FAの世界

3章:大水晶環壁 - 3 -

 アーシェルの行動は早かった。厳しい表情で虹に邸からでないよういいつけてから、外へ飛びだしていった。
 残された虹は、落ち着かない気分で囲炉裏前に着座していた。千里を見通す“星を歌いし者タワ・ダリ”から、大水晶環壁から炎があがっていると聞いたあとは余計に目が冴えてしまい、とても寝室に戻る気にはなれなかった。
(炎……山火事か? どんな風に消火するのだろう。周辺住民は避難できたのかな)
 怖い想像をして戦々恐々していると、雷鳥が真鍮のドラのように鳴り響いて、びくっとなる。
 皆の無事を祈っていると、アーシェルが戻ってきた。虹は自分でも意外なほど安堵して、肩から力が抜けるのを感じた。
「お帰りなさい」
「虹様。先ほど大水晶環壁に罅が入ったと、急使から知らせがありました」
「罅? あの巨大な壁に?」
「はい。すぐに斥候せっこうを向かわせます。虹様もいらしてください」
「現地に向かうのですか?」
 靴を履きながら、虹は訊ねた。
「いえ、幸いソードとユシュテルが近くにおります故、虹様に祝福を授けて頂きたいのです」
 祝福? 懸念が頭をもたげたが、虹は別の疑問をくちにした。
「地震でもあったんですか?」
「いいえ、貴金族の攻撃です。水晶核の継承がなされたばかりの今、侵略の好機と狙っているのでしょう」
 一瞬、虹は動きを止めた。
 貴金族――千年続く仇敵の名だ。話には聞いていたけれど本当に攻めてきたのか?
「お早く」
 アーシェルは虹の背に掌を押し当て、歩を進めるよう促した。
 篝火の傍に、黒装束の水晶族が集まっていた。顔が半分隠れる覆面をつけて、武器をもっているので、これから殺しにいく暗殺集団に見える。
 彼らは、いっせいに虹を見た。その視線のあまりの強さに虹はたじろいだ。戦闘前で気が高ぶっているのか、全員がギラギラと血に餓えたような眸をしている。
「ソード」
 アーシェルに呼ばれて進みでた男を見た瞬間、虹は、抜き身の刀剣を間近に見たように、冷やりとしたものを感じた。
 ――中庭で茶を飲んだときとは、別人みたいだ。
 緊張する虹の足元に、彼は物語の騎士が姫に傅くように跪いた。装着していた鍵爪をはずして覆面を指でおしさげると、鋭くも整った冷貌が露わになる。琥珀と翡翠、色の異なる瞳でしたから覗きこむように虹の瞳を見つめると、
「我が水晶の君」
 その一言に籠められた底知れぬ崇敬に、虹はたじろいだ。百戦錬磨を思わせる彼のような戦士であっても、虹の前では、忠実なしもべとして膝を折るのかと、恐れ慄く。
「お赦しいただけますか?」
 低く、落ち着いた美声で囁いた。
 冴え冴えとした瞳は静かに凪いでいて、躁急そうきゅうな苛立たしさは感じられなかった。決断を迫ろうとはせず、ただじっと、虹の表情を注意深く見守っていた。
 けれども、虹がいつまでも蒼白になって震えていると、彼はそっと視線を伏せた。静かに腕を伸ばし、虹の裾をそっと摘まんで顔を寄せる。
 優しく敬愛をこめたくちづけを、くちびる全体で布に押し当てた。
 虹は、ただ見ていることしかできなかった。肌が触れあったわけでもないのに、甘美な抱擁を受けたような気がして、一歩も動くことができなかった。
 ソードは静かに立ちあがると、数歩を後ずさり、茫然自失のていの虹を見て、丁寧に一揖いちゆうした。
 次にユシュテルが立ちあがり、ソードと同じように、虹の前に跪いて裾に敬愛のキスを落とした。
「いってまいります」
 虹はぎこちなく、お気をつけてと言葉を返した。ユシュテルは菫色の瞳を細めて微笑を浮かべた。不意に中庭で琴を演奏してくれた情景が思いだされて、虹は立ちあがるユシュテルにもう一度声をかけた。
「お気をつけて、ユシュテルさん。皆さんも……」
 彼らひとりひとりに目をやると、それぞれが丁寧にお辞儀をした。そのなかに、揺籃ようらんの泉にいた少年を見た気がした。驚き、正体を見極めようとしたが、彼らは闇の眷属のように、永劫の闇のなかに溶け消えてしまった。いて小さく頭をさげた。そのまま闇のなかに溶け消えた。
 しんと静まり返ってから、虹は隣にいるアーシェルを不安な心地で見あげた。
「……戻ってきますよね?」
「状況によります。交戦になれば、自らの水晶核を燃焼させてでも大水晶環壁を守る覚悟でしょう」
「それは……」
「それが水晶守の責務です。貴金族に突破させるわけには参りません」
「撃退できないのですか?」
「彼らが万全であれば問題ありませんが、千年の飢餓はまだ癒えておりません。無傷で帰還できる保障はありません」
「そんな……」
 虹は無力感、罪悪感に俯ける。
「……ほんのひとしずく、水晶の君が御慈悲を垂れてくだされば、精鋭を送ることができました」
 虹は、はっとしてアーシェルを見た。
「怯える虹様を見て、ソードもユシュテルも加護を望まずに前線に向かったのです」
 表情は静かだ。けれども声には、かすかに譴責けんせきの響きがあった。
 虹は気まずげに俯いた。
 不意に、既視感のある霊的感覚に襲われた。草津温泉のときと同じ、強く、自分を意識する、鳥瞰ちょうかんする感覚。太古の記憶だ。
 燦然たる銀河――夜嵐の咆哮――破戒無慚はかいむざん黄金きん色の種族が、峨峨ががたる水晶の山嶺に攻めてくる。
 朱金に燃えあがる飛天大焔軍を引き連れて、絢爛けんらんたる黄金の錬金術師が、宇宙調和を引き裂かんとする。
 あのときは艶麗な王――キャメロンが防いだけれど、今度はどうなるのだろう?
「彼らが戻ってきたとき、恐らくひどく消耗しているでしょう。どうか、そのときは拒まないでください」
「儀式をしろと?」
 弾かれたように顔をあげる虹を、アーシェルは静かに見つめ返した。
「いいえ、授乳です」
 絶句する虹に、アーシェルは諭す口調で続ける。
「虹様の御乳は、傷を癒す特効薬でございます。戻ってきた彼らを、どうか癒してさしあげてください」
「いや、でも……」
 戸惑う虹の肩を、アーシェルはそっと掴んだ。
「御身に水晶を埋めさせていただきます」
「は?」
「闘いの後は餓えが募ります。見境なく虹様を襲わないよう、御尻を守るのです」
 アーシェルは掌をひらいて見せた。なんだか見覚えのえる円柱の水晶を見て、虹は思わず後ずさりした。
「そんなものいれませんよ!?」
「交歓はお厭なのでしょう?」
「厭ですけれど」
「でしたら、これを秘孔に……栓をするものですから、それほど大きくありませんし、すぐに装着できます」
 その言葉遣いからは、言葉を吟味して使っているような、わずかな気遣いが感じられたが、虹は頭を抱えたい気分だった。
「……マジか」
「マジです。忠節を尽くすしもべを労ってあげてください」
 厭だという気持ちと、危険に赴く彼らに何もしてやれなかった罪悪感とがせめぎあい、逡巡し、虹は観念した。
 アーシェルは虹を邸に連れ帰ったあと、みそぎを手伝い、裸身に薄絹を羽織らせ、寝台に横たえた。
「脚をお持ちください」
 虹は羞恥をこらえながら、割り開いた足を自ら支えた。局部が外気に触れて、ひどく心許ない気分になる。
 アーシェルは真剣な顔つきで身を屈めると、尻をぐっともちあげ、香油に濡れた指で秘孔に触れた。
「少し、広げますよ」
 微妙な指づかいによる愛撫で、丁寧にほぐしていく。虹は無心であろうとしたが、何度か嬌声がくちびるから漏れそうになった。
「挿れますね」
 アーシェルは宣言してから、後孔に水晶をぐっと押し当てた。つぷり……ひんやりとした水晶は肉筒を進み、全てうまると、持ち手についた金具に繊細な銀鎖を通し、股間を覆う腰ひもに留めた。
「痛くありませんか?」
「痛くはないけど……なんというか……」
 卑猥だ。
 性器は薄い布にぴっちりと包まれ、股間の膨らみをくっきり浮きあがらせている。後ろは殆ど紐で、脱がそうと思えば簡単にできそうだ。
「繊細な装身具に見えますが、この水晶は私でなくてははずせません。ご安心ください」
 ちっとも安心できないが、虹は不安な表情を押し隠して小さく頷いた。