RAVEN

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「こんにちは。驚かせてすみません。僕はレイヴンといいます。さっき貴方が見ていた絵を描いた者です」
 艶やかな紅茶色の髪に、オーロラのような青碧せいへきの瞳をした異国の青年は、流暢な日本語で一息にいった。固まっている流星を見て、にこやかに続ける。
「いつも僕の個展にきてくれますよね。ずっと気になっていて、とうとう声をかけてしまいました」
 流星は目を瞬いた。幻を見ているのかと思ったが、彼はやっぱりそこにいた。
「え……レイヴン?」
「はい」
 惚けたように頷く流星に、彼は万人を魅了するであろう笑みを浮かべた。
 テレビや雑誌でよく見かける、超有名人である。流星もポスターや映像でなら見たことあるが、本物は初めて見た。肉体をもったレイヴンは迫力が違う。思っていたよりもずっと長身で、手足は長く、完璧に整った顔は小さい。果たして何等身あるのだろう? カーキ色のミリタリー・ジャケットに、ジーンズというシンプルな恰好なのに、最先端のファッションのように決まっている。
「とてもじっくり見てくれていましたね」
 レイヴンは穏やかな声でいった。優しく笑みかけられ、流星はすっかり舞いあがってしまった。
「うわっ、本物……お、お会いできて光栄です! いい絵だなぁと思って、眺めていました」
「ありがとうございます。お名前は、なんておっしゃるのですか?」
「あ、鏑木流星といいます。初めまして」
「流星さん、素敵な名前ですね」
「い、いやぁ」
 流星は、自分がなぜ赤くなっているのかも判らぬまま、頭をかいた。まさか、レイヴン本人に会えるとは思ってもみなかった。通りすがりの一ファンに、こんな風に声をかけてくれるなんて、なんて親切なのだろう。
「すみません、突然声をかけて。お仕事の最中でしたか?」
 彼はすまなそうな表情で、スーツ姿の流星を見ていった。
「いえいえ! ……実は、就活中なんです。面接が終って、息抜きにこちらへ立ち寄らせてもらったところでした」
 流星は少しばかり恥じ入るようにいった。
「そうでしたか、お疲れ様です。あの、このあとなにか、予定はありますか?」
 流星は不思議に思いながら、笑顔でかぶりを振った。
「お気遣いありがとうございます。今日はもう何もないし、帰ろうとしていたところですよ」
「それなら、あの……流星さんさえ良ければ、このあと僕と一緒に、食事をしませんか?」
「えっ!?」
「すみません、突然お誘いして、驚きますよね。でも、ずっとあなたと話してみたいと思っていたんです。だから……だめでしょうか?」
 完全に不意打ちである。自分よりも背の高い青年に、上目遣いに請われて、流星の胸は天に届くほど高鳴った。
「いや、全然っ……むしろ光栄というか、俺は大歓迎ですけど、あの、本当に……?」
「はい、ぜひ」
「でも、俺でいいのかな? ……聞かせるほど面白い話なんて、俺にできるかな」
 不安げに呟く流星を見て、レイヴンは綻ぶように笑った。
「どうか気を楽にしてください。僕の方こそ、結構喋りたがりだから、煩いと思ったら遠慮なく叱ってくださいね」
「いやいや、そんな」
「流星さんに、聞いてみたいことが色々あるんです。いきましょうよ」
 世にも美しい青年に誘惑的に笑みかけられ、流星は頭がくらくらする思いだった。彼の笑顔は、とびっきりの麻薬のようだ。
 だが流星でなくとも、レイヴンの虜になるだろう。本当に、うっとりするほどの美しいのだ。背もすらりと高く、腰の位置は驚くほど高い。まるでシネマから抜けだしてきたポップ・スターだ。
「ね、流星さん?」
 見惚れていたことに気がついて、流星はとりなすように咳払いをした。
「レイヴンさんがいいなら、喜んでお供しますよ」
「やった!」
 心から嬉しそうに笑う青年を見て、流星もつられたように笑顔になった。照れ隠しに、辺りを見回してみる。
「えーと、それじゃ……渋谷にいるし、この辺りで探しますか。店の希望はありますか?」
 流星が訊ねると、レイヴンはにこやかに頷いた。
「イタリアンでも平気ですか? ここから十分くらいのところに、気に入ってるお店があるんです」
「いいですよ」
 流星が頷くと、二人は並んで歩き始めた。
「レイヴンさん、年はお幾つなんですか?」
「レイヴンでいいですよ。敬語もいりませんから。年は、クリスマス・イブに二十歳になります」
「そうかい? それじゃ、お言葉に甘えて……二十歳かぁ、若いなぁ。俺は先月三十二歳になりました」
 大人びた雰囲気もそうだが、アーティストとして大々的に活躍しているから、二十代半ばくらいだろうと見積もっていたのだ。
「イブが誕生日なんだ、もうすぐだね」
 今更ながら、十二歳も年下の青年と話があうのか不安を覚えたが、レイヴンの方は嬉しそうにしている。
「流星さんこそお若いですよ。二十代だと思いました」
「よくいわれる。童顔なんだ」
 流星は肩をすくめてみせた。昔はコンプレックスだったが、今では若く見えるといわれると快感を覚えるものだ。とはいえ、スーツ姿で彼と並ぶと、さすがに老けて見えることだろう。というか、レイヴンと並んで歩いていることが信じられない。
(ウーン……夢でも見ているのかな……?)
 流星は、戸惑うと同時に、いつもとは違う非日常な出来事にわくわくもしていた。初対面の相手に声をかけられ、飲みへいこうなんていう流れは、生まれて初めての出来事だ。それも、あのRAVENと。
「っと、危ない」
 歩道が狭くなり、人にぶつかりそうになった流星の肩を、レイヴンは掌で包みこんだ。触れられたところが熱を発したようになり、その熱が全身を走り抜け、流星は思わず身震いした。
「ごめんなさい」
 レイヴンは焦ったようにいうと、ぱっと手を離した。流星は慌ててかぶりを振った。
「いや、ありがとう。俺、ただ歩いているだけでも、いろんなものにぶつかるんだ」
 レイヴンはけぶるような睫毛で瞬きをし、くすっと笑った。
「なんだか想像がつきます」
 彼の柔らかな表情に、流星の胸はきゅんとした。が、すぐに目をしばたいて、笑い飛ばした。ゲイだと知られたら、彼の友好的な態度も一変してしまうだろう。浮かれてボロがでないよう、よく気をつけねばなるまい。流星は自分にいいきかせた。
 彼のいった通り、十分ほどで目的の店についた。渋谷の路地裏にひっそりと佇む隠れ家のような店で、中は広く、落ち着いたジャズが流れていた。時間は十七時を過ぎたばかりで、客はまばらだった。
 席につき、慣れた仕草でワインを頼むレイヴンを見て、流星は首を傾げた。
「未成年だよね?」
 レイヴンは片目を瞑ってみせた。
「大目に見てください。もうすぐ二十歳になりますから」
 悪戯っぽくいうレイヴンがあまりにも魅力的で、流星は、顔面からテーブルに突っ伏しそうになった。
「……ウン、判った。飲み過ぎないようにねっ」
「はい、気をつけます」
 笑顔がかわいすぎて、その辺を転げ回りたくなる。
 いいお返事をしたレイヴンの方は、結構なハイペースでグラスを空けていった。流星も飲む方だが、負けず劣らずだろう。
 食事は思った以上に楽しいものになった。
 初めて会う、それも一回りも年の離れた青年なのに、一緒にいて気を張ることもなく、退屈もしない。彼の話は楽しくて、流星は時々、声にだして笑ったりもした。いつになく開放的な気分で、自分が別人になったようにすら感じていた。
「どうしてかな。貴方を見て初めて会う気がしないんです」
 ほろ酔いになってきたところで、彼はそんなことをいいだした。
「あのなぁレイヴン、俺を口説いているのか?」
 彼の名前の響きを味わいながら、流星は冗談めかしていった。
 レイヴンはにっこり笑う。
「はい、口説いています」
 一瞬、流星は言葉を忘れた。猫を思わせる青碧せいへきの瞳に見つめられ、熱光線のようなものが全身を貫いていくのを感じた。沈黙を意識した瞬間、流星は慌てて笑い声をあげた。
「ははっ……そりゃ、レイヴンに口説かれるのは光栄だけどさ、一回りは年が違うんだからな」
「見えないなぁ。流星さん、僕と三つ差くらいに見えますよ」
「俺は二十三歳かよ!」
 流星は爆笑したあとで、不意に黙りこみ、視線を少し伏せて静かに話し始めた。
「……俺さ、前は大阪で働いていたんだ。出張で六本木にでてきた時、本当にたまたま、レイヴンの個展に立ち寄ったんだよ」
「そうなんですか」
「うん。すっごく感動した。気がついたら、半日経っててさ。それがきっかけで、個展に通うようになったんだ」
 レイヴンは嬉しそうにはにかんだ。
「六本木の個展って、大分昔ですよね。嬉しいです、ありがとうございます」
 何年も前からファンでいたことが、本人にばれてしまった。流星は照れ臭げに頭を掻いた。
「お礼をいうのはこっちの方だよ……今日もさ、面接がうまくいかなくて、少し落ちこんでいたんだけど、レイヴンのおかげで気分が良くなったよ」
「お礼をいうのは、僕の方です。突然誘ったのに、僕と食事をしてくれて、ありがとうございます」
「いやぁ……」
 熱っぽく見つめられて、流星の心臓は宙返りした。さっきからときめきが止まらない。こんなにも甘い気持ちに浸るのは、本当に久しぶりだ。