メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

8章:恋する夜 - 2 -

 ニーレンベルギア邸襲撃から十五日。出港前日。
 ユリアンの話していた通り、彼等は別の目的で入国していたらしく、ティカ達の追跡を諦めた同じ夜、ブラッキング・ホークス海賊団は出港を果たした。
 二度と会わぬことを願うばかりだ――
 以降、地元湾警備部隊の協力もあり、ティカは安全に船上で過ごしている。
 エステリ・ヴァラモン海賊団も、明日には出港だ。
 うずたかい雲の重なりの彼方、白いかもめが群舞を披露するように、悠々と飛んでゆく。
 自由な鴎達は、船縁ふなべりで頬杖をついているティカの顔にも、時々影を落としてゆく。
 出航に備えて、シルヴィーやサディールらは荷積みの確認に余念がない。
 襲撃のせいで頓挫した商談も、数日後には晴れて成立したと聞いた。シルヴィーの見極めた信のおける購入ルートで、ユヴェールが巧みに商談を進め、アマディウスの微に入り細を穿うがつような鑑定眼、加えて科学的な鑑別の結果、価値を認められた稀少なダリヤ・パラ・サファイアの原石を四○○○万ルーヴで仕入れたらしい。責任を感じていたティカは、仕事の成功を聞いて胸を撫で下ろした。
 出港間近、ヴィヴィアンは、やる気無さそうに勤勉な乗組員達の質問に応じている。
 昼頃まではそんな様子であったが、昼過ぎになると急に波止場に人が増え始めた。
 羽振りのいいエステリ・ヴァラモン海賊団が出港すると聞いて、抜け目のない商売人達が、こぞって押し寄せたのである。
 彼等はキャプテン・ヴィヴィアンに気付くや、群がり集まり、我先に商品の売り込みを開始する。
 暇を持て余していたヴィヴィアンは、面白半分で彼等の話を聞き……時々、財布の紐を緩めてみせたりもした。
 予期せぬ積荷が増えたと知るや、シルヴィーはいつになく穏やかな笑みを浮かべて、

「アンタは座っててくれ(邪魔だから)」

 体よくヴィヴィアンを甲板の上へ追いやった。

「やぁ、ティカ」

 船縁のティカに気付くと、ヴィヴィアンは隣へやってきた。

「キャプテン、さっき何を買ってたんですか?」

「ん? プラムの木だよ」

「え?」

「好きって言ってたろ」

 一瞬、聴覚を疑ったが……本気らしい。植木屋が苦労してタラップを上り、結構な大きさの苗を運び入れようとしている。

「……あれ、ヘルジャッジ号に乗せるんですか?」

「うん。緑があるっていいよね」

 確かにプラムは大好物だが……果たして海賊船で栽培できるのだろうか。シルヴィーが彼を甲板に追いやるのも、無理はないかもしれない。
 しかし、予測不能な破天荒な行動も、ティカを想ってのことと聞くと、やはり嬉しい。
 彼を仰ぎ見ていると、頭のてっぺんにちゅっとキスされた。幸せな心地のまま、ふと尋ねてみた。

「キャプテンは、バビロンへ行きたいですか?」

「そりゃあね」

 碧空のような笑みが返る。
 彼の為なら、どんな願いも叶えてやりたい。唐突に思った。例えこの居心地のいい場所が変わってしまったとしても……彼の為なら。そう思い口を開きかけると、

「俺はね、本当はバビロン魔導学校へ進学したかったんだ」

「え?」

「ただ最悪なことに、王家に生まれたものだから、空の帝国へ留学を許してくれなくてね。厳めしき伝統通りにロアノス海軍兵学校にぶちこまれたよ」

 不意に打ち明けられたヴィヴィアンの過去に、ティカの意識は全て奪われた。

「リッキンベル魔法魔術学校も卒業したって、聞きましたけど」

「うん。十四でロアノス海軍兵学校に入学して、翌年はリッキンベル魔法魔術学校に留学したんだ」

「海軍学校に行きながら、留学したんですか?」

「そうだよ。大人しく海軍学校へ通うことが癪でね。意表を突けるならどこでも良かった。あの手この手であざむいて、入学試験に受かった途端に留学した」

 当時を思い出しのか、ヴィヴィアンは悪だくみするように愉しげに笑った。

「シルヴィーと同室だったんでしょう?」

「そう。結局、リッキンベルを初年度に卒業してロアノスに戻ったんだよね。そしたら、またシルヴィーと同室でさぁ。しょっちゅう俺にぶち切れてたよ。俺は相当いい加減だったからね」

 どこか懐かしい眼差しで、ヴィヴィアンは水平線を眺めやる。その横顔は凪いだ海のように穏やかだ。

「すごいなぁ。二つも学校を卒業するなんて。リッキンベル魔法魔術学校はどうでしたか?」

「魔術も知れば面白いけど、俺が一番やりたいのはエーテルと機械の結晶、エーテル魔導学だから。極めたい方向が違うんだよ」

「ふぅん……」

 魔術師と魔導士の違いをいまいち理解していないティカは、不得要領に頷いた。どちらも超常の神秘を扱うことに、変わりはない気がする。