アッサラーム夜想曲

栄光の紋章 - 6 -

 三家から歓待の申し入れがあったが、いずれもジュリアスは断った。今夜こそは、静かな隊商宿キャラバン・サライで光希と共に過ごしたかった。
 ザインに到着してからというもの、まさしく狂瀾怒濤きょうらんどとうの展開であった。
 湯浴みを終えて寝室着で絨緞に腰をおろすと、流石のジュリアスでも疲労を感じた。仄甘い地元産の葡萄酒が、永い一日を労うかのように乾いた舌に沁み渡る。
 早朝から奔走していた光希も、今はくたびれた様子で、濡れ髪のままジュリアスの隣でまどろんでいる。
 静かに杯を傾けながら、ジュリアスの内面は複雑だった。今夜は早く休んだ方がいい――判ってはいるが、リャンに寄り添う光希の姿が、瞼の奥に焼きついたまま消えてくれない。
 一度は光希に救われ、捻じ伏せた憤りが心の底で燻っている。やり場のない怒りを、まだ消化できていないのだ。
 確かにリャンを見た瞬間、不思議な縁のようなものを肌に感じた。彼の血筋を絶やしてはいけない――霊感がそう囁いたのだ。殺すことは思い留まったが、紙一重だった。できることなら、もう二度と光希に会わせたくない。
「……ジュリ、まだ起きてる?」
 身を起こした光希は、眠そうな目でジュリアスを仰いだ。
「……僕はそろそろ限界かも……」
 ゆったりした動作で立ちあがろうとする光希の腕を、ジュリアスは素早く掴んだ。
「ジュリ?」
「……リャンを支える光希を見て」
 思ったよりも低い声がでてしまい、光希の表情が強張る。
 彼を困らせたくない――しかし、空気を悪くすると判っていても、いわずにはいられなかった。
「胸が、張り裂けるかと思いました」
「……ごめんなさい」
「私が、どれほどの想いで――」
 声を荒げそうになった途端に、光希に抱きつかれた。
「ごめん。心配かけて、ごめんなさい」
「……」
「ジュリ……今回の件で、誰かを罰したりしないで。全て僕の独断なんだ」
 乞うような口調で、窺うようにこちらを仰ぐ。愛おしいけれど、焦れったい念に駆られた。彼の瞳には、いつでも多くの心配事が同居しているのだ。
「いいえ、責任を取らせます。光希の安全を守る親衛隊に、あるまじき行動でした。西門を任せたアルスランにも――」
「お願いだ、やめて」
 光希は、泣きそうな顔でジュリアスに縋りついた。
「いいえ、とても看過できません。光希も残りの日はここで謹慎しなさい。聖霊降臨儀式には代役を連れていきます」
「そんな! 出席できないなんて」
「あんな所で貴方を見つけて、心臓が壊れるかと思いました。もうこれ以上、心配の種を増やさないでください」
「ごめんなさい。だけど――」
「弁明はいりません。もう決めました。残りの日は、大人しく私の傍にいてください」
 いかにも不満げに光希は沈黙した。
 彼は、口ではジュリアスだけの自分だといいながら、心の裡では、神秘の力は万民の為にあると考えている。身勝手と知っていても、ジュリアスにはそうした光希の高潔さが不満だった。
「光希は、私だけの花嫁ロザインです……」
「もちろんだよ。心配をかけてごめんなさい。だけど、必要とされている局面で、隠れていたくない。力の放棄に等しいと、指摘されたこともあるんだ……」
 どうせアースレイヤだろう。あの忌々しい男は、ジュリアスを動かす手段として、過去何度も光希を利用しようとしてきた。
「東西大戦とは違いますよ。光希が危険を冒してまで、ザインを助ける理由はありません」
「ジュリ……あんなことが起きた後だし、ちゃんと皆の前にでて祝福したいんだ」
 白く柔らかな手を伸ばして、優しくジュリアスの頬を撫でる。さりげない愛撫は、普段であれば心を蕩けさせる効果をもたらすのだが、今夜ばかりは通用しなかった。
「残りの日を、ここで浅慮を反省して過ごすのなら、他の者への処罰は考慮しましょう」
 白い手を掴んで冷徹に見おろすと、光希の瞳に、反感の燦めきが浮かぶのが見てとれた。
「……それは、脅迫だ」
「私が、貴方にとって・・・・・・いつでも正しい判断をくだせると本気で思っているなら、誤謬ごびゅうであるとしかいいようがありません」
 ここへくる前に投げつけられた言葉を返すと、光希は苛立ちを押えこむように沈黙した。
 かくも冷たい眼差し。
 嗚呼、彼の心が離れていくのが判る。心に壁を作り、ジュリアスを見ようとしない。目に見えぬ玻璃の壁が一枚、ふたりの間に挟まっているように感じられた。
 忌々しい壁を前にすると、普段であればことのほか優しく囁くのだが、この時は苛立ちが凌駕りょうがした。
「あっ」
 長い毛足の絨緞に押し倒され、驚いた声をあげる光希のくちびるを強引に奪った。
「んぅっ!」
 暴れる躰を押さえつけることなど、造作もない。呼吸も言葉も飲みこんで、くちづけを深めていく。
 やがて抵抗が弱々しくなり、筋肉が弛緩するのを感じると、ジュリアスはゆっくり顔を離した。戸惑いの浮かんだ黒い双眸がジュリアスを見た。
「……やめて」
「光希の方こそ、私を心から締めだそうとするのは、やめてください」
「僕がいつ――」
「たった今」
 かぶせるように告げると、腕のなかで光希は身震いした。顔を近づけると、腕を振って逃げようとする。
「やめて!」
「暴れないで……傷つけたくありません」
 耳の輪郭をなぞるように舌を這わせると、光希は小さく喘ぎ、弱々しい抵抗で応えた。
「こんなの、何の解決にもならないよ。今、本当に抱きたいって思ってる?」
「思っていますよ」
「怒りをぶつけているだけだよ」
「そうかもしれません。だけど、そうさせたのは光希でしょう?」
 光希は傷ついたような顔をした。
 大切な人に辛辣にあたりすぎだとジュリアス自身も傷ついたが、もう止まれなかった。
「……貴方を抱きたい」
「やめて」
 いまさら怯えられても遅い。欲望のままに、珠のような肌に吸いついた。