メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

5章:カルタ・コラッロ - 13 -

 アルバナ酒家は、港を訪れる船乗りや商人を相手に繁盛する店で、波止場から歩いて行ける距離にあるという。
 オリバー達の足取りはしっかりしているが、既に大分酒を飲んでるいるらしい。隣を歩いていると、時折、さわやかな風に酒精の匂いが紛れた。
 道すがら、ヴィヴィアンの言いつけを破り、船を下りた罪悪感に襲われた。けれど、彼等がティカの存在を忘れずにいてくれたことも嬉しい。それに――
 “めくるめく大人の世界”……!!
 どんな世界なのだろう。どきどきする。
 あれこれ想像を膨らませながら歩いていたが、実際に仰ぎ見るアルバナ酒家は、ティカの想像の遥か上をいった。
 闇夜に燦然さんぜんと輝く、煌びやかな佇まい。
 外観は瀟洒な城そのもので、屋根には“アルバナ”と書かれた大きな広告看板が照明を浴びて煌めいている。
 洗練された大人達が集まる場所だ。
 出入りする人は正装姿とまでいかずとも、日中の作業服を着ているような人は一人もいない。
 胸を高鳴らせて中へ入ると、華やかな踊り子の衣装を着た女性達が、明るい笑顔と声で出迎えた。

「ようこそ。アルバナへ!」

「お、おじゃまします……」

 ティカは照れ臭げに頭を下げた。
 踊り子の中には、紐みたいな衣装を着て、豊満な胸を隠さない女性も多く、どこを見ればいいか判らない。

「ティカ、こっちだよ」

「う、うん」

 オリバーに引きずられるようにして、大きなホールに連れて行かれた。
 天鵞絨びろうど張りの貝殻の形をしたソファーが整然と並び、最奥には横に広い舞台がある。
 間もなく開演するようで、座席は多くの人で埋まっていた。手前の方にアラディンやセーファス達、班仲間が座っており、ティカ達も同じソファーに着席した。

「ほら、ショーが始まるぞ!」

 そう言って、オリバーはシャンパンの入ったグラスを渡してくれる。彫刻の入った、いかにも高価そうな硝子を眺めていると、舞台を見ろよ、と叱られた。
 室内の照明が落ちて、次いで舞台が照らされる。舞台の両端から、煌びやかな衣装の数十人もの踊り子達が上ってきた。

「ルビーにダイヤモンドッ!」

 踊り子達は声を揃えて叫ぶや、勢いよく足を振り上げた。

「わ、わ、わ」

 肌を露出した、紐みたいな衣装を着た踊り子達が、シャンパンの泡のように、弾ける音楽に乗って、軽快、賑やかに舞台上を動き回る。
 音が踊っているかのよう。賑やかで、楽しくて、見ているだけで笑顔になる。これが大人。大人って、最高だ……!
 光と音の洪水に視線を奪われていると、ドレス姿の女性達がティカ達のテーブルへやってきた。ブラッドレイやマクシムは、彼女達の細腰を引き寄せて、舞台そっちのけで、いきなり親密な雰囲気を作り出している。

「お、お、オリバー……」

 動揺しきって隣のオリバーを見れば、親友まで明らかに年上の女性の頬にキスをしているではないか!
 思わず、二人の間に割って入った。

「わ! 何するんだよ、ティカッ!」

「何してるのっ、オリバー! 恋人がいるんでしょっ!?」

 会ったことはないが、オリバーには恋人がいるらしい。ロアノスより西の海に浮かぶ孤島に住む娘らしく、滅多に会えないと聞いているが、いくら離れているとはいえ不誠実は良くない。
 しかし、ティカの剣幕を余所に、オリバーも女性も楽しそうに笑い出した。

「かわいい子ね」

「ティカは初心なんだ。今夜は沈んでるから、元気づけてやってくれよ」

「あら、そうなの? エステリ・ヴァラモン海賊団には、こんなかわいい子もいるのね」

 女性は優しい声で笑いかけた。その魅力的な笑みに、ティカの鼓動は天まで撥ねた。

「この間の航海から仲間になったんだ。な、ティカ」

「う、うん……っ」

「私はマリアンヌ。どうぞよろしく、小さな海賊さん」

 淡い灰金髪に、はしばみ色の瞳をした美しい女性は、ティカの頬を引き寄せるなり、音を立てて口づけた。ティカは頬を押さえて、真っ赤になって俯く。

「大丈夫かよー」

 幸せを噛みしめているティカを見て、オリバーは笑う。同い年とは思えぬ落ち着きぶりだ。この場にごく自然に馴染んでいる。

「ティカはどうして沈んでいるのかしら?」

「その、留守番させられて……」

「それはつまらないわね」

 マリアンヌは白い繊手せんしゅで優しくティカの頭を撫でた。女性に甘やかされる心地よさを味わいながら、同時に切なさを覚えた。

「……キャプテンも今頃、こんな風に過ごしているのかな」

 賑やかな雰囲気に反する、沈んだ気持ちで呟くと、横からブラッドレイが口を挟んだ。

「禁欲なんざクソだ。四ヶ月ぶりだぜ、ハメてるに決まってるだろ。俺等もさっきまで――ふがふがっ」

 しかし、軽薄な口調は子豚の鳴き声に化ける。言い終わらぬうちに、オリバーが彼の口を手で塞いだせいだ。放送用語に気をつけて、とよく判らないことを言っている。

「しけたつらしてんじゃねぇよ!」

「うっ」

 背中をバシッとブラッドレイに叩かれた。かと思えば、横からぬっとグラスを持つ大きな手が現れる。受け取ると、マキシムはしたり顔で頷いた。
 判ったよ、兄弟――
 勢いに任せてぐっと煽げば、周囲からやんやと歓声が飛んだ。

「そうだぁっ! 飲め! 踊れ! 飲み明かせぇッ!!」

 拳を振り上げ、ご機嫌にブラッドレイが笑う。その隣でマキシムも精悍な笑みを浮かべ、親指を突き立てる。
 オリバーはティカの肩に腕を回して、頭を軽くぶつけてきた。賑やかな兄弟に囲まれて、笑顔でいない方が難しい。ティカは自然と笑みを浮かべた。