福がありますように」

 見つめ合い、眼を和ませていると手を引かれた。

「踊ろうよ!」

「でも……」

「平気だよ、仮面をつけているし。誰も見ていないから」

 笑顔に励まされて、オフィーリアは苦笑を浮かべながら足を踏み出した。
 喜びの熱気と、むせかえる濃密な薔薇の香り。
 誰も仮面をつけたオフィーリアに注視しない。密かに安堵しながら、輪に加わった。
 美しく着飾る精霊達も大勢いるが、眼の冴えるような原色や、独創的で奇天烈な格好をした精霊も大勢いる。
 蔦の絡まる四阿あずまやの下で音楽を奏で、或いは、宙に浮かび上がり軽やかに舞っている。

「……ロゼは、本当に薔薇を渡さなくていいの?」

 薔薇を贈る精霊を見て、オフィーリアは今一度尋ねた。

「選ばれなくていいもん。フィー、踊ろう!」

「あっ」

 オフィーリアの手を引っ張り、ロザリアは精霊達の輪に加わった。怖気ずくオフィーリアに構わず、軽快にステップを踏み始める。

「誰も見ていないよ! 楽しもう」

 演奏者も踊り手も、次から次へと変わった。
 背の低いドワーフが月の角笛ホルンを鳴らすと、鹿の聖獣が、涙滴型の竪琴シタラをつま弾く。次から次へと奏者は変わり、甘美な音楽を漂わせている。
 魔法のような七重奏。
 躍っているうちに、いつの間にか心は浮き立っていた。
 澄んだ音楽は、沈んだ気持ちを軽くしてくれる。
 珍しく、笑い声を上げるオフィーリアを見て、ロザリアも鈴の音のような笑い声を上げた。