超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

2章:エナジー・ドリンク - 7 -

 九月二十八日。三十日目。
 季節は移ろい、空気は涼しく秋めいてきた。
 絶望的状況は変わらず、生存者は減っていく一方だが、広海とレオは今のところ無事でいる。
 六十三階のスィートルームは要塞と化した。
 ここへきてから二十日ほどで、安心に足る万全の準備を整えると、室内環境のさらなる改善に関心は移り、部屋の模様変えを行い、ウォーターサーバやコーヒーサーバを部屋に運び入れたりした。
 外の警戒は主にレオが行い、ホテルのなかの監視は広海が担当している。
 生者のコミュニティ情報を集めるのも、広海の日課だ。
 レオは相変わらず、避難所に興味を示さないが、広海は違った。人間を恐れながらも、安全地帯を渇望し、仲間を欲していた。
 これまでに何度か“HELP”と書いた幕を屋上や窓から垂らそうと提案してみたが、すげなく却下された。
 話すタイミングも大事だが、この手の話題はどうしても口論になりやすいので、最近は控えるようにしている。
 今日の広海のミッションは、オペレーション:ホームセキュリティ。
 つまり自宅警備だ。
 自宅警備をしながら、バイオハザードをプレイしている。
 日常リアルがゾンビ世界なのに、ゲームでもゾンビ世界に浸っているのは、自分でもクレイジーだと思うが、バイオハザードのファンなのだから仕方がない。
 本当はオンラインで対人戦をしたいところだが、どのオンラインゲームも提供元のサーバがダウンしているので、パッケージソフトばかり遊んでいる。
 今日は一人だが、レオともよく遊ぶ。彼は意外とゲーム好きなのだ。
 暇な時は、DVDを見たりテレビゲームをしたり、漫画を読み漁り、大音量でカラオケしたり、廊下でパターゴルフをしたりする。
 自堕落気儘に過ごしているが、レオに誘われて、ビルに併設されたジムにいったり、プールで泳いだりもする。
 最近のレオは、屋上にかなり本格的な菜園畑を作り、食料の自給自足を試みている。これには広海も大賛成だ。ジャンクフードや保存食も好きだが、新鮮なサラダも食べたい。
 それから、武器の開発や罠の工夫にも凝っている。実用というより、もはや趣味の域だ。電話を分解して改造したり、どこで入手したのか、拳銃のカスタムも自分でやっているのだ。
 気晴らしにギターを弾いたり、広海が誘った時にはゲームもする。
 書斎は広海が好きに使い、バーカウンターとキッチンは、主にレオが使っている。
 実質剛健というか、レオは部屋に最低限のものしか置かず、共用のキッチン等は整然とした状態に保たれているが、広海の部屋と化した書斎は、既に混沌化していた。漫画や雑誌、DVDやフィギュアで溢れかえり、洗練された書斎を、瞬く間にオタク部屋に変えていた。
 何をしたって、文句をいう人間はいない。気儘な二人暮らしだ。
 部屋は十分過ぎるほど快適なので、引きこもっていても苦痛はない。この日も終日自宅警備の予定でいたが、レオに声をかけられた。
「でかけるけど、一緒にいく?」
 ソファーに座ってゲームに興じていた広海は、逡巡し、コントローラから手を離した。
「いきます」
「お。いく? ……の前に、補給・・させて?」
 そういってレオは、広海の隣に座った。催促するように、じっと唇を見つめられて、広海は朱くなる。
 キスは、不死ウィルスの免疫対策だ。
 なぜか広海の体液を摂取すると、ゾンビに襲われないのだ。それは、ここ数日の臨床実験で立証されている。
 探究心の強いレオは、実験と称して、広海に様々なセクハラ――粘膜摂取を試み、数字をとった。結果は次のようなものだ。

 バード・キス:四時間
 フレンチ・キス:ニ十時間
 乳首:三十時間
 精液:三十六時間

 このメモを見せられた時、広海は精神的なダメージを被った。
 キスはまだいいとして(よくないが)、乳首ってなんだ。そんな項目がある自分って一体……と、悶絶死しそうになった。
 ちなみに掘られてはいない。レオはやりたそうにしているが、いくらなんでも研究のためにすべきことではないと貞操を死守している。
 けれども、キスは殆ど毎日のようにしている。慣れとは恐ろしいものだ。
 そっと目を閉じると、長い指が頬に触れた。さらさらした黒髪がくすぐったい……身構えていると、柔らかく唇を塞がれた。
 舌先が唇をなぞり、優しく侵入の許可を求めてくる。
「ん……」
 唇を開いた途端に舌が忍び入り、歯列をなぞられ、口内を愛撫される。思わず吐息を漏らすと、レオは右手を広海の黒髪にさしいれ、後頭部をちょうど良い角度で支えた。
「っ、レオ……ん」
 身を引こうとしたが、尻を鷲掴むようにして引き寄せられた。加速するキスに理性を奪われかけたが、股間がきざし始めてはっとなり、慌てて躰を離した。
「も、いい?」
 胸に手をついて距離を取ろうとすると、レオはその手首を掴んだ。物足りなさそうな顔をしているが、仕方なさそうに、静かに躰を離した。
 広海は心のなかで、安堵に胸を撫でおろした。
 ……というのも、キスだけで終わらず、押し倒されてしまうことが、一度ならずあるのだ。乳首を舐められたこともあるし、下着をめぐる攻防になり、危うく銜えられそうになったこともある。
「荷物とってきます!」
 この日は、押し倒される前に寝室に逃げこむことに成功した。
 ドアに背を預けて一息つくと、安全ヘルメットを被り、外出用の黒いバックパックを背負った。中には、ナイフや懐中電灯、ライター、水といった必需品が詰めてある。
 準備をしながら、外の光景に思いを馳せた。
 食い散らかされた死骸や、食餌中の感染者に遭遇したら、どれほど胸が悪くなることだろう……
 一瞬、外にいくといったことを後悔しかけたが、すぐに思い直した。外の様子は、ずっと気になっていたのだ。レオから報告は聞いているし、双眼鏡で毎日のように眺めてはいるが、そろそろ実際に歩いて確かめておくべきだろう。
 金属バッドを持って玄関にいくと、既に準備を終えたレオが待っていた。片手に鉱山つるはし、ガンベルトに拳銃とナイフをさした完全武装だ。
「お待たせしました」
「おう」
 部屋をでたあと、エレベータで十五階まで降りて、そのあとは階段で地上へおりた。レオはあえて一階にエレベータが止まらないように細工しているので、十五階は自分の脚で登ったりおりたりしないといけない。
 一階はゾンビサファリパークだが、彼等が広海とレオを認識することはない。今日もフリーパスで地上へでた。
 静かに晴れ渡った午後。見あげる空は蒼く、白い雲が流れている。
 渋谷の喧騒、猥雑。そういうものは全て消え去った。
 視界に映る景は、時が止まったかのようだ。動いているのは、烏獣とゾンビだけ。
 不死感染者は、夜に比べてその数は少なく、動きも緩慢だが、どこを見ても視界に一人か二人は映る。
「あいつら、生きていようがいまいが、お構いなしだな」
 屍体を貪る不死感染者を見て、レオがいった。
「あれだけ人が死んだのに、屍体が減っていくのって喰べているからですかね?」
 広海は首を傾げた。
三日目・・・に殆ど消えたしな。残った屍体は、ゾンビが喰ってんのかもしれないけど……あいつら、動物は食べないんだよな」
「確かに……」
 そこら辺に飼い主を失った犬や猫がうろついてるが、ゾンビは目もくれない。
「はぁ……未だに信じられない。こんな光景、現実とは思えない」
 広海はしみじみと呟いた。
「ついこの間まで、普通に学校にいってたのにな」
「ですね~……こんなに変わってしまうとは……」
「誰にも想像つかねぇよな」
 そういってレオは広海の手から金属バッドを奪うと、小石を拾い、無造作に放って打った。
 キンッ。小気味いい音と共に、石は綺麗な放物線を描いて、陽の光を弾いた。
「すごい!」
 広海は手を叩いた。レオが片目を瞑ってみせたので、思わずどきまぎさせられた。
「やってみる?」
 バッドを渡されて、広海は張り切った。レオを真似して、その辺に落ちている破片を放って打とうとするが、見事に空ぶった。
「ははっ、裏切らねぇなロミは」
 レオに笑われて広海は赤くなった。
「くそー、次だ、次」
 もう一度構えて、スイングする。変な角度にあたり、すぐに地面に落下してしまう。
「振るのが早すぎんだよ。打とうとしているものを、よく見ろ」
「やってみます」
 何度か繰り返し、五回目でヒットした感触が腕に伝わった。石は低い高度を真っ直ぐに飛んでいく。
「やった!」
「やるじゃん」
 満面の笑みで広海が振り向くと、レオは優しい瞳で見ていた。
 嬉しくなって、何度か続けてスイングした。
 あっちこっちに飛んでいく石片は、車や壁にぶつかったりしたが、気にしない。一ヶ月前なら大惨事だが、今は誰もいないのだ。
 スイングに飽きたあと、二人は目的の電気ショップに入った。
 商品が殆どそっくりそのまま残っている。
 色々と誘惑が多くて、広海はキックボードを見るなり目を輝かせた。
「ちょっと遊んでもいいッスか?」
「ドーゾ」
 レオの承諾を得て、試しに通路を走ってみると、いきなり陳列棚にぶつかりそうになった。
「気ぃつけろ」
「へへ……これ楽しい。持って帰ろうかな」
 ボードの上でぐらぐらと体感をとる広海を、レオは壁にもたれて見ている。
 すぐに慣れて、脚で加速しながら真っ直ぐ走れるようになった。誰もいないフロアを独り占めだ。得意になっていたが、
「うわっ」
 平衡を崩して転びかけた。浮遊感にひやりとしたが、どういうわけか、すぐ傍にレオがいた。
「あっぶね」
「スミマセン……助かりました。よく支えられましたね」
「まぁな」
「さすがッス」
「エスパーだからな」
「レオは無敵ですね」
 明るく広海がいうと、レオは眩しいものを見るように目を細めた。
「ロミのおかげだよ。ロミと一緒にいるから、無敵でいられるんだ」
 嬉しそうにはにかんだ広海だが、ふとある考えが脳裡をよぎった。
「俺は……あんまり考えないようにしています。ゾンビに襲われないのは、感染したせいかとも疑ったけど、違うみたいだし……疑問に思うと、きりがないから」
 顔をあげると、澄んだ金緑の瞳が、広海のうちを覗きこむように見つめてきた。目に疑心の光はうかがえない。静かな目に迎えられ、広海は続けた。
「それとも、やっぱり俺は、病気だと思いますか? ゾンビも食欲を失くすくらい、何か深刻な病に罹っていたり?」
「ロミは何でも悪い方に考え過ぎなんだよ。弱くなったんじゃなくて、強くなったと思えばいいだろ」
「……」
「こんな状況でも生き残れるくらい、強くなったんだよ」
 レオはきっぱりといった。今度は広海が、レオの裡を覗きこむ番だった。
 彼のいう通り、広海は強くなったのだろうか?
 我が身に起きている変化を、未だに受け入れられずにいるが、レオが嫌悪も否定もせずにいてくれるから、まだ救われている。
「LANケーブルとルーター欲しいんだけど、見にいっていい?」
 レオの言葉に、広海は二つ返事で頷いた。キックボードを畳んで階段を登ろうとしたところで、レオが立ち止まった。
「?」
 広海はレオの視線を追いかけて、踊り場のうえの不自然な黒墨に気がついた。階段の上の方が真っ黒に染まっている。
「何あれ……」
 一瞬、火事の焼け跡かと思ったが、違う。よく判らぬ繊維状の何かが、だま・・になって階段を塞いでいる。
「ゾンビの巣かな」
「巣!?」
 広海はレオを見て、次に黒だまを凝視した。
「あいつら、日中はあんまり見かけないだろ。たぶんに隠れてるんだよ」
「えっ」
「同じ形状を、最近ちらほら見かけるんだ。近づかないようにしていたけど……これは流石に邪魔だな」
 脚を踏みだそうとするレオの手を、広海は咄嗟に掴んだ。
「やめましょ。もう帰った方がいいかも……」
 真剣に、深刻げに首を振る広海を見て、レオは少し考えてから、頷いた。
 地上へでてから注意深く辺りを見回すと、視界の端に黒いだま・・を捉えた。壁の隙間の黒焦げ……に見えるが、よく見ると違う。立体的な膨らみを帯びた、何かだ。
「……きめぇ」
 広海はぞっとしたように呟いた。
「しかも、ちょっとずつでかくなってんだよな……腐って終了と思ってたけど、ソンビも進化すんのかな」
 進化?
 冗談じゃない。これ以上最悪な一体何に進化するというのだ。
 蒼白になる広海の肩に、レオは腕を回した。
「心配すんなよ、今度始末しとくから」
「やめて」
 広海は真顔でいったが、レオはにやっと笑った。
「燃やしとく」
「危ないですよ。ゾンビがいっぱいでてくるかも。めちゃくちゃ怒らせちゃうかも」
「平気。ロミで補給・・すっから、ヨユー」
「……」
 広海は胡乱げな眼差しでレオを見た。セクハラまがいの発言をしても、悔しいほど格好いい。
 わざとらしく広海がため息をつくと、レオは、広海の安全第一ヘルメットをぽこぽこ叩いてきた。広海も負けじとレオの横腹にパンチを入れたりキックしながら、六十三階の要塞に戻った。