アッサラーム夜想曲

幕間 - 3 -

恋心と嫉妬(後編)

 宮女の礼装を纏うコーキは、この世にあらざる美しさだった。
 白と金糸の紗は、彼の身じろぎに合わせて、波打つように揺れては視線を誘う。
 薄布から覗く真珠のような肌。
 目尻にさした朱金は、黒水晶のような双眸を引き立て、一段と神秘的に見せる。
 紅を引いた艶やかな唇は、今すぐ口づけたいと思わせる。
 何て綺麗なのだろう……けんを競う宮女など足元にも及ぶまい。
 コーキの視界に映っているだけで、身も心も熱くなる。普段はいとけないのに、今夜は危うい魅力に溢れている。
 このまま二人で過ごせないものか……出掛けねばならないことが口惜しい。誰にも見せたくないのに……

「この恰好、かなり恥ずかしいんだ」

 不躾に見つめている自覚はあるが、視線を逸らすことは難しかった。恥じらう姿にもそそられる。

「お似合いですよ……本当に、とても綺麗だ」

 コーキは困ったようにほほえんだ。
 黒い瞳に賞讃を浮かべて、ジュリも恰好いいよ、と褒めてくれる。どんな美辞麗句よりも、彼のくれる一言の方が遥かにうれしい。
 宮殿の夜会にコーキを同伴するのは今夜が初めてで、想像した通り、数多の視線が浴びせられた。
 いかな貴顕きけんの視線といえど、我が花嫁ロザインを紹介するつもりはない。
 コーキは初めこそ居心地悪そうにしていたが、壁に寄ってからは、興味深そうに視線をやりはじめた。動かない視線を辿ると――

「あ、いや……アースレイヤ皇太子があそこに」

 皇太子夫妻を見ていたらしい。アースレイヤは左右に西妃レイランと姫を侍らせ、相変わらず大勢に囲まれていた。
 会話の流れで、姫、と呼んだら機嫌を損ねてしまった。宮女の恰好をしているというのに、人目も憚らず裾を閃かせて駆けてゆく。

「コーキ!」

 直ぐに後を追うも、行き交う人に阻まれて見失ってしまった。
 探す途中、見覚えのある宮女に声をかけられた。一時はジュリアスの婚約者候補でもあったクワン家の娘――シェリーティアだ。

「シャイターン、殿下があちらに……」

 指差された方に見ると、コーキは泣きそうな顔をしていた。傍へ寄ろうとすると、身を翻して人波に攫われるように消える。
 逃げた……?
 宮女達に囲まれていたことよりも、そちらの方が気になる。まさか……隣に立つシェリーティアを見て、誤解を与えたのだろうか。
 すぐに追い駆けるが、今度は簡単に見つからない。
 神眼で探ると近くに気配を捕えたが、傍に余計な気配も感じて苛立ちが芽生えた。
 バルコニーへ出ると――
 アースレイヤに身を寄せるコーキの姿が眼に入った。
 不愉快であったが、激情に駆られて先日後悔したばかりだ。それなのに、冷静になろうとする側から、アースレイヤはぶち壊してくれる。
 コーキの頬に唇を寄せる光景を見せられ、怒りが湧く――皇太子と知っていて短剣をなげうった。

「ふふ、男の嫉妬は見苦しいと思いませんか? いやぁ、本当に面白い男になりましたね。いいものが見れました。私は退散しますから、後はお二人でどうぞ」

 食えない男だ。いっそ、頭を狙えば良かったか?

「アースレイヤと何をしていたの?」

 思った以上に、冷たい声が出た。不安そうなコーキを見ても思い遣る余裕はなく、視線を逸らされることすら我慢ならなかった。
 だが、肩に手を置いただけで、あからさまに怯えられ、冷水を顔に浴びせられた気がした。ジュリアスに、傷つけられると思ったのか?

「コーキより、大切なものなんてないのに……私が貴方を傷つけるわけがない」

 感情が溢れ、唇は戦慄わななく。悲しみが伝播でんぱしたように、コーキも顔を曇らせた。
 そんな顔をさせたいわけではないのに……星明かりを浴びる艶やかな姿に、醜い妬心が芽生える。なぜ、こんな所でアースレイヤと二人きりに――

「はぁ……自制が効かない。愛しているのに……信じきれない。視線や仕草をいちいち疑ってしまう……これでは見苦しいといわれても否定できないな」

 やめておけと判ってはいても、愚かな感情がブランシェット姫に惹かれているのかと……余計なことを口にさせる。
 コーキの歪んだ表情を見た瞬間に後悔した。何も答えさせまいと、容赦なく唇を奪った。

(こんなに想っているのにッ、どうして、私だけを見てくれない!?)

 元は純粋な想いのはずなのに、なぜ、こんなにも辛いのだろう。
 荒れ狂う感情を必死に押さえているのに、コーキは笑みすら湛えて、ねぇ、嫉妬? と囁いた。眩暈がしそうだった。
 人の気も知らず――
 好奇心を満たすように、愛を測られ、反応を試されている。どこまでも無邪気が許されると思うな、そんなに煽るなら責任を取らせてやる。
 凶暴な感情が牙を剥く。その後に続く意外な告白が無ければ、この場でコーキを犯していただろう。

「僕は、公宮中の女に嫉妬していたよ。過去だといわれても、はいそうですか、なんて思えない。ジュリのことが、好きだから……僕だけのジュリで居て欲しいんだよ」

 嵐のような感情を、コーキも持っていると教えてくれた。
 それが本当なら、こんなに嬉しいことはない。身を持って知った、こんなにも強い感情を、ジュリアスに向けてくれているというのだから……

「コーキだけの私ですよ」

「僕も、ジュリだけの僕だよ」

 瞳に互いの姿だけを映して、囁くように告げた。
 甘美な喜びに包まれた時、コーキの口にした“やっと同じ気持ちになれた……”という言葉の意味が判った。
 公宮へ来てから、コーキもずっと、こんな気持ちを抱えて苦しんでいたのか……
 たとえジュリアスがコーキだけを見ていても、宮女を見る度にさいなまされたのだろう。
 コーキを大切にしたい……
 それは、ジュリアスの尺度で測るのではなく、押しつけるものでもなく、コーキの望むままにあるべきなのだろう。

 後に、コーキがクロガネ隊勤務に至る、きっかけとなった夜でもあった。