超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -
3章:サヴァイヴァー - 4 -
一二月一六日。一〇九日目。午前一〇時。
「ロミ、ベース行ってくる」
ソファーで寛 ぐ広海の前にやってきたレオは、静かに膝をついた。背もたれに沈みこみ、視線を泳がせる広海の目を覗きこもうとする。
「そろそろ慣れろよ」
「無理ッス……」
くすっとレオは笑うと、照れまくる広海の顔を、上目遣いに覗きこんだ。
「ロミ……」
熱っぽい視線に鼓動が早くなる。逃げてしまいたいが、顎に手を添えられると、観念して顔をあげた。
(うぅ、免疫付与のためだ)
一瞬の緊張。
吐息が触れたと思ったら、そっと唇が重なった。こちらを驚かせまいとしているのか、最初はいつも触れるだけのキスが繰り返される。少し慣れてくると、上唇をそっと喰 まれて……おずおず唇を開くと、舌を挿しいれられる。
「んぅ」
反射的に腰を引かせようとしたら、ぐっと抱き寄せられた。逃げまどう舌を優しく吸われて、魔法にかけられたようになる。拒みきれずに、広海は観念してレオの首に両腕を回した。
途端に唇は激しくなり、餓えたように貪 り始めた。舌を吸って、引っ張られ、溢れる唾液を啜 られる。ソファーに押し倒されて、シャツのなかに掌が潜りこんだ。
「待って、レオ」
不埒な手を掴むと、レオは素直に動きを止めた。ちゅっと唇を吸ってから、少し身を引く。欲望と自制が綯 い交ぜになったような顔をしている。広海も同じ表情をしているのだろう。
「……サンキュ」
レオは、最後に広海の額にキスをして、ソファーからおりた。
「判ってると思うけど、部屋をでるなよ」
「はい」
入口に向かうレオの後ろをついていくと、扉前でレオは振り向いた。
「なんか欲しいものある?」
「ううん、大丈夫です。気をつけて」
笑顔を向けると、彼も笑み返してくれた。
「ん。夕方には戻る」
ドアがしまると、広海は股間に視線を落とした。少し触れられただけなのに兆 している。
(……俺ってこんなにエッチだったっけ?)
健全な高校生男子なのだから、悶々として欲望をもてあましても不思議ではないが、その源 がレオだと思うと、叫びながら壁に頭を打ちつけたくなる。
既に何度もセックスしているが、なるべくキスにとどめたいというのが本音だ。レオは、補給と称してたまに野獣化するが、基本的には広海の意志を尊重してくれる。
(はぁ~……爛 れてるよなぁ……)
完全に吹っ切れているレオと違って、広海は己の性癖の歪みを意識する度に、こうして胃がしくしくと痛くなる。
気晴らしにゲームでもしようと、その後、しばらく怠惰 に過ごした。
空が黄昏 めいてきた頃、軽く何か喰べようか考えていると、監視モニターからアラート音が聴こえた。
「ぅわっ」
驚きのあまり、コントローラが手からこぼれ落ちた。
慌ててモニター前に行くと、代わり映えのない映像に異変が起きていた。
松岡春香だ。
一〇階の踊り場で蹲 り、頬を手で押さえて震えている。
(なんであそこに!? 何があった?)
広海は手で口を押さえながら、モニターの前でうろうろした。
迷った末にレオの携帯にかけてみたが、繋 がらなかった。ショートメッセージを送って少し待ってみたが、反応はない。
決断を迫られ、広海は下唇を噛んだ。
(レオからの連絡を待つ? だけどもし、彼女があいつら から逃げてきたのだとしたら?)
ほんの数日前、アイスホッケーのマスクをつけた二人組が、残酷にゾンビを嬲 っていた姿が思いだされた。
あの二人は何をするか判らない。このままだと、彼女が殺されてしまうかもしれない。
迷っている暇はない──自分を奮い立たせて、金属バッドを掴むと、部屋を飛びだした。
一〇階まで下りていくと、春香は、はっと顔をあげた。よほど心細かったのか、広海を見て一瞬、安堵 とも笑いともつかぬ表情を浮かべた。
「お願い、助けて」
彼女は、きらきらと涙で潤んだ瞳 で訴えた。半裸で、いかにも弱々しくて庇護欲をそそられるが、妙に香水の匂いがきつくて、広海は眉を顰 めないよう自制が必要だった。
「何があったんですか?」
「逃げてきたの。あいつら、私を囮 にして、喰料を取りに行かせる心算 なのよ」
「お、囮 ?」
「ゾンビに襲わせるの。その隙に、自分達は喰料を取りに行くのよ」
「えっ」
「それだけじゃないのよ……私の他にも女性が二人いたの。だけどあいつら、奉仕しろってレイプするのよ。他の子は自殺しちゃった。こんなの、もう耐えられない……っ」
春香は頬を押さえていた手を離した。真っ赤に腫れた跡が痛々しく、広海は思わず口を手で覆った。
「それ……殴られたんですか?」
「いつものことよ。反抗した人は、全員処刑された。私や小平さんは、気が弱くて生き残れたけど……時間の問題よ。馬渕 が死んでマシになるかと思ったら、最悪。今度は谷山が仕切りだして……あそこにいたら、殺される……ッ」
嗚咽 をもらす春香の背を、広海は撫でた。撫でながら、混乱していた。馬渕 は、彼等のなかで最も理性的に見えた男だ。実際は違ったのだろうか? その彼も死んだ──先日でかけた時だろうか。
「判りました。一緒に来てください」
春香は、縋 るような眼差しで広海を見つめた。女性にそのような眼差しを向けられたことのない広海は、照れながら確認のために質問した。
「えっと、俺の部屋、最上階なんだけど。階段登れそう?」
「はい」
「じゃあ……一五階まで行けば、エレベーターが動きますから。そこまで行きましょう」
春香は驚いたような顔をした。
「エレベーター? 動いているの?」
「はい、レオが修理してくれたんです」
「え、すごい。直せるんだ……壊れて動かないと思ってた」
「詳しくは判らないけど、まぁ、動きますから」
「でも一一階に機関銃があるのよね? 撃たれない?」
「俺と一緒なら反応しませんから」
「そう?」
春香は安堵 したようにほほえんだが、いざ三脚で固定された三台の機関銃を見ると表情を強張らせた。広海は彼女を振り向いて言った。
「俺から離れないでください。俺の一メートル圏内なら、照準されませんから」
「判ったわ」
一一階の踊り場から一二階にかけて、二人はぴったりくっついて、慎重にゆっくり歩いた。
射程圏内を無事突破すると、春香は詰めていた息を吐きだした。
「……ドキドキしちゃった。この仕掛も君達が作ったの?」
「えーと、まぁ」
「すごいのね」
春香は興奮した様子で言った。
作ったのはレオなのだが、なんとなく広海は誇らしげな気持ちになった。しかし、その一方で心配にもなった。
警戒心が伝播 したのか、春香は、神妙な様子でついて来たが、一五階でエレベーターに乗った時は、感嘆 の声を漏らした。
六三階に辿り着くと、広海は少し慌てた。
「ちょっと、ここで待っていてください」
慌てて部屋に飛びこみ、モニターの電源を落としてカバーをかける。テーブルの上に無造作に置かれている弾薬や武器なんかも全部寝室に隠した。
「お待たせしました」
若干息を切らせて部屋に招き入れると、春香は表情を綻 ばせた。おずおずとした様子で入ってきたが、顔には隠しきれない好奇心が浮かんでいた。冷蔵庫や、整頓 されたバスルームを、感心した様子で眺めている。
「素敵な住まいね」
広海は曖昧に頷いた。相手は柔らかなほほえみを浮かべているか弱い女性なのに、どうしたことか、目をあわせてはいけない気にさせられたのだ。
女の健気 な微笑。無邪気にも見えるが、瞳 に灯った光に一種妬 ましさのような、どこか歪んだ凶々 しさがあった。
「えーと……何か飲みますか? 紅茶か珈琲、緑茶がありますけど?」
広海は、意識して愛想笑いを浮かべた。
「ありがとう、紅茶をください」
「はい、少しお待ちください」
彼女をソファーに残し、広海はキッチンに入った。紅茶缶を手に取ったところで、ポケットに入れたスマホが振動した。
レオだ。
その場に屈みこみ、通話ボタンを押した。
〈ロミ、今どこ? ……一人?〉
「要塞 です。松岡春香さんと一緒です……」
極めて小声で囁いた。
電話越しに重苦しい沈黙が伝わってきて、広海は、緊張で手が湿るのを感じた。
〈──すぐ戻る。危ない時は俺の拳銃を使えよ〉
「え? けん……いや、はい。判りました」
反論を飲みこみ、広海は頷いた。レオが帰ってくることを考えると、緊張もするが、一方で安堵 もしていた。
広海は紅茶とミルク、砂糖を盆に載せて春香の前に持っていった。
春香は表情を綻 ばせ、紅茶に砂糖をたっぷり溶かした。
「……美味しい。紅茶を飲んだの、久しぶり」
ほとんど独り言のように呟いた。淡々とした調子は、香水で鎧 った彼女の、素の表情に見えた。
「喰料は足りていますか?」
「一応、三、四日先までは確保してある。贅沢は言えないけど、缶詰と乾燥喰品ばっかり……飽きてくるけどね」
広海は頷いた。
「私、ここにいてもいいかな?」
春香は上目遣いに広海を見た。
女性らしい艶と媚 に、初心 な広海は朱くなって視線を泳がせた。
「えーっと……レオに訊いてみないと、なんとも」
「じゃあ、レオ君に訊いてみて。お願い。もう下の連中といたくないのよ。私、色々と手伝えることがあると思う」
いかにも儚げな口調だが、砒素 入の砂糖を舐めたような気分にさせられた。
「はい……もうすぐ帰ってくると思うので、訊いてみますね」
広海はどうにか、真面目で親切そうに見えるであろう表情を取り繕 った。
それからしばらく、とりとめのない雑談が続いたが、話すほどに喉 の渇きにも似た憂鬱は増していった。
扉の開く音が聴こえた時、思わず広海は内心で安堵のため息を漏らした。
部屋に入ってきたレオは、春香を見て脚を止めた。おじゃましています、と会釈する春香を一瞥 し、咎 めるような目で広海を見た。
「何してんの」
棘 のある口調に、広海は、頭を掻きながらレオを見つめ返した。
「五階の連中から、逃げてきたんだって。あいつら外道だよ……助けてあげられないかな?」
「はぁ?」
レオの眼差しが険しくなる。びくっとする広海を見つめて、
「人のこと心配している場合かよ。俺達だって、いつゾンビにやられるか判ったもんじゃねェんだぞ」
「うん……」
しょげたように広海が頷くと、レオは広海の肩を抱き寄せ、髪にキスをした。いつもの癖で受け入れてしまった広海だが、春香が目を丸くして見ていることに気がついて、慌てて躰を離した。
「仲がいいんだね」
にこっと春香。広海は、後ろめたさを秘めた愛想笑いを浮かべた。
一瞬、彼女の目が吊りあがったようにも、裡 なる狂気と鬼の顔がそこに覗いたようにも見えたのだ。
しかし、すぐにその表情は消え去り、凪いだ笑みだけが浮かんでいた。
……見間違えたのだろうか?
とりあえず一晩はいていいとレオが許可をだし、三人で喰事をすることになった。
いつもは手料理を振る舞うレオは、不機嫌面 を隠しもせず、缶詰とカップ麺をさしだした。
その露骨な振る舞いに、広海は口元を引きつらせたが、春香は笑顔だ。明るく振る舞っていたが、お互いの事情に話題が及ぶのを巧妙に避けて、会話は上滑りしていた。
相槌を打つのは広海ばかりで、レオは、春香を完全に無視していた。春香が誘うような微笑を浮かべても、全く動じなかった。
わざとらしくない程度に喰事を切りあげ、いつもより早い時間に、寝 に就いた。
寝室は広海とレオが使い、春香にはソファーで寝てもらうことになった。
広海は寝室を譲っても良かったのだが、レオが許さなかった。いっそ清々しいくらい、女性への気遣いが皆無な男だった。
あまりにも空気を読まないレオに、広海は焦りを覚える一方で、安心もしていた。変化に弱い広海は、春香を守らなければと思う反面、レオとの生活が変わってしまうことに怯 えてもいたのだ。
夜の一〇時。
壁一枚向こうに、女性が寝ていると思うと落ち着かない。
何度か寝返りを打ち、もぞもぞしていたが、そのうち眠気を催した。
しばらく眠っていたが、物音がして目を醒ました。ふと隣を見れば、レオがいない。
扉の隙間から、幽 かな光が漏れている。静かにベッドをおりると、部屋をでて、薄明かりを灯したリビングを覗きこみ──凍りついた。キッチンの手前で、春香がレオの首に白い腕を回していたのだ。
唖然と立ち尽くしていると、薄闇のなかで赫 く金緑 の瞳 と遭 った。
息が止まるかと思った。
広海は、ぱっと身を翻 して寝室に戻った。
心臓が煩 いほど鳴っている。どうして自分は、こんなにも酷く動揺しているのだろう?
人生で初めてといってもいい類 の嫉妬を感じていることに、自分でもショックを受けていた。
なにか激 した口調で、春香が喚 いている。
玄関の方が慌ただしくなり、広海が様子を見に行こうか迷っているうちに、扉の閉まる音が聞こえた。
静寂。
恐る恐る部屋をでると、二人はもういなかった。モニターのカバーを外して電源を入れると、エレベーターに乗っている二人が映った。
(今夜は泊めるんじゃなかった?)
困惑しながら見守っていると、一五階で下りたあと、レオは春香の腕を掴んで、機関銃の圏外である一〇階まで連れていった。レオが踵 を返すと、春香はその腕に縋 りつこうとしたが、レオは容赦なく突き飛ばした。
(えっ、置いていくの?)
唖然呆然。どうやら本当に置いていくらしい。レオは振り返りもしなかった。春香はしばらく階段を見つめていたが、やがて諦めたように階段を下りていった。
(……さっき何があったんだろう。抱きあってたけど、レオが望んだわけじゃなかったのか?)
煩悶 していると、レオがエレベーターを降りた。
慌ててモニターを消してカバーをかけると、寝室に入って、布団にもぐりこんだ。
目を閉じて寝たふりをしていると、玄関から物音が聴こえた。足音は真っ直ぐ寝室に近づいてくる。扉が開いた瞬間、鼓動が強く跳 ねた。
「……ロミ?」
返事をしないでいると、枕元が沈みこんだ。レオがベッドの縁に腰かけ、広海の顔を覗きこもうとしている。
頬を手の甲で優しく無でられ、広海の身は意思に反して小さく震えた。
「ロミ、顔見せて……」
耳元で囁かれて、広海は肩を縮こめた。声をあげまいとし、唇をきつく噛みしめる。
「誤解してるだろ? あの女とは何もしてねぇよ。寝室まで夜這いにきやがったから、引き剥がそうとしていただけだ」
「……そうですか」
思ったより棘 のある声がでた。広海は自己嫌悪を覚えたが、いまさら訂正もできなかった。
「疑ってるだろ」
「……」
「なァ、こっち向けよ」
広海が無視すると、肩を掌に包まれ、優しく揺すられた。
「やめて……」
広海は腕をつかって振り払おうとするが、レオはその手を掴み、胸のなかに抱きこんだ。髪、こめかみ、頬にちゅっちゅっとキスの雨を降らせる。
「ゃだ」
「……なんで?」
レオは広海の頭の後ろを掌で支えて、唇を重ねてきた。驚いて離れようとする広海に押しかぶさるようにして、唇をあわせてくる。
「ちょっ……レオ、ぁ……待って、松岡さんは?」
「追いだした」
「なんで?」
広海はレオを見つめた。
「いい大人が、高校生に色目使ってくるんだぜ。淫行罪だろ」
「だからって……行くところないのに」
広海は上半身を起こして、扉を見た。シーツについた手に、レオは掌を重ねた。
「ロミさ、あの女が虐待から逃げてきたと思ってるんだろうけど、違うからな」
「え?」
「偵察に来たんだよ。俺がいないタイミングを狙って、お人好しのロミが引っかかるかも、って踊り場で餌垂らして待ってたんだよ」
広海はまじまじとレオの顔を見つめた。
「……じゃあ、松岡さんが言ってた……レイプとか、嘘なの?」
「それは知らねーけど、下心があったのは本当だろ。なのに、部屋にあげて、エレベーターの秘密も教えちゃって、お前はホントに……」
憫笑 され嘲笑されていると感じたが、広海は反駁 できなかった。ぐっと唇を噛んで、視線を俯 ける。
レオは肩を抱き寄せた。
「まぁ、そういうわけだから、もう五階の連中には関わるなよ。次になんかあっても、放っとけ」
「……」
「寝ようぜ」
広海はレオの顔を伺い見た。幽 かな反発心が胸に広がって、唇を尖らせる。
「……やりたくない」
「ンだよ、何もしねぇよ」
レオは不服げに言った。
少し躊躇 い、広海が躰をずらすと、レオは隣にもぐりこんできた。背中にぴったりとくっついて、抱えこむ。頸筋 に顔を埋め、くんくんと鼻を鳴らした。
「……何?」
広海は棘 のある声で応じたが、レオは柔らかなため息を吐いた。
「は──……癒やされる。あの女、マジで臭かった」
うんざりした物言いに、思わず、広海も笑ってしまった。
確かに、彼女の臭気はきつかった。レオの言う通り、最初から色目が目的で、半裸に香水を振りまいていたのかもしれない。
女性を追いだしてしまったことを気に病んでいたのだが、彼女にも下心があったのだと思うと、良心の呵責 がいくらか薄れるのを感じた。
「ロミ、ベース行ってくる」
ソファーで
「そろそろ慣れろよ」
「無理ッス……」
くすっとレオは笑うと、照れまくる広海の顔を、上目遣いに覗きこんだ。
「ロミ……」
熱っぽい視線に鼓動が早くなる。逃げてしまいたいが、顎に手を添えられると、観念して顔をあげた。
(うぅ、免疫付与のためだ)
一瞬の緊張。
吐息が触れたと思ったら、そっと唇が重なった。こちらを驚かせまいとしているのか、最初はいつも触れるだけのキスが繰り返される。少し慣れてくると、上唇をそっと
「んぅ」
反射的に腰を引かせようとしたら、ぐっと抱き寄せられた。逃げまどう舌を優しく吸われて、魔法にかけられたようになる。拒みきれずに、広海は観念してレオの首に両腕を回した。
途端に唇は激しくなり、餓えたように
「待って、レオ」
不埒な手を掴むと、レオは素直に動きを止めた。ちゅっと唇を吸ってから、少し身を引く。欲望と自制が
「……サンキュ」
レオは、最後に広海の額にキスをして、ソファーからおりた。
「判ってると思うけど、部屋をでるなよ」
「はい」
入口に向かうレオの後ろをついていくと、扉前でレオは振り向いた。
「なんか欲しいものある?」
「ううん、大丈夫です。気をつけて」
笑顔を向けると、彼も笑み返してくれた。
「ん。夕方には戻る」
ドアがしまると、広海は股間に視線を落とした。少し触れられただけなのに
(……俺ってこんなにエッチだったっけ?)
健全な高校生男子なのだから、悶々として欲望をもてあましても不思議ではないが、その
既に何度もセックスしているが、なるべくキスにとどめたいというのが本音だ。レオは、補給と称してたまに野獣化するが、基本的には広海の意志を尊重してくれる。
(はぁ~……
完全に吹っ切れているレオと違って、広海は己の性癖の歪みを意識する度に、こうして胃がしくしくと痛くなる。
気晴らしにゲームでもしようと、その後、しばらく
空が
「ぅわっ」
驚きのあまり、コントローラが手からこぼれ落ちた。
慌ててモニター前に行くと、代わり映えのない映像に異変が起きていた。
松岡春香だ。
一〇階の踊り場で
(なんであそこに!? 何があった?)
広海は手で口を押さえながら、モニターの前でうろうろした。
迷った末にレオの携帯にかけてみたが、
決断を迫られ、広海は下唇を噛んだ。
(レオからの連絡を待つ? だけどもし、彼女が
ほんの数日前、アイスホッケーのマスクをつけた二人組が、残酷にゾンビを
あの二人は何をするか判らない。このままだと、彼女が殺されてしまうかもしれない。
迷っている暇はない──自分を奮い立たせて、金属バッドを掴むと、部屋を飛びだした。
一〇階まで下りていくと、春香は、はっと顔をあげた。よほど心細かったのか、広海を見て一瞬、
「お願い、助けて」
彼女は、きらきらと涙で潤んだ
「何があったんですか?」
「逃げてきたの。あいつら、私を
「お、
「ゾンビに襲わせるの。その隙に、自分達は喰料を取りに行くのよ」
「えっ」
「それだけじゃないのよ……私の他にも女性が二人いたの。だけどあいつら、奉仕しろってレイプするのよ。他の子は自殺しちゃった。こんなの、もう耐えられない……っ」
春香は頬を押さえていた手を離した。真っ赤に腫れた跡が痛々しく、広海は思わず口を手で覆った。
「それ……殴られたんですか?」
「いつものことよ。反抗した人は、全員処刑された。私や小平さんは、気が弱くて生き残れたけど……時間の問題よ。
「判りました。一緒に来てください」
春香は、
「えっと、俺の部屋、最上階なんだけど。階段登れそう?」
「はい」
「じゃあ……一五階まで行けば、エレベーターが動きますから。そこまで行きましょう」
春香は驚いたような顔をした。
「エレベーター? 動いているの?」
「はい、レオが修理してくれたんです」
「え、すごい。直せるんだ……壊れて動かないと思ってた」
「詳しくは判らないけど、まぁ、動きますから」
「でも一一階に機関銃があるのよね? 撃たれない?」
「俺と一緒なら反応しませんから」
「そう?」
春香は
「俺から離れないでください。俺の一メートル圏内なら、照準されませんから」
「判ったわ」
一一階の踊り場から一二階にかけて、二人はぴったりくっついて、慎重にゆっくり歩いた。
射程圏内を無事突破すると、春香は詰めていた息を吐きだした。
「……ドキドキしちゃった。この仕掛も君達が作ったの?」
「えーと、まぁ」
「すごいのね」
春香は興奮した様子で言った。
作ったのはレオなのだが、なんとなく広海は誇らしげな気持ちになった。しかし、その一方で心配にもなった。
警戒心が
六三階に辿り着くと、広海は少し慌てた。
「ちょっと、ここで待っていてください」
慌てて部屋に飛びこみ、モニターの電源を落としてカバーをかける。テーブルの上に無造作に置かれている弾薬や武器なんかも全部寝室に隠した。
「お待たせしました」
若干息を切らせて部屋に招き入れると、春香は表情を
「素敵な住まいね」
広海は曖昧に頷いた。相手は柔らかなほほえみを浮かべているか弱い女性なのに、どうしたことか、目をあわせてはいけない気にさせられたのだ。
女の
「えーと……何か飲みますか? 紅茶か珈琲、緑茶がありますけど?」
広海は、意識して愛想笑いを浮かべた。
「ありがとう、紅茶をください」
「はい、少しお待ちください」
彼女をソファーに残し、広海はキッチンに入った。紅茶缶を手に取ったところで、ポケットに入れたスマホが振動した。
レオだ。
その場に屈みこみ、通話ボタンを押した。
〈ロミ、今どこ? ……一人?〉
「
極めて小声で囁いた。
電話越しに重苦しい沈黙が伝わってきて、広海は、緊張で手が湿るのを感じた。
〈──すぐ戻る。危ない時は俺の拳銃を使えよ〉
「え? けん……いや、はい。判りました」
反論を飲みこみ、広海は頷いた。レオが帰ってくることを考えると、緊張もするが、一方で
広海は紅茶とミルク、砂糖を盆に載せて春香の前に持っていった。
春香は表情を
「……美味しい。紅茶を飲んだの、久しぶり」
ほとんど独り言のように呟いた。淡々とした調子は、香水で
「喰料は足りていますか?」
「一応、三、四日先までは確保してある。贅沢は言えないけど、缶詰と乾燥喰品ばっかり……飽きてくるけどね」
広海は頷いた。
「私、ここにいてもいいかな?」
春香は上目遣いに広海を見た。
女性らしい艶と
「えーっと……レオに訊いてみないと、なんとも」
「じゃあ、レオ君に訊いてみて。お願い。もう下の連中といたくないのよ。私、色々と手伝えることがあると思う」
いかにも儚げな口調だが、
「はい……もうすぐ帰ってくると思うので、訊いてみますね」
広海はどうにか、真面目で親切そうに見えるであろう表情を取り
それからしばらく、とりとめのない雑談が続いたが、話すほどに
扉の開く音が聴こえた時、思わず広海は内心で安堵のため息を漏らした。
部屋に入ってきたレオは、春香を見て脚を止めた。おじゃましています、と会釈する春香を
「何してんの」
「五階の連中から、逃げてきたんだって。あいつら外道だよ……助けてあげられないかな?」
「はぁ?」
レオの眼差しが険しくなる。びくっとする広海を見つめて、
「人のこと心配している場合かよ。俺達だって、いつゾンビにやられるか判ったもんじゃねェんだぞ」
「うん……」
しょげたように広海が頷くと、レオは広海の肩を抱き寄せ、髪にキスをした。いつもの癖で受け入れてしまった広海だが、春香が目を丸くして見ていることに気がついて、慌てて躰を離した。
「仲がいいんだね」
にこっと春香。広海は、後ろめたさを秘めた愛想笑いを浮かべた。
一瞬、彼女の目が吊りあがったようにも、
しかし、すぐにその表情は消え去り、凪いだ笑みだけが浮かんでいた。
……見間違えたのだろうか?
とりあえず一晩はいていいとレオが許可をだし、三人で喰事をすることになった。
いつもは手料理を振る舞うレオは、不機嫌
その露骨な振る舞いに、広海は口元を引きつらせたが、春香は笑顔だ。明るく振る舞っていたが、お互いの事情に話題が及ぶのを巧妙に避けて、会話は上滑りしていた。
相槌を打つのは広海ばかりで、レオは、春香を完全に無視していた。春香が誘うような微笑を浮かべても、全く動じなかった。
わざとらしくない程度に喰事を切りあげ、いつもより早い時間に、
寝室は広海とレオが使い、春香にはソファーで寝てもらうことになった。
広海は寝室を譲っても良かったのだが、レオが許さなかった。いっそ清々しいくらい、女性への気遣いが皆無な男だった。
あまりにも空気を読まないレオに、広海は焦りを覚える一方で、安心もしていた。変化に弱い広海は、春香を守らなければと思う反面、レオとの生活が変わってしまうことに
夜の一〇時。
壁一枚向こうに、女性が寝ていると思うと落ち着かない。
何度か寝返りを打ち、もぞもぞしていたが、そのうち眠気を催した。
しばらく眠っていたが、物音がして目を醒ました。ふと隣を見れば、レオがいない。
扉の隙間から、
唖然と立ち尽くしていると、薄闇のなかで
息が止まるかと思った。
広海は、ぱっと身を
心臓が
人生で初めてといってもいい
なにか
玄関の方が慌ただしくなり、広海が様子を見に行こうか迷っているうちに、扉の閉まる音が聞こえた。
静寂。
恐る恐る部屋をでると、二人はもういなかった。モニターのカバーを外して電源を入れると、エレベーターに乗っている二人が映った。
(今夜は泊めるんじゃなかった?)
困惑しながら見守っていると、一五階で下りたあと、レオは春香の腕を掴んで、機関銃の圏外である一〇階まで連れていった。レオが
(えっ、置いていくの?)
唖然呆然。どうやら本当に置いていくらしい。レオは振り返りもしなかった。春香はしばらく階段を見つめていたが、やがて諦めたように階段を下りていった。
(……さっき何があったんだろう。抱きあってたけど、レオが望んだわけじゃなかったのか?)
慌ててモニターを消してカバーをかけると、寝室に入って、布団にもぐりこんだ。
目を閉じて寝たふりをしていると、玄関から物音が聴こえた。足音は真っ直ぐ寝室に近づいてくる。扉が開いた瞬間、鼓動が強く
「……ロミ?」
返事をしないでいると、枕元が沈みこんだ。レオがベッドの縁に腰かけ、広海の顔を覗きこもうとしている。
頬を手の甲で優しく無でられ、広海の身は意思に反して小さく震えた。
「ロミ、顔見せて……」
耳元で囁かれて、広海は肩を縮こめた。声をあげまいとし、唇をきつく噛みしめる。
「誤解してるだろ? あの女とは何もしてねぇよ。寝室まで夜這いにきやがったから、引き剥がそうとしていただけだ」
「……そうですか」
思ったより
「疑ってるだろ」
「……」
「なァ、こっち向けよ」
広海が無視すると、肩を掌に包まれ、優しく揺すられた。
「やめて……」
広海は腕をつかって振り払おうとするが、レオはその手を掴み、胸のなかに抱きこんだ。髪、こめかみ、頬にちゅっちゅっとキスの雨を降らせる。
「ゃだ」
「……なんで?」
レオは広海の頭の後ろを掌で支えて、唇を重ねてきた。驚いて離れようとする広海に押しかぶさるようにして、唇をあわせてくる。
「ちょっ……レオ、ぁ……待って、松岡さんは?」
「追いだした」
「なんで?」
広海はレオを見つめた。
「いい大人が、高校生に色目使ってくるんだぜ。淫行罪だろ」
「だからって……行くところないのに」
広海は上半身を起こして、扉を見た。シーツについた手に、レオは掌を重ねた。
「ロミさ、あの女が虐待から逃げてきたと思ってるんだろうけど、違うからな」
「え?」
「偵察に来たんだよ。俺がいないタイミングを狙って、お人好しのロミが引っかかるかも、って踊り場で餌垂らして待ってたんだよ」
広海はまじまじとレオの顔を見つめた。
「……じゃあ、松岡さんが言ってた……レイプとか、嘘なの?」
「それは知らねーけど、下心があったのは本当だろ。なのに、部屋にあげて、エレベーターの秘密も教えちゃって、お前はホントに……」
レオは肩を抱き寄せた。
「まぁ、そういうわけだから、もう五階の連中には関わるなよ。次になんかあっても、放っとけ」
「……」
「寝ようぜ」
広海はレオの顔を伺い見た。
「……やりたくない」
「ンだよ、何もしねぇよ」
レオは不服げに言った。
少し
「……何?」
広海は
「は──……癒やされる。あの女、マジで臭かった」
うんざりした物言いに、思わず、広海も笑ってしまった。
確かに、彼女の臭気はきつかった。レオの言う通り、最初から色目が目的で、半裸に香水を振りまいていたのかもしれない。
女性を追いだしてしまったことを気に病んでいたのだが、彼女にも下心があったのだと思うと、良心の