HALEGAIA

7章:楽園コペリオン2 - 1 -

 エポックとなるような文化祭を終えて、ミラの人気は爆発的に高まった。
 文化祭の終わった夜にはバンド演奏の動画が、軽音部のアカウントとミラの運営する陸上部の公式アカウントからSNSにアップされて、瞬く間に広まり、海の波濤はとうを越えて世界中でシェアされた。
 悪魔軍のインパクトはもちろん、なんといってもセンターで歌っているミラがすごかった。菫色の瞳の絶世の美少年が、プロ級のピアノ演奏で魔性の歌声を披露している動画に、世界中から称賛と憧憬のコメントが寄せられた。
 週末をアドリア海の別荘でミラと共に過ごしていた陽一は、日曜日の夕方になって、SNSがお祭り状態な事に気がついた。起きている間はミラに構われ、襲われ、抱きつぶされて、SNSを見る暇がなかったのだ。
 ミラのアカウントには、芸能事務所や音楽事務所、テレビ局から映画制作会社まで、ありとあらゆるスカウトが大量に届いていたが、ミラは一切興味を示さなかった。豪胆というか、奔放というか、鋼のメンタルを少し羨ましく思う。小心者な陽一は月曜日が怖いような、わくわくするような、なんとも落ち着かない心地で眠りに就いた。

 月曜日の朝。
 いつものようにミラと一緒に登校した陽一は、案の定、いつも以上に熱視線を浴びることになった。注目されているのはミラなのだが、必然、隣にいる陽一にも好奇の目は向けられる。朝から熱烈なファンが押し寄せてくるので、ミラは魔術的方法で彼等を少しばかり牽制したりもした。
 一年五組の教室の扉を開けると、クラスの視線が一斉に集まった。
「よっちゃん、おはよー。ついに魔王君とつき合い始めたの?」
 啓介に笑顔で訊かれて、陽一は目を丸くした。ミラに肩を抱かれている事に気がついて、慌てて離れる。
「いや、くる途中ミラのファンがすごくてさ、もみくちゃにされそうになってさ」
 照れ照れしながら陽一が弁明すると、ミラは愛おしげに目を細めた。
「陽一は僕が守るからね」
 彼のドスレートな愛情表現はいつものことだが、今日に限って、陽一はうまく躱すことができなかった。ただただ赤くなって視線を彷徨わせる。
 ふたりの間に流れるなんとも甘酸っぱい空気に、クラスメイトたちはティンときた。早速、熱狂的ミラ信者である栗原ひなのは陽一に近づいていくと、
「おはよう、魔王様と遠藤くぅ~~ん?」
 笑顔が怖い。語尾に圧を感じる。
「おはよ、栗原さん……」
 びびりながら陽一は挨拶を返した。栗原は陽一に顔を寄せると、
「魔王様とつきあい始めたって、冗談だよね?」
 女子にしては低い声で訊ねた。陽一はちょっとたじろいたが、意を決して栗原ひなのを真っすぐに見つめた。
「……うん。俺、ミラとつきあうことになったよ」
「「え――ッ!!???」」
 教室に激震がはしる。クラスメイトたちのなかで、潔く認めた陽一のイケメン度があがった!
 目を丸くしている栗原を見て、陽一はさらに続ける。
「前に栗原さんに訊かれたときは、曖昧に答えちゃったけど……俺も、俺から告ったから」
 照れながらも陽一がきっぱりいうと、啓介がぽんと肩を叩いた。
「おめでとう、よっちゃん」
 なぜか、次々とクラスメイトが近寄ってきて、ポン、ポン、ポン、陽一の肩をポンしていく。
「遠藤君のこと、これからはトキメキ番長って呼ぶわ」
 宇佐美渚がいった。
「いや、何で?」
 思わず陽一は素で訊ねた。
「いやもう、遠藤君と魔王様を見ていると、胸キュンっていうか、ぎゅっ!! ってなるっていうか、もう苦しい」
「わかる~~っ」
 星るなが相槌を打った。
「わかんないッ! 魔王様とつきあうとか、何それッ!? 意味わかんない! ぜぇったい赦さない!」
 栗原が震えながら悲鳴をあげた。
「赦す? 僕と陽一の関係に、なぜ他人の承認が必要なの?」
 ミラが冷笑的に訊ねると、栗原はびくっとした。ミラの追撃する雰囲気を察して、陽一はミラのくちを手で覆った。そして泣きそうな顔をしている栗原を見て、眉をさげた。ごめん、と謝るのは違うだろう。
「俺、ちゃんとミラが好きだから」
 真剣な顔で告げる陽一の隣で、ミラが感動している。固唾を飲んで見守るクラスメイトたちのなかで、またしても陽一のイケメン度があがった!!
「僕と陽一は身も心も結ばれたんです」
 ミラが陽一をぎゅっと抱きしめたとたん、ワッ、と教室が湧いた。腕のなかで、陽一は真っ赤な顔でミラの口を覆うが、いまさらだった。
「うぇ~~~ん、遠藤君のバカ~~~!」
「よしよし、元気だしな。ひなぴょ」
 姉御肌な宇佐美が、栗原を抱き寄せた。舞台じみた仕草に見せながら、栗原は、失恋の涙を流していた。
 ――彼女は、本当は最初から知っていた。
 ミラが転校してきた日、彼は、陽一をソウルメイトだといったのだ。そんなのもう、告りだ。それでも陽一は男だし、本人もミラの好意に戸惑っている様子だったから、万が一にも自分にもチャンスがあるかもしれないと一縷いちるの希望を抱いたのだが……ミラはいつだって陽一しか見ていなかった。難攻不落の魔王は、陽一にだけ特別な顔を見せる。最初から勝ち目なんてなかったのだ。
「――遠藤君!!」
「はいっ」
 陽一は緊張気味に栗原を見た。
「魔王様を大事にしてよ。じゃないと赦さないんだから!」
「うん。判った」
 陽一が頷くと、がばちょ! ミラが感極まったように陽一に抱きついた。
「陽一っ」
「うぅ……いいなぁ。私も魔王様と両想いになれる世界線にいきたいよぅ……」
 すんすん泣いている栗原を、宇佐美が慰めている。ほかにも泣いているガチ恋勢の女子はいたが、大抵の女子は祝福ムードだ。
 予鈴が鳴り、ホームルームの時間にやってきた山中先生は、出席をとる前に先ず陽一とミラを見て、祝福の笑みを浮かべた。
「遠藤、魔王君とつきあい始めたらしいな。おめでとう」
「あざッス」
 なんで先生まで知っているんだろう? 疑問に思いつつ、陽一は頭をさげた。
「「おめでとーっ!!」」
 クラスメイトはやんやの喝采を送ってくる。女子はともかく、男子はにやにやして面白がっている奴が多い。
「いやはや、すっかりこの学校の名物だなぁ」
 山中先生が笑う。
 もはや学校公認である。数日もすれば落ち着くと思う……思いたいが、この日ばかりは注目の的だった。
 静かなのは授業中の間だけで、休み時間のたびに一年五組は千客万来、昼休みも陽一とミラの後ろをついてくる生徒が大勢いて、まるで大名行列。ミラが転校してきた初日に戻ったみたいだった。
 お祭り騒ぎは放課後になっても続いた。音楽雑誌から軽音部に取材があり、文化祭のバンドメンバーが全員集合したのである。
 応接室付近にファンが殺到したため、先生たちは数人がかりで対応に追われた。
 女子たちの歓声、先生の怒鳴り声をBGMにインタビューは始まり、陽一はかなり緊張したが、悪魔たちは普段通りにリラックスしていて、高柳に至ってはたくましく自分を売りこんでいた。
 自身もバンド活動していたという記者は、高校生バンドに興味津々で、とりわけミラに魅惑されているようだったが、ミラは安定の塩対応だった。というか今後の音楽活動について訊かれると、
「文化祭は、陽一がいるから演奏しました。陽一がいないなら演奏しません」
 などと答えるので、当然、陽一に好奇の目が向けられるが、陽一が委縮するのを見てミラは凍えるような視線で記者を黙らせていた。
 どうにか取材が終わり、陸上部の練習も終える頃になってようやく、陽一は息をつくことができた。今日はとにかく、出会う人すべてに声をかけられ、祝福され、弄られ、質問を浴びせられる日だった。
 日も暮れて、下校を告げるトロイメライの緩やかな旋律が聞こえている。
 なんだか気が抜けて、疲労困憊が押し寄せてくるみたいだ。
「陽一、ちょっと寄り道していきませんか?」
 正門に向かいながら、ミラが弾んだ声で訊ねた。
「どこに?」
「錦糸町駅の屋台の塩ラーメンを食べにいきたいんです」
「うまいの?」
「美味しいと評判ですよ」
 陽一は興味を惹かれた。ラーメンは大好物だ。
「うーん……いきたい……けど、今からじゃ、帰り遅くなっちゃうじゃん。家にご飯あるし」
「僕なら一瞬で移動できますよ」
 陽一は黙りこむ。ミラなら、文字通りの一瞬で連れていってくれる。屋台で塩ラーメンを食べて、家に帰ってジョギングをして、夕飯を食べる。余裕でこなせる。
「じゃ、いこっか」
 にこっと陽一が笑みかけると、ミラの表情がぱっと明るんだ。頬に薄く血の色が射し、瞳孔が大きくなり、菫色の虹彩がきらりと光る。ご機嫌な猫みたいだ。
 手を繋いで校門をでると、折悪く、見知らぬ男が近づいてきた。暗い色のスーツを着ていて、ネクタイはしていない。脱色した明るめの髪を尖らせ、御世辞にも品行方正な社会人には見えない。
「こんにちはー、魔王君だよね?」
 陽一は戸惑った顔でミラを見た。ミラは無表情だが、少し不快そうにしている。知り合いというわけではなさそうだ。
「ちょっとだけいいかな? 俺は鮫島っていうんだけど。この間はチケット買ってくれてありがとね。文化祭の動画見たけど、すごく良かったよ。CGかと思ってたけど、実物マジで美少年だね!」
 興奮気味にまくしたてる男に、
「離れて」
 ミラはそっけない返事をすると、陽一の肩を引き寄せ、もう片方の腕で男を押しのけた。待ってよ、といいながら鮫島が正面に立ち塞がる。
「今度クラブでイベントやるんだ。遊びにきてよ、お友達も一緒にさ」
 差しだされたチケットを見て陽一は、鮫島の後ろに見覚えのある男子生徒が数人いることに気がついた。前にミラがチケットを大量購入した“しゃッしゃしゃしゃ――ッス”の不良たちだ。ということは、目の前にいるこの男が、不良たちのいっていた“マジすごい先パイ”?
「いらない」
 黙っている陽一に代わって、ミラが答えた。
「いいから、いいから! かわいい子たくさんくるよ? 魔王君なら遊び放題だよ!」
 鮫島は上機嫌でまくしたてながら、どこか上擦った声でいった。
「ねぇ、邪魔」
 ミラはゾッとするほど美しい微笑を浮かべた。悪魔めく顔に、菫色の瞳が冷たく光るのを見て、“マズい”と陽一は本能的な危険を覚えた。