メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

7章:ニーレンベルギア邸襲撃 - 4 -

 金香木チャンパックの焚かれた店内は、意外なほど奥行があり、淡いオレンジ色の光に包まれていた。
 まるで別世界に迷い込んだようだ。物珍しい異国の雑貨に目移りしてしまう。
 アンバーアンティークの香水瓶、硝子の常夜灯に鳥籠を模した細工時計。上質な手漉てすきの紙も数百と並んでいる。
 ヴィヴィアンに手を引かれて店の奥へ行くと、長い髭を蓄えた無愛想な店主が、白い陶製のパイプを吹かしながら、書物をぱらぱらと捲っていた。
 彼はヴィヴィアンに気付くなり目元を和ませる。途端に近寄り難い印象は和らぎ、好々爺とした人好きのする印象に化けた。

「これはこれは……お久しぶりです、キャプテン・ヴィヴィアン」

 老紳士は滑らかな一礼と共に、挨拶を口にした。

「こんにちは、店主。久しぶりだね」

「噂は耳にしていますよ。無限幻海から生還を果たして、更に名を上げましたね。それも古代神器に辿り着いたとか……いやぁ素晴らしい」

 店主の瞳が眼鏡の底から目敏めざとく光る。ティカはぎくりとしたが、ヴィヴィアンは微笑で受け流した。

「さぁて、どうかな……俺はどこへいっても注目の的だからね。今日はダイヤモンドを探しにきたんだ。見せてくれる?」

 店主は満面の笑みを閃かせると、網目のように無数の引出のある、飴色の宝石箱を次々と開けて見せた。

「うわぁ……」

 薄暗い店内の中でも、ダイヤモンドはきらきらと輝いている。
 丸い粒を無数に繋いだ豪華なネックレス、宝冠、色のついた大粒の指輪、六角水晶形の耳飾り……色も形も豊富に取り揃えている。

「これなんて似合うんじゃない?」

 涙滴るいてき型の耳飾りをティカの耳に当てながら、ヴィヴィアンは吟味するように呟いた。店主は驚いたように目を瞠る。

「お連れ様への贈り物でしたか」

「そう。普段から身に着けられるものがいいな」

「では……飾りは少なく、かつ気品のある物がよろしいでしょう」

 店主は引き出しを開けると、小ぶりの宝飾品を並べ始める。
 けれどティカは、たった今ヴィヴィアンが選んでくれた、涙滴型の耳飾りがすごく欲しくなった。

「これがいいです。これをください」

 そう言って財布を取り出すと、しまっておきなさい、とヴィヴィアンに上から手で押さえられた。

「似合うよ。店主、これをちょうだい」

「かしこまりました」

 店主が袋にしまおうとすると、ヴィヴィアンは包装を断り、すぐにティカの耳につけた。
 帳簿に記された金額は、思わず二度見するほど高額であった。

「キャプテン」

「ん?」

「あの、やっぱり僕、お金……」

 おずおずと財布を持ち上げると、またしても上から押さえつけられた。

「贈らせてよ」

「でも」

「シルヴィーからは受け取ったのに、俺からは受け取ってくれないの?」

 からかうように言われて、沈黙した。
 以前シルヴィーから貰ったブレスレットを、ティカは航海のお守りとしていつも身に着けている。ブレスレットには薄青い硝子と、大粒のアクアマリンがついている。まさか、この石もとても高価なのだろうか……
 ふと心配になり、ブレスレットを眺めていると、頭を撫でられた。
 やりとりを見ていた店主はくすりと笑い、ティカを見て目元を和ませる。

「隣にいる御方は、無限海の覇者ですよ。遠慮せずに貰っておくとよろしい」

 老紳士の笑みに誘われて、一応頷いたものの、これほど高額なものを人から貰うのは初めてだ。

「ありがとうって言ってくれないの?」

「ありがとうございます!」

 反射的に応えると、よしと頭を撫でられた。
 ともかく、宝石は既にティカの耳に落ち着いてる。指で耳飾りの感触を確かめ、ティカは笑みを浮かべた。高価過ぎてドキドキするけれど……ヴィヴィアンが選んでくれたと思うと、とても嬉しい。

「随分と目にかけていらっしゃる」

 店主が笑うと、そうなんだ、とヴィヴィアンは上機嫌で応えた。
 優しい眼差しに見下ろされて、ティカは照れ臭げに視線を逸らした。何やらとても……甘やかされている気がする。くすぐったくて仕方がない。
 涼しい顔で支払いに応じるヴィヴィアンは、緻密な文字や数字の記載された、鑑別書と鑑定書を慣れた手つきで受け取っている。
 ほてった頬を冷まそうと、ティカは先に店の外へ出た。ヴィヴィアンの視線は、吸い寄せられるようにティカを捉える。

「ティカ、戻りなさい」

 店内からヴィヴィアンが案じるように声をかける。そんなに心配をしてくれなくても……そう思った矢先、ドンッと小柄な影に体当たりをされた。
 倒れはしなかったが――やられた。財布をすられた。

「待てっ!!」

 ティカは勢いよく駆け出した。

「ティカッ!」

 ヴィヴィアンの声が聞こえたけれど、止まらずに最大速で追い駆けた。

「一人で行くな!」

 鋭い怒声に、一瞬迷ったが、足は止めなかった。すぐに戻るので許して欲しい!
 子供は慣れた足取りで入り組んだ道を巧みに走り、逃走経路を猛然と駆け抜けるが、ティカも負けていない。
 振りきれない距離に、子供も焦っているようだ。
 あと少しで追いつける。
 しかし、こんな時に限って、視界の端に見捨ておけぬ光景を捉えた。
 巨躯の男達に囲まれて、道を渡る小柄な旅装束姿の少年――ユリアンだ。またしても厄介ごとに巻き込まれたのだろうか。
 難しい選択であったが、僅かな逡巡の末、盗人の追跡を諦めてユリアンを追い駆けた――