月狼聖杯記
4章:月光の微笑 - 5 -
ラギスはシェスラの推薦で、月狼銀毛騎士団に配属された。
反駁 を唱える者がいそうなものだが、権威の頂点に座し国民の絶大な人気と支持を集めるシェスラの推薦は、即決を意味する。更に彼は、ラギスのことを己の聖杯、番 であると憚らずに公言していた。
誰も文句はいえなかった。
しかし、騎士団に所属して一月が経過しても、ラギスは馴染めずにいた。
実技は問題はない。戦闘において、他の騎士に遅れをとることはなかった。
ただし、連帯行動となると話は別だ。
生まれも育ちも良く、礼節を重んじる騎士達は、表面上は儀礼的に接していても、無愛想で教養の低いラギスを見下していた。
だが、排他的な空気を肌に感じようとも、怯むようなラギスではない。
やっかみ、絡んでくる者もなかにはいるが、ラギスは立派な体躯をした無敗の剣闘士である。
暴力に屈することもない。
権威の面でも、唯一絶対の王にして、軍の頂点に座すシェスラの威光がある。
空気が凍りついていようと、ラギスは堂々と鍛錬に精をだすことができた。
剣術の稽古はいい。
躰を動かしている間は、おのが身に降り懸かった不幸を嘆くこともない。
藺草 を仕込んだ胴衣は、欠かさずに身に着けている。これがあれば、聖杯であることも忘れていられる。
鍛錬を終えたあと、ラギスは隅に控えていたジリアンを呼んだ。壁を背に立つ少年の顔の横に手を置いて、声を潜めて囁く。
「……どうだ、臭うか?」
ジリアンは少しもじもじして、言葉を探そうとするかのように視線を動かした。
「遠慮せず、はっきりいってくれ」
「その……匂うといっても、決して嫌な香りでは、うっ」
ラギスは少年の頭部を軽く叩いた。
「感想はいらねぇよ。気取られるようなら、水を浴びてくる」
「いえ、仄かに香っていますが、藺草で調和されていますよ」
「つまり、問題ないってことか?」
「はい。お傍に寄らない限りは、判らないかと」
「よし」
安堵して顔をあげると、背中に声をかけられた。
「ラギス! 何をしてる?」
訝しげな顔をしているロキを振り返り、ラギスは口を開いた。
「稽古を終えたところだ」
「いたいけな少年を襲っているのかと思ったぞ」
「冗談はよせ」
顔をしかめているラギスの傍にロキはやってくると、ジリアンの顔を覗きんで、驚きに目を瞠った。
「確かに綺麗な顔をしているな。ラギスが口説くのも無理はない」
「口説いてねぇよ」
ジリアンは赤面して俯いた。少年の恥じ入る姿を見て、ラギスは胸を張っていってやった。
「からかってやるな。女みたいな面 しているが、腕は確かだ。そこいらの騎士より役に立つぜ」
不沈城 事変以降、凶手に襲われることはないが、騎士達との間で、ちょっとした小競合い程度のことは日常茶飯事だ。ジリアンはよく対処していた。
「へぇ」
話を聞いてロキが感心したように相槌を打つと、ラギスはジリアンの背をばしっと叩いた。華奢な少年は軽くむせ、それから嬉しそうな顔でほほえんだ。
見た目はまるで違う主従のやりとりを見て、ロキもちょっと笑った。
「ところで、腹が減って休憩にいくところなんだが、一緒にどうだ?」
ロキの提案に、いいとも、ラギスは即答で応じた。
騎士団のいいところの一つは、十分な食事に毎日ありつけることだろう。食堂は早朝から深夜まで機能していて、専属の料理人がいつでも暖かい食事を提供してくれるのだ。
食堂に入ると、昼時ということもあり、大勢の騎士達でごった返していた。
ラギス達が盆を手に長卓につくと、周囲は好奇の視線を投げてよこした。
「……なぁ、ラピニシアの編隊はもう始まっているのか?」
ラギスが問うと、いや、とロキはかぶりを振った。
「まだ知らされていない。ラギスこそ、何か聞いていないか?」
「詳細は知らん。あいつはここのところ、下院に演説するか、貴族院の集まりに顔をだしているかのどっちかだ」
「遠征前に、基盤を固めていらっしゃるのだろう」
「ふん」
鼻を鳴らすラギスを見て、ロキはつけ加えた。
「貴族の饗宴を愉しんでいるわけじゃないさ。民衆の支持だけに頼るのは危険だとよく判っておられるのだろう……」
言葉をきると、ロキは左右の開いた席を見て、思案げにラギスを見つめた。
「やっぱり、浮いてるな」
「まぁな。騎士ってのは、無駄に自尊心の高い奴しかいねぇのか?」
ライ麦パンを租借しながら、ラギスは痛烈な嫌味を零した。聞きつけた周囲の騎士が、むっとした顔でこちらを見ている。ロキは困ったような顔でラギスを見た。
「お前も騎士になったんだぞ。それも、王直属の麾下 連隊だ。少しは気を遣え」
「騎士になったつもりはねぇよ。訓練を受ける気になっただけだ」
「お前は変わらないな。躰も心も屈強だが、傲慢なところがある」
「へッ」
肉にかぶりつくラギスを見て、ロキは仕方なさそうにため息をついた。
「今のうちに直しておけよ。騎士をやる以上、集団行動はつきまとうぜ」
うんざりしたような顔のラギスを見て、ロキはにやっと口角をあげた。
「苦労するな。お前に最も足りていないもの、即 ち協調性を求められるんだ」
「俺は一人でやれる。群れていいことなんてあるのか?」
「戦う時、背を預けることになるかもしれないんだ。連帯感を高めておいて損はない」
「面倒だ」
かぶりを振るラギスを、ロキは呆れたような目で見つめた。
「その調子だと、戦場で真っ先に死ぬな」
ラギスは強く鼻を鳴らした。
「そう簡単に殺られはしない。少なくとも、あんたよりは長く戦場に立ってみせる」
「期待しておこう。俺のいったことを、よく覚えておけよ」
席を立つと、ロキは背を向けたまま、手をひらひらさせて遠ざかっていった。
誰も文句はいえなかった。
しかし、騎士団に所属して一月が経過しても、ラギスは馴染めずにいた。
実技は問題はない。戦闘において、他の騎士に遅れをとることはなかった。
ただし、連帯行動となると話は別だ。
生まれも育ちも良く、礼節を重んじる騎士達は、表面上は儀礼的に接していても、無愛想で教養の低いラギスを見下していた。
だが、排他的な空気を肌に感じようとも、怯むようなラギスではない。
やっかみ、絡んでくる者もなかにはいるが、ラギスは立派な体躯をした無敗の剣闘士である。
暴力に屈することもない。
権威の面でも、唯一絶対の王にして、軍の頂点に座すシェスラの威光がある。
空気が凍りついていようと、ラギスは堂々と鍛錬に精をだすことができた。
剣術の稽古はいい。
躰を動かしている間は、おのが身に降り懸かった不幸を嘆くこともない。
鍛錬を終えたあと、ラギスは隅に控えていたジリアンを呼んだ。壁を背に立つ少年の顔の横に手を置いて、声を潜めて囁く。
「……どうだ、臭うか?」
ジリアンは少しもじもじして、言葉を探そうとするかのように視線を動かした。
「遠慮せず、はっきりいってくれ」
「その……匂うといっても、決して嫌な香りでは、うっ」
ラギスは少年の頭部を軽く叩いた。
「感想はいらねぇよ。気取られるようなら、水を浴びてくる」
「いえ、仄かに香っていますが、藺草で調和されていますよ」
「つまり、問題ないってことか?」
「はい。お傍に寄らない限りは、判らないかと」
「よし」
安堵して顔をあげると、背中に声をかけられた。
「ラギス! 何をしてる?」
訝しげな顔をしているロキを振り返り、ラギスは口を開いた。
「稽古を終えたところだ」
「いたいけな少年を襲っているのかと思ったぞ」
「冗談はよせ」
顔をしかめているラギスの傍にロキはやってくると、ジリアンの顔を覗きんで、驚きに目を瞠った。
「確かに綺麗な顔をしているな。ラギスが口説くのも無理はない」
「口説いてねぇよ」
ジリアンは赤面して俯いた。少年の恥じ入る姿を見て、ラギスは胸を張っていってやった。
「からかってやるな。女みたいな
「へぇ」
話を聞いてロキが感心したように相槌を打つと、ラギスはジリアンの背をばしっと叩いた。華奢な少年は軽くむせ、それから嬉しそうな顔でほほえんだ。
見た目はまるで違う主従のやりとりを見て、ロキもちょっと笑った。
「ところで、腹が減って休憩にいくところなんだが、一緒にどうだ?」
ロキの提案に、いいとも、ラギスは即答で応じた。
騎士団のいいところの一つは、十分な食事に毎日ありつけることだろう。食堂は早朝から深夜まで機能していて、専属の料理人がいつでも暖かい食事を提供してくれるのだ。
食堂に入ると、昼時ということもあり、大勢の騎士達でごった返していた。
ラギス達が盆を手に長卓につくと、周囲は好奇の視線を投げてよこした。
「……なぁ、ラピニシアの編隊はもう始まっているのか?」
ラギスが問うと、いや、とロキはかぶりを振った。
「まだ知らされていない。ラギスこそ、何か聞いていないか?」
「詳細は知らん。あいつはここのところ、下院に演説するか、貴族院の集まりに顔をだしているかのどっちかだ」
「遠征前に、基盤を固めていらっしゃるのだろう」
「ふん」
鼻を鳴らすラギスを見て、ロキはつけ加えた。
「貴族の饗宴を愉しんでいるわけじゃないさ。民衆の支持だけに頼るのは危険だとよく判っておられるのだろう……」
言葉をきると、ロキは左右の開いた席を見て、思案げにラギスを見つめた。
「やっぱり、浮いてるな」
「まぁな。騎士ってのは、無駄に自尊心の高い奴しかいねぇのか?」
ライ麦パンを租借しながら、ラギスは痛烈な嫌味を零した。聞きつけた周囲の騎士が、むっとした顔でこちらを見ている。ロキは困ったような顔でラギスを見た。
「お前も騎士になったんだぞ。それも、王直属の
「騎士になったつもりはねぇよ。訓練を受ける気になっただけだ」
「お前は変わらないな。躰も心も屈強だが、傲慢なところがある」
「へッ」
肉にかぶりつくラギスを見て、ロキは仕方なさそうにため息をついた。
「今のうちに直しておけよ。騎士をやる以上、集団行動はつきまとうぜ」
うんざりしたような顔のラギスを見て、ロキはにやっと口角をあげた。
「苦労するな。お前に最も足りていないもの、
「俺は一人でやれる。群れていいことなんてあるのか?」
「戦う時、背を預けることになるかもしれないんだ。連帯感を高めておいて損はない」
「面倒だ」
かぶりを振るラギスを、ロキは呆れたような目で見つめた。
「その調子だと、戦場で真っ先に死ぬな」
ラギスは強く鼻を鳴らした。
「そう簡単に殺られはしない。少なくとも、あんたよりは長く戦場に立ってみせる」
「期待しておこう。俺のいったことを、よく覚えておけよ」
席を立つと、ロキは背を向けたまま、手をひらひらさせて遠ざかっていった。