超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 5 -

 三日目。
 街は静粛を求められたように静まり返り、銀鼠の朝靄に沈みこんでいた。宙には、きらめく仄碧い燐が漂っている。
 幻想的な光景は、もはや人々を感動させはしなかった。彼等の心にきざしたのは、三日前の惨劇だった。
 自分も発狂するのではないかという恐怖に耐えられず、靄が晴れるわずか二時間の間に、自害する者が相次いだ。
 しかし、靄が晴れたあとに人々が目にしたのは、廃墟と化した無人の街だった。
 辺りを埋め尽くしていた死体は、その殆どが、たった一晩の間に忽然と消えてしまったのだ。服や靴、貴金属といった、身につけていた衣類まるごとの消滅である。そこにいたのよと囁くように、残滓のような燐光だけを遺して……
 慈悲も救済もない。
 街を歩いているのは、不気味な死人だけだ。生者は怯えながらどこかに身を潜めている。
 各自治体に緊急対策本部が急遽設けられ、必死に情報発信しているが、刻一刻と変化する状況に全く対応できていない。
 死体はなぜ消えた?
 靄の正体は?
 疫病の原因は?
 心臓発作なのか?
 即死した人と蘇った人の違いは?
 心臓停止しているのに、なぜ動けるのか?
 ……疑問は深まるばかりだ。
 ある者は、感染源は魚、鳥、豚……人が日常的に摂取する食物が原因だという。また別の者は、アメリカ、或いはロシアの開発したWeapons of mass destruction――通称WMD、大量破壊兵器だとうそぶく。
 どのような智慧者がいおうとも、現段階では憶測に過ぎない。
 判っていることは、“死の息吹”は突如世界中で発生し、致死率四十から八十パーセントという恐るべき数字を叩きだし、瞬く間に世界中に蔓延したということ。
 八月二十日。始まりの日に自然発症した人間は、世界人口の半数以上――四十億から五十億人以上に及ぶといわれている。彼等は心臓発作を起こして倒れ、その殆どが心臓停止により即死した。その遺体も昨夜消失してしまったため、詳細は永久に不明である。
 もっとも不自然な点は、心臓発作で即死した人の一部が、倒れてから十数秒後に蘇ったことだ。
 暫定的に不死感染者と呼ばれる彼等は、異常喰欲に目覚め、同じ人間にくらいつく。
 噛まれたら一巻の終わりだ。
 ものの十数秒で狂気をきざし、隣にいるのが家族でも恋人でも、無分別におぞましい醜態で襲いかかる。
 そうして、わずか三日で感染は爆発的に広まり、地球全土に呪いの翼を拡げている。
 空港や港を封鎖しても、第一陣が世界中で同時に発生した為、止める手立てはなかった。
 感染者に遭遇したら、全力で逃げるしかない。ばんやむをえない時は、攻撃による自衛を政府は認めている。
 不死感染者に理性や痛覚はなく、まさしくゾンビのように、何度でも立ちあがる。脳幹を破壊するほかに、彼等を止める手立てはない。四肢や内臓はおろか、心臓を狙っても絶命しないのだ。
 現在、生き残った人の殆どは、自宅、或いは堅牢な建物に籠って自衛している。
 広海とレオも、渋谷のバーに籠城して今のところ無事でいるが、食料が心配だった。まだ数日の備蓄はあるが、いずれ底を尽いてしまう。
 軽く昼食をとった後、二人は物資補給について相談していた。広海は、近くのスーパーにいくことを提案したが、レオは首を横に振った。
「大型店は人が集まりそうだから、やめておこう。もっと規模の小さい……そうだな、コンビニからいってみるか」
 不安そうな顔をしている広海を見て、レオは笑った。
「一緒にこいとはいわねぇよ。俺一人でいってくる」
「俺もいきますよ」
「いや、ロミはここにいて。何が起きるかわかんねぇし」
 広海は反論しようとして、口を閉じた。ついていっても、邪魔になってしまうと思い直したのだ。
「役立たずで、すみません」
 しゅんとなる広海の頭を、レオは優しい手つきで撫でた。ここ数日の間に、定着しつつある仕草だ。
「そんなこと思ってねーよ。俺の方こそ、ロミに感謝してる。一人だったら、とっくに気が狂ってた」
「……優しいっスね、レオさん」
「マジか。初めていわれた」
 レオはくすっと笑った。つられて広海も笑う。
「めっちゃ優しいですよ。今だって、俺を匿って助けてくれているし……」
 昨日も思ったことだが、彼ほど誠実で勇敢な人はいないだろう。少なくとも広海に対しては、ずっと温かい思い遣りを示してくれている。この非常事態に、冷静でいられる精神力も尊敬に値するものだ。
 畏敬と感謝の気持ちで見つめていると、レオはふと真面目な顔つきになり、広海を見返した。
「……俺さ、人に関わるのが嫌いなんだ。傍に誰かいると苛々して、酷い時は耳鳴りまでするんだよ」
「えっ」
「でも、不思議とロミは平気なんだよな。これだけ一緒にいるのに、すごく静かなんだ」
 広海は、真っ赤になった。
 そんな……そんなことをいうなんて。お前は特別なんだといわれているようで、嬉しくて恥ずかしくて、すごく嬉しい。
 自意識過剰だと自分にいいきかせるが、ふわふわと浮き立つ心を止められない。
「やめてください」
 両手に顔を沈めて身悶えると、レオは楽しそうに、くすくすと笑った。
「なんで照れるんだよ。顔見せろよ」
 軽く前髪を引っ張られる。声や仕草を甘く感じるのは、どうしてなのだろう?
 これまでにも胸の高鳴りを経験したことはあるが、相手は女の子だった。それなのに、レオなのに、同性なのに、どうしてこれほど心を揺さぶられるのだろう?
 俯いて煩悶はんもんしていると、頬を軽く指で摘まれた。
「う?」
 驚いて顔をあげた広海に、
「俺は確かに、ロミには優しいのかも。ありがたく思えよ」
 レオは悪戯っぽい笑みを浮かべていった。
 親しみのこもった仕草が嬉しくて、広海は頬を摘まれたまま、はにかんだ。
「はひ、レオさんは命の恩人です」
「大げさなんだよ。それから、レオでいい」
 思わず、声にだして広海は笑った。油断するとすぐ、さん呼びになってしまうのだ。
「ありがとうございます、レオ」
「ん……よし、いってくる。いい子で待ってろよ」
 髪をくしゃくしゃにされながら、広海は笑みをこぼした。
「いい子って、子供じゃないんスから」
 レオも唇を笑みに和らげたが、真剣な目でこう続けた。
「マジで気をつけてな。なるべく音を立てないように。窓には絶対近寄るなよ」
 とても真剣な口調だったので、広海も気を引き締めて頷き返した。