アッサラーム夜想曲

幕間 - 4 -

さわがしい夜

 祝賀会に参加した翌日。
 ジュリアスの不在時に、ブランシェットは約束もなくコーキを訪ねてきた。
 ナフィーサの話では、西妃レイランの宮女暗殺防止のために蒸風呂へ同行して欲しいという、ふざけた招待状をひっさげて。
 アースレイヤの嫌がらせだ。
 夜会の連続に辟易しているのだろう。憂さ晴らしとばかりに、コーキとの時間を邪魔するのは止めて欲しい。

「僕はパールメラ姫を助けたい。助けてくれるの? くれないの?」

 純粋なコーキはすっかりほだされ、善良な眼差しでジュリアスに請う。反対し、翻意を説いたが、聴きれようとしない。
 昨日は散々嫉妬させられ、醜態を晒したばかりだ。宮女の顔はもう見たくないし、今夜は二人きりで過ごしたかったのだが……
 ジュリアスと過ごす時間よりも、小さな正義感を優先させた恋人を少し恨めしく思う。
 少々わざとらしく、明け方までかかると強調すると、コーキは悄然と肩を落とした。

「ううん、待ってます……ごめんね、疲れているのに。仕事増やしちゃって……」

 傷つけたいわけではない。ただ、ジュリアスのやるせない気持ちを、多少なりとも知って欲しかった。
 とはいえ……肩を落とす様子を見せられると、つれない態度をとるのも限界で、結局ジュリアスの方から折れてしまう。

 何もかも、あの男がいけないのだ――苛立ちは全てアースレイヤに向かった。

+

 十三で公宮を持たされた時から、同時に子飼いの隠密も与えられた。十名ほどの規模であったが、その後、ジュリアス自身で人事を行い、現在は精鋭三十名ほどで構成されている。
 召集の方法や場所は、その時によって異なる。今回はジュリアスの執務室に、人目を避けて呼び出した。
 救出対象の宮女を連れ出す役は、ローゼンアージュに任せる。何をやらせても、如才ない仕事ぶりを発揮する少年で、特に暗殺に関しては素晴らしい才能を持っている。
 今回は少女めいた容貌を活かして、宮女に扮して公宮へ忍び込んでもらう。
 宮女を下げ渡す豪商には、別の者を遣いにやった。

 公宮。
 西妃の別邸にアースレイヤを呼び出した。応接間に入ると、絨緞の上で、西妃に酌をさせながら優雅に寛いでいた。

「こんばんは、シャイターン。ご一緒にいかがです?」

 朗らかなあいさつに、ジュリアスは眉をひそめた。
 いい気なものだ。こっちはコーキとの団欒を我慢して、火消しに奔走してやっているのに、これみよがしに妃を侍らせ、酒を勧めるとは。

「コーキに手を出すのは止めてください。不愉快です」

 表情をかえずに吐き捨てたが、アースレイヤはほほえんだ。

「これは失礼。非礼のお詫びに、明日は殿下を連れてご一緒に蒸風呂などいかがですか? 心を尽くして歓待させていただきますよ」

 不愉快もここまで極めれば、いっそ感心する。無意識のうちに、腰にいたサーベルを指で撫でていた。

「まぁ、怖いお顔」

 楽しげに笑う西妃の細腰を抱き寄せ、滑らかな額にアースレイヤは唇を寄せた。

「あなた方の酔狂に巻き込まないでください。西妃も少し自重した方がよろしいのでは? その立場、危うくなりかねませんよ」

「ええ、シャイターン」

 いかにもしおらしく頷いてみせる。この女の口から、真実が零れることなんてあるのだろうか?

「パールメラは連れていきます。そちらで影を立て、明日は予定通りに蒸風呂へ向かってください」

「遅くまで大変ですね……お疲れでしょう? いっそ本当に蒸風呂へいらしてはいかがですか?」

「いくわけないでしょう。娘を弄んで、思うところは少しもないのですか?」

 冷ややかに見下ろすと、アースレイヤは陽だまりのような笑みを閃かせた。

「なかなか綺麗な娘でしょう? さしあげましょうか? 殿下もお気に召していたようですし」

 酷い冗談に嗤う気も起きない。穏やかに笑む男を見て、ふと思う。
 宮殿に濃く巣食うわだかまった闇に育てられ、いずれ帝位はこの男の手に落ちる。退廃的な一面もあれど、聖戦では十分な才覚を示した。時が満ちれば、政戦両略せいせんりょうりゃくに優れた治世をもたらすだろう。
 その時、この男の心を捕えるものは周りにあるのだろうか?
 西妃と寄り添っているように見えるが……全く別の所に立っているようにも見える。
 虚を埋めたジュリアスを見て、どう思っているのだろう?

「冗談ですよ」

 表情を変えないジュリアスを見て、アースレイヤはつまらなそうに首をすくめてみせた。

「……シャイターン、ご足労いただき、ありがとうござます。手間が省けましたわ」

 空気を読んだ西妃は、それとなく水を差した。帰れ、といいたいのだろう。

「明日の采配を任せますよ。それから、ブランシェット姫は降嫁させてください。目障りです」

「御意」

 いらぬ詮索をしてしまった。この二人の未来など、知ったことではない。
 踵を返すジュリアスを、二人は止めようとはしなかった。

 +

 宮女を連れ出し、豪商の隊商キャラバンの手筈を終える頃には、空はうっすら白み始めていた。
 結局、今回一番得をしたのは、馬鹿な真似をした宮女だろう。窮地を救われ、公宮にはない自由を手に入れたのだから。
 屋敷に戻り、まだ起きていたコーキを抱きしめるまではそう思っていた。
 コーキから初めて、愛している、と告げられた。

「いいよ、ジュリの納得がいくようにすれば。ブランシェット姫の希望を優先するべきだって、僕の意見は変わらないけど……それでジュリが不安になるなら、僕はジュリを優先する。僕だって誰にでも優しいわけじゃないよ」

 更に、優しいコーキにしては珍しく、ジュリアスを優先すると、はっきりいい切ってくれた。
 荒んでいた心は潤いを取り戻し、奔走した甲斐があったと……現金にも思い直すのだった。