アッサラーム夜想曲

神の系譜 - 5 -

 困り顔で沈黙する光希を見つめて、ジュリアスはおもむろに口を開いた。
「リャン・ゴダール……私から光希を奪う者ではないと、誓えますか?」
「もちろん!」
 自信を持って即答したが、ジュリアスの表情は余計にかげった。
「いずれにしても、そのような啓示を聞かされては、とても頷けませんよ。只でさえ内戦の起きている危険な場所だというのに」
「味方もいるよ! 覆面で顔がはっきりしないんだけど、彼を見つければ、たぶんうまくいく」
「憶測でしょう」
「きっとうまくいくよ」
自信に満ちた口調だったが、ジュリアスの表情は硬いままだ。
「あのさ、仮にリャンの子供が“宝石持ち”だとして、どうだというの? 僕は既にジュリと結婚しているし、年も二十歳を越えてる。立場からみても年齢からみても、その子供と僕がどうにかなるわけがないでしょ」
「そんなもの、なんの障害にもなりませんよ」
 感情を押し殺した低い声で、ジュリアスはいった。思わず光希はびくりとし、怯えたように彼を見た。
「“宝石持ち”が自分の花嫁ロザインにめぐり逢えたら、脇目もふらずに手に入れます。立場や年齢なんて、なんの抑止にもなりません」
「でも、その子の花嫁ロザインが僕とは限らない……ていうか、また話が逸れてる。そもそも、仮の話で」
「絶対に反対です」
 ジュリアスは冷たく強調した。
 彼はあまりにも一つの観念だけに囚われすぎている。そう思っても、光希は会話の運びに失敗したのだと悟るしかなかった。今この場では、じっくり考えながら言葉にするなんてとても無理だ。説得するどころか、溝は余計に深まってしまった。
「……とりあえず、軍部にいかない? この話は帰ってからにしよう」
 典礼儀式には、もう間にあわないだろう。疲れた心地で腰を浮かすと、ジュリアスに手を取られ、よろめく身体を抱きしめられた。
「今ここで、はっきりと約束してください」
「ジュリー……」
「でないと、とても離せません」
 光希は見くだすようなふくれっ面になった。すると青い瞳も鋭さをまして、ふたりは再び敵どうしのように睨みあった。
「僕だって、乗り気じゃないんだよ。ただ、目を背けようとすると、シャイターンが怒るんだ」
「怒る?」
「“いきなさい”って、物いわぬ幻や不思議で僕を責める。もう、覚悟を決めて、ザインへいって、解決して、すっきりしたいのッ!」
 やけっぱち気味に叫ぶと、意外にも、今こそジュリアスは青い双眸に迷いを浮かべた。
「お願い。僕を連れていって」
 なめらかな頬を両手で挟んで引き寄せると、青い瞳が戸惑ったように揺れた。視線をそらさずにいると、ジュリアスはなんとも複雑そうな顔つきになった。
「……神意に背けぬということは、判ります。身をもって知っているから。私も剣を持つ度にそうでした」
「ジュリ、一緒にいこう?」
「はぁ……」
「よし、決まった」
 光希は意気揚々として応じた。
「貴方は、私だけの花嫁ロザインです」
「もちろん」
 表情を明るくする光希に反して、ジュリアスは非難の色を深めた顔つきになった。光希の両手をそっと掴んで頬からはがすと、愛撫するように、親指の腹で指先を撫でる。
「今、伝えておきます。光希を奪おうとする者は、誰であろうと絶対に許しません」
 光希は口を開きかけ――まっすぐな瞳はあまりに青く率直な光で澄み透っていたので、つづく言葉を呑みこんだ。
 緊張に強張る光希の頬にそっと触れながら、ジュリアスはこう続けた。
「例えば、リャン・ゴダールでも。その子供だとしても。絶対に許さない。どこまでも追い詰めて、必ず報復します」
 どんな反駁はんばくもも許さない、断固とした口調だった。
 気圧されて答えあぐねていると、唇に視線を感じて顔が熱くなる。美貌が近づいてきて、唇が触れあう手前で止まった。
「……覚えておいてください」
 唇を触れあわせながら囁かれて、もう何度もそうされてきたのに、思春期の少年みたいに心臓が甘く痛んだ。
「そんなに、心配しないで」
 声が揺れた。さりげなく顔を引こうとしたら、やわらく後頭部を掌に包まれて阻まれた。
「……心配しないで?」
 彼独特の昂然こうぜんとした微笑を浮かべて、囁いた。
「うん……」
 考えすぎだよ。そう続けようとしたが、唇のくぼみを親指でそっと押されると、何もいえなくなってしまった。
「軽く考えないでください。私は本気です。私がどれほど残酷になれるか、知らないわけではないでしょう」
 青のなかの青を思わせる瞳は、嫉妬に駆られた愛と怒りとで、仄昏い輝きを宿している。
 高圧的で美しい、一途なジュリアス。
 悪魔に魅入られたみたいに動けずにいると、腰を抱き寄せられた。力なんて殆どこめられていないのに、鎖で雁字搦めにされたような錯覚がした。
 見つめあったまま顔を傾けると、美貌が近づいてきて唇が重なる。甘く深く貪られながら、舌をからめ捕られた。
「……っ、んぅ」
 想いを植えつけるような深い口づけは、今さっきの恐ろしい言葉が、正真正銘、彼の本気であることを伝えていた。