アッサラーム夜想曲

幾千夜に捧ぐ恋歌 - 3 -

 朗読会に参加することを決めてから、恋文を一気呵成いっきかせいに……とはいかず、十日ほど試行錯誤を繰り返した末の本番二日前の夜、屋敷の工房にてようやく完成した。
「できた」
 光希は達成感のこもった声でいうと、机に筆を置いた。
 淡い色の細罫ほそけいに綴られた詩を読み返し、満足げに頷いてみせる。やれやれ……一時はどうなることかと思われたが、やればできるものだ。
 心配事が一つ減って心も軽くなり、休憩ついでに湯を浴びにいった。
 汗を流して再び工房に戻ると、軍服姿のジュリアスがいて、机に置きっぱなしにしていた詩をじっくり見ていた。
「ちょっと!」
 慌てて駆け寄った光希は、彼の手から紙をふんだくった。
「光希が書いたの?」
「そうだよ。勝手に見ないでよ」
「見過ごせるはずがないでしょう」
 ジュリアスは蒼い双眸を針のように細めた。咎めるような眼差しを向けられて、光希は罰の悪い表情を浮かべた。
 ――うかつだった。
 彼に知られないように気をつけていたのに、完成した喜びで油断してしまった。
「ただの遊びだよ。そういう反応をされると思ったから、いいたくなかったんだ」
「恋文が流行っているのは知っていますが、光希がそれほど興味を引かれているとは知りませんでした」
「人のを聞いている分には、なかなか楽しいよ。僕に文才はないと判ったから、書くのはこれで最後にするけど」
 だから見逃してほしい。そんな思いをこめて光希はいったが、ジュリアスには通用しなかった。
「それで、これは誰に宛てて書いているの?」
「えっ」
「銀色の髪の……って、私ではありませんよね」
 光希は戸惑ったようにジュリアスを見つめた。
 明確な対象がいるわけではなく、いろいろ書き散らした後に、いい文章だけを残したらそうなったのだ。
「誰のことですか?」
「や、そこらへんは曖昧なんだ。特定の誰かを書いているわけじゃない」
「銀色の髪の、誰を連想して書いたのですか?」
 光希は返答に詰まった。最初は、冗談のつもりでケイトに宛てて書こうとしていたので、その一節が残っているに過ぎないのだが……
「……それを、誰かに渡すんですか?」
「渡さないよ」
「誰にも?」
「うん……人にあげるのが目的じゃなくて、朗読会で読みあげる為に書いているんだ」
 白状すると、ジュリアスは面白くなさそうな顔で腕を組んだ。
「へぇ、朗読会に。それほど、光希は恋文に熱中しているのですか」
「そうでもないんだけど……」
「私も出席していいですか?」
「だめ」
 間髪入れずに光希はいった。
「どうして?」
「ジュリがきたら、皆緊張しちゃうよ。それに恋文を書かない人に参加資格はないんだからね」
「もちろん、光希に宛てて書きます」
「えぇ?」
 不満そうに光希が声をあげると、ジュリアスもむっとしたように眉をひそめた。
「私が書いては不満ですか?」
「ジュリがその場にいたら、きっと皆、公平に判断できないよ。ジュリを選ぶしかないじゃない」
「光希だって同じではありませんか?」
「だから、そう思われないように、僕はウケ狙いでケイトに……あ」
「そう、ケイトに宛てて書いていたのですね」
 青い双眸に嫉妬がよぎるのを見て、光希は慌てた。
「いや、その……」
「冗談だとしても、光希が他の誰かに恋文を書くのは、気持ちのいいものではありませんね」
「怒らないでよ。今度の朗読会を最後に、もう参加するのはやめるから」
「そういう問題ではありません」
「もう参加すると約束してしまったし、見逃してよ」
「無理です」
「ちょっとした内輪の朗読会だよ。ジュリが心配するようなことなんて一つもない」
「心配しかありませんよ。どんな顔で、声で、それを光希が読むのか気になります。周りがどう思うのか、どんな目で貴方を見るのか想像するだけで腹立たしいのに」
 真摯に告げられて、光希は視線を泳がせた。頬を手の甲で撫でられ、気恥ずかしさを覚えながら視線を戻す。
「……そんな心配をするのは、誓ってジュリだけだから。僕が読むといつも笑いが起こるんだよ?」
「信じられません。本当にそうなのか、この瞳で確かめにいきます」
「こないでよぉ」
 そっぽを向くジュリアスの頬を両手で挟みこんで、光希は背伸びをした。意図を察してジュリアスも光希の腰に腕を回すと、そっと唇を塞いだ。
「今回だけだから。ね?」
 彼にしか通用しない上目遣いで仰ぐと、ジュリアスは小さく息を呑んだ。
「……卑怯ですよ」
 光希はほほえんだ。こんな拙い誘惑に誘われてくれる恋人に、愛しさが芽吹く。
「たまにはいいじゃないか。普段はジュリにまるで勝てないんだから」
「心にもないことを。私が光希に限っては弱いことを、十分知っているくせに」
「うーん? どうかな?」
 誤魔化すように笑うと、ジュリアスはつんとそっぽを向いた。拗ねたような態度が、妙にかわいらしかった。