月狼聖杯記
2章:饗宴の涯て - 8 -
夜が更ける頃、饗宴は終わりを告げた。
始めは凛々しい騎士服を着用していた近衛達は、次第に乱れて、最後は上半身は裸になりラギスに絡みついてきた。
彼等の昂りが大腿 や腰に押しつけられる度に、ラギスは怒りと屈辱で怒鳴り散らした。
シェスラは、忠実な騎士達にラギスに触れることは赦しても、後ろへの挿入は赦さなかった。
そうして自ら突きあげ、噴きあがるラギスの霊液 を、乳兄弟達に分け与えた。
今宵の饗宴は、淫らで執拗だった。
王を怒らせると、どのような目にあうのか――嫌というほど思い知らされた。
情け容赦なく相手の弱点を突いてくる。あの男は、ラギスの矜持を穢し、気概を挫くことに僅かな躊躇いもなかった。
一晩のうちに何度も射精を強制され、琥珀の霊液 に塗れたラギスの重たい躰を、召使達は苦心して浴場に連れていき、粛々と清めた。
部屋に戻ると、褥 でシェスラが待っていた。
つと白い手が伸ばされる。
避けよう、という思考は働かなかった。
ぼんやりとした意識のなかで、膿のように流れだす、哀しみと絶望だけを漠然と感じていた。
触れる瞬間を黙って受け入れながら、ラギスはシェスラの腰帯に目を留めた。
宝石を象嵌 された、装飾短剣が挟んである。
躰が勝手に動いた。一瞬の隙をついて短剣を奪うと、それをシェスラに向けた。
「何の真似だ」
シェスラは落ち着いた顔と声で訊ねた。
「……」
「私を殺したいか?」
シェスラは薄笑いを浮かべると、煽るように両手を広げてみせた。
「……殺す」
金色の瞳に、煉獄の炎めいた昏い輝きが灯る。
しかし、短剣を持つ手はぶるぶると震えている。
殺してやりたいのに、躰に流れる血が、本能が、王への服従を囁いてくるのだ。
「ッ、くそッ」
「ほら、どうした?」
一秒ごとに神経をすり減らしているラギスと違い、シェスラは泰然と寛いでいる。
「殺す」
「やってみろ」
「殺してやる」
「手が震えているぞ?」
「う、ぐ……ッ」
ラギスは、数秒の間に手のなかの短剣を、幾度も王の胸に突き立てる妄想をした。だが、現実には手は微塵も動いていない。次第に短剣を握る手がべたべたとしてきた。
「くそッたれ」
なぜ刺せない――相手は無防備に手を広げている。心臓に突き立てることは造作もない。なのに、手が動かない。
(なぜだ。なぜ!?)
嘲弄を浮かべるシェスラの顔が、歪んで見える。
目を見開いたまま、幻視に囚われた。王の美貌は赫 と燃える焔に包まれてゆく。
十七年前――燃え盛るヤクソンの森。
ビョーグ。
燃えていく、果樹園の小路。
祖母の家。月の満ち欠けを記した、樫の古時計。
幼い妹を抱く母の姿。
冷たく凍ったビョーグの亡骸。
怒り。
苦悩。
絶望。
幾千もの情景を思い浮かべながら、ラギスは瞼を伏せた。勢いよく短剣を振りかざす。
「何ッ!?」
シェスラは目を見開いた――己の下腹に短剣を深々と突き刺した聖杯を見て。王の驚愕を見て、ラギスは昏い満足感を味わった。
(ざまぁみろッ!!)
王は短剣から手を離させようとするが、ラギスは渾身の力を振り絞り、更に短剣を己の腹に突き立てた。
「ぐ、ぐ……ぁッ!!」
腹から、ぼたぼたと血が零れ落ちる。鮮血の熱さを腕に感じながら、刃を横に薙 いだ。
「あぐッ」
「ラギスッ!!」
王の必死な声に、ラギスは顔をあげた。余裕の剥がれ落ちた美しい顔を見て、口角を笑みに歪める。
「は、はは……ぐっ」
嗤おうとしたら、咳がでた。
凄まじい痛みは意識の遠くにあり、破裂しそうな鼓動の音だけが大音量で聞こえていた。
唇の端から血が零れて、ぱたぱたと落ちる。寝台は鮮血に染まり、血の池と化していた。躰中の血が流れていく。
嗅ぎなれた酸鼻に、ラギスは安らぎを覚えた。
これだけ血の匂いが充満していれば、王の香気に惑うこともない。
大量の血が躰から失われて、急速に視界はぼやけていく。シェスラの青褪めた顔も……
(せいぜい、惜しむがいい)
嘲笑ってやりたいのに、意識が遠のく。
残念に思いながら、心は空へ浮きあがるように軽くなっていった。
もう、何も見えない。
王の声も遠ざかり、視界は暗闇に包まれた。
ようやく、現世のしがらみから解放される。
死。
甘やかな死。
やっと、死ねる。
待ち望んだ光明の世界、甘美な瞬間が訪れようとしている。
信仰心の潰えた心に、清らかな聖歌が届く。
神秘なる天に向かって、魂が昇華しようとしている。
闇の涯てに光が見える……
ビョーグ。
いつか見た、あの懐かしい笑顔にようやく会える。母さん、父さん、かわいいアモネ……
同胞の待つ、ヤクソンの森に還ろう。
鎖から解き放たれて、月狼になって、金色に輝く果樹園の小路を駆けていく。
どこまでも、自由に、どこまでも……
始めは凛々しい騎士服を着用していた近衛達は、次第に乱れて、最後は上半身は裸になりラギスに絡みついてきた。
彼等の昂りが
シェスラは、忠実な騎士達にラギスに触れることは赦しても、後ろへの挿入は赦さなかった。
そうして自ら突きあげ、噴きあがるラギスの
今宵の饗宴は、淫らで執拗だった。
王を怒らせると、どのような目にあうのか――嫌というほど思い知らされた。
情け容赦なく相手の弱点を突いてくる。あの男は、ラギスの矜持を穢し、気概を挫くことに僅かな躊躇いもなかった。
一晩のうちに何度も射精を強制され、琥珀の
部屋に戻ると、
つと白い手が伸ばされる。
避けよう、という思考は働かなかった。
ぼんやりとした意識のなかで、膿のように流れだす、哀しみと絶望だけを漠然と感じていた。
触れる瞬間を黙って受け入れながら、ラギスはシェスラの腰帯に目を留めた。
宝石を
躰が勝手に動いた。一瞬の隙をついて短剣を奪うと、それをシェスラに向けた。
「何の真似だ」
シェスラは落ち着いた顔と声で訊ねた。
「……」
「私を殺したいか?」
シェスラは薄笑いを浮かべると、煽るように両手を広げてみせた。
「……殺す」
金色の瞳に、煉獄の炎めいた昏い輝きが灯る。
しかし、短剣を持つ手はぶるぶると震えている。
殺してやりたいのに、躰に流れる血が、本能が、王への服従を囁いてくるのだ。
「ッ、くそッ」
「ほら、どうした?」
一秒ごとに神経をすり減らしているラギスと違い、シェスラは泰然と寛いでいる。
「殺す」
「やってみろ」
「殺してやる」
「手が震えているぞ?」
「う、ぐ……ッ」
ラギスは、数秒の間に手のなかの短剣を、幾度も王の胸に突き立てる妄想をした。だが、現実には手は微塵も動いていない。次第に短剣を握る手がべたべたとしてきた。
「くそッたれ」
なぜ刺せない――相手は無防備に手を広げている。心臓に突き立てることは造作もない。なのに、手が動かない。
(なぜだ。なぜ!?)
嘲弄を浮かべるシェスラの顔が、歪んで見える。
目を見開いたまま、幻視に囚われた。王の美貌は
十七年前――燃え盛るヤクソンの森。
ビョーグ。
燃えていく、果樹園の小路。
祖母の家。月の満ち欠けを記した、樫の古時計。
幼い妹を抱く母の姿。
冷たく凍ったビョーグの亡骸。
怒り。
苦悩。
絶望。
幾千もの情景を思い浮かべながら、ラギスは瞼を伏せた。勢いよく短剣を振りかざす。
「何ッ!?」
シェスラは目を見開いた――己の下腹に短剣を深々と突き刺した聖杯を見て。王の驚愕を見て、ラギスは昏い満足感を味わった。
(ざまぁみろッ!!)
王は短剣から手を離させようとするが、ラギスは渾身の力を振り絞り、更に短剣を己の腹に突き立てた。
「ぐ、ぐ……ぁッ!!」
腹から、ぼたぼたと血が零れ落ちる。鮮血の熱さを腕に感じながら、刃を横に
「あぐッ」
「ラギスッ!!」
王の必死な声に、ラギスは顔をあげた。余裕の剥がれ落ちた美しい顔を見て、口角を笑みに歪める。
「は、はは……ぐっ」
嗤おうとしたら、咳がでた。
凄まじい痛みは意識の遠くにあり、破裂しそうな鼓動の音だけが大音量で聞こえていた。
唇の端から血が零れて、ぱたぱたと落ちる。寝台は鮮血に染まり、血の池と化していた。躰中の血が流れていく。
嗅ぎなれた酸鼻に、ラギスは安らぎを覚えた。
これだけ血の匂いが充満していれば、王の香気に惑うこともない。
大量の血が躰から失われて、急速に視界はぼやけていく。シェスラの青褪めた顔も……
(せいぜい、惜しむがいい)
嘲笑ってやりたいのに、意識が遠のく。
残念に思いながら、心は空へ浮きあがるように軽くなっていった。
もう、何も見えない。
王の声も遠ざかり、視界は暗闇に包まれた。
ようやく、現世のしがらみから解放される。
死。
甘やかな死。
やっと、死ねる。
待ち望んだ光明の世界、甘美な瞬間が訪れようとしている。
信仰心の潰えた心に、清らかな聖歌が届く。
神秘なる天に向かって、魂が昇華しようとしている。
闇の涯てに光が見える……
ビョーグ。
いつか見た、あの懐かしい笑顔にようやく会える。母さん、父さん、かわいいアモネ……
同胞の待つ、ヤクソンの森に還ろう。
鎖から解き放たれて、月狼になって、金色に輝く果樹園の小路を駆けていく。
どこまでも、自由に、どこまでも……