アッサラーム夜想曲

名もなき革命 - 4 -

 いにしえの大都は、暗雲に覆われた。
 重たい曇天から、今にも雨が降りだしそうだ。彼方からかすかに雷鳴が聞こえてくる。
 あるじはエステルたちを従えて、ヘガセイアの率いる革命軍と共に西門へ移動した。
 巨大な列柱街路は見あげるほどに高く、いかにも堅牢で、門というより城塞である。天辺の城壁には警備兵がずらりと並んでいる。
 味方の人数は百五十余。
 そのうち百は、本物の革命軍だ。残り五十はエステルを含むアッサラーム軍で、革命軍に扮して胸に白い鳥の刺繍がある、藍色の膝下まである外套を羽織っている。
「一刻待ちましょう。総大将から指示があるかもしれません」
 先を急ごうとする主君を、アルスランは止めようとした。皆と同じように革命軍に扮しているあるじは、長身を仰ぎ見て、頸を横に振った。
「一刻じゃ戻ってこられないでしょう」
「では、先発隊をいかせますから、殿下はここでお待ちください」
 その言葉にヘガセイアが反応した。小さな丸眼鏡が、早暁を反射して眩く光る。
「ですが、我々だけではゴダール家とドラクヴァ家を止められません! どうか」
 横からヘガセイアが口を挟むと、アルスランは冴え冴えたとした眸で彼を見据えた。
 その場に居あわせた全員の視線が、暫時ざんじあるじに集中した。
「いこう」
 彼は、黒い瞳に決意の光を灯して頷いた。
 アルスランは眉間に皺を寄せたものの、異を唱えようとはしなかった。主君の意を尊重したのだ。
「感謝いたします!」
 ヘガセイアは喜びに瞳を輝かせると、砂の丘陵から躍りでた。
 西門の前には、入場規制により立ち往生する、隊商キャラバンの列ができている。
 入場は困難に見えたが、門を守る警備隊はヘガセイアを見ると、あっさり道を空けた。
「……気をつけろ、ゴダールとドラクヴァは一触即発だ。じきに出入りが厳しくなる」
 横を通る際、警備隊の一人が小声で囁いた。どうやら革命軍の仲間は、至るところに紛れているらしい。
 門の内側は、緊迫した空気に満ちていた。
 普段であれば、賑わいを見せているであろう石畳に人影はなく、どの家も扉や窓を固く閉ざしていて、無人の街を思わせる。
 弊害物の少なさは、騎馬で移動するエステルたちには都合が良かった。
 静まり返った街に、物々しい蹄鉄の音が鳴り響く。
 殆ど止まらずに駆けると、やがて蒼古な煉瓦の建物――リャンが捕えられているアブダム監獄が見えてきた。
 監獄に続く一本道、坂道の途中には、にわか造りの堤防が築かれていた。
 壊れた家具や土嚢どのうが山と詰まれ、革命軍が固守している。彼等は、ヘガセイアに気づくや群れてやってきた。どうなった、大丈夫か、と代わる代わる声をかける。
「状況は?」
 ヘガセイアが馬上から訊ねると、彼等は緊張した面持ちで首を振った。
「駄目だ、もうすぐゴダールがくる。鉄扉に少しでも近づけば、容赦なく射掛けられるだろう」
「門の前には油が撒かれてる。攻めてこようものなら、誰であろうと焼夷しょういする気でいるんだ」
 絶望的な報告を聞いて、ヘガセイアは暗澹あんたんとなった。
「惨いことを……」
 彼等は、ここでゴダール家とドラクヴァ家の衝突を食い止めるつもりのようだ。リャンを助けたくとも、ドラクヴァ家の管轄するアブダム監獄に近寄れないのだろう。
「シャイターンの花嫁ロザインにきていただいた。交渉してみる」
「何っ!?」
 彼等の視線は、覆面をつけたエステルたちの間を彷徨った。本人は緊張したように肩を強張らせたが、気づかれた様子はない。ヘガセイアもそれ以上は明かさず、仲間に道を譲るよう指示をだした。
 怒号と喧騒のなか、エステルたちは坂道を駆けあがり、門の傍へと近づいた。
「そこで、止まれぇッ!!」
 空気を引き裂く、鋭い怒号が飛んだ。
 有刺鉄線の向こう、見張塔から指揮官と思わしき、鋭い容貌をした男が敵意も露わに睥睨している。まだ三十前後の若い男だ。
 蔦のからまる外壁の銃眼じゅうがんには、ずらりとくろがね連弩れんどが覗いており、こちらを照準していた。
「アッサラームの光明、シャイターンの花嫁ロザインが、リャンの解放を求めている!」
 射程範囲の境から、アルスランは声を張りあげた。
「何だとっ!?」
 すぐには信用されず、問答はいくつか続いた。
 牽制射撃が足場に放たれたると、空気は張り詰め、アルスランは退き色を見せた。
 撤退を感じとったのか、あるじは突然下馬して駆けだした。周囲の声を振り切り、外套を脱ぎ捨てる。
「僕が花嫁ロザインです。リャンを連れてきてください!」
 正体を明かした主君を、アルスランは射殺そうな視線で睨んだ。エステルも真っ青になって追い駆けた。
 曇天の下でも、白銀の聖衣は眩しく映る。加えて、特異な白い肌と黒髪は、全員の眼を奪った。ヘガセイアたちまでもが、吸い寄せられるように視線を奪われている。
 その稀なる姿を一目見るなり、指揮官も激しく狼狽した様子で、自陣に武器をさげるよう指示をだした。
 間もなく、全ての音が止んだ。
「――ここは貴方がおいでになるような場所ではない! リャンはドラクヴァ当主暗殺の、重要参考人だとご存知ではないのですか!」
 指揮官が鋭く叫んだ。
「彼を傷つけてはいけないッ! 連れてきてください! 早くッ!!」
 よく澄み透る凛とした口調に、全員が委縮した。緊張を帯びた静寂が束の間流れる。
「リャンを連れてこい」
 見張塔に立つ指揮官は、苦り切った顔で下士官に命じた。