メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
2章:エステリ・ヴァラモン海賊団 - 1 -
ガロ=セルヴァ・クロウ連合王国、王都パージ・トゥランを出港したヘルジャッジ号は、碧空の下、黒い帆を張って東の沖を南下していた。
無限幻海に向かうにちょうどいい南東風が吹いており、帆は風をはらんで、めいいっぱい膨らんでいる。
ティカは甲板に立ち、水夫たちが働く様子を見学したり、紺碧の大海原を眺めたりしていた。海面には、素敵な尾ひれの飛魚が船の横を舞うように飛んでいく。
甲板作業の監督が落ち着いたところで、水夫長のサディールはティカを傍へ呼び、船の説明をしてくれた。
「いいか? この船には、百二十人以上が乗っている。うちは古参も多いが、出航毎に船乗りを集めるから、顔ぶれは毎回ちょっとずつ変わる。工房に引きこもってる奴は別として、十日も経てば甲板の顔ぶれは覚えるだろう」
「サディールは、いつから乗っているんですか?」
「俺は処女航海から乗っている。航海回数はもう数えてねぇな。うちはキャプテンが若けりゃ水夫も若くて、三十八の俺も年かさの方だ。ティカやオリバーより年下の奴もいるぞ」
ティカは目を丸くした。
「そうなんですか?」
サディールは荒っぽく頷くと、船縁を叩いた。
「ヘルジャッジ号の船型は木造の四檣 バーク型帆船だが、機関部は鋼で組まれた魔導改造船だ。風のないベタ凪の海も、エーテルを燃やして進んでいける。船脚は軍艦にだって負けやしねぇ」
風がなくても? ティカは首を傾げた。
「じゃあ、何の為に帆があるんですか?」
「今日みたいに、いい風が吹いてる時は帆で進むんだ。エーテル消費はなるべく節約してる。この間の嵐みたいに、いざという時の為に貯めておきたいからな」
「どうやってエーテルを貯めているんですか?」
サディールは屈んでティカに顔を近づけると、眼帯をしていない方の右目を指差した。血のように真っ赤な瞳だと思っていたが、今は陽に当たって紅茶色に見える。
「実は、船首像 の女神像に仕掛けがあってな……サファイアの瞳から、大気中のエーテルを吸収してる」
「へぇ!」
ティカは、船首から斜めに突きでた斜檣 の下、真鍮色に輝く海の女神、アトラス像を思い浮かべた。あの美しい女神像に、そんな仕掛けがあるとは知らなかった。
「無限海広しといえど、ここまでの改造船はそうそうお目にかかれないと思うぜ」
サディールが自慢げに話すのには理由がある。エーテルは生活基盤を支える重要な人工エネルギーだが、生成工程は非常に複雑で、個人で生成できる代物ではないのだ。ヘルジャッジ号にその仕組みがあるということは、相当高額な改造を施したのだろう。
「大砲は全部で八十門。照準つき長距離砲は船首に五門、舷側 に十五門、可動式旋回砲塔は船首に二基、舷側に八基ある。残りは第二砲列甲板だ。危ねぇから素人は絶対に触るなよ」
「アイ」
「それから、船橋 と第三甲板の商品庫には近づくな。シルヴィーにどやされるぞ。第四甲板も立ち入り禁止だ。見つけ次第処罰するからな」
「アイ」
「航海当直は一日六回に分けて、三人の航海士が一日四時間づつ、計二回担当してる。それに合わせて甲板部員も檣楼 で見張りに就く。ティカはオリバーと一緒に、朝と夜の二回担当しろ」
「アイ、サー。この船、夜も走ってるんですか?」
「当然だ。入港している時以外は二十四時間走ってるさ。当直時間前になったら、船橋から船室 に連絡が入るから、支度して時間までに持ち場に就くこと。遅刻は処罰対象だ。いいな?」
「アイ」
「海の上じゃ、船は家も同然。同じ船に乗ったからには、俺達は全員、家族で兄弟だ。ちょいと荒っぽいが、気のいい奴ばっかりだぜ」
肩をバシバシと叩かれて痛かったが、ティカは頬を緩めた。波止場でプラムを齧った時は殴られそうになったが、今はティカを仲間として受け入れようとしてくれている。
「同じ船室の顔ぶれと班行動を一緒にする。何をやるにも班行動だ。甲板作業、当直、飯、病人の世話、新人の教育もな」
ティカは頷いた。同じ船室に、オリバーがいてくれて良かった。他の船員は、まだ名前すら知らない。
「ティカは甲板部員だ。基本的に甲板の仕事は全部やる。晴れても、風が吹いても、雨が降っても甲板作業だ。キャプテンから戦闘はさせるなって聞いているが、自分の身くらい守れねぇとな」
サディールはじろじろとティカを眺め回した。
「ティカ、剣を持ったことは?」
「ありません」
「だよな……今度、オリバーに教えてもらえ」
ティカの不思議そうな顔を見て、サディールはつけ足した。
「あいつはチビだが、すばしっこいし腕も立つ。年も同じで話しやすいだろ。しばらくはオリバーから、いろいろ教えてもらえ」
「アイ」
サディールの後ろから、こちらを見つめるオリバーと目があった。気さくに手を振ってくれる。ティカも表情を綻ばせて、海の兄弟であり、友達に手を振り返した。
「よし、飯を食ったら休憩して、今夜から当直だ。オリバーのところへいきな」
背中を叩かれ、ティカはオリバーの傍に駆け寄った。
無限幻海に向かうにちょうどいい南東風が吹いており、帆は風をはらんで、めいいっぱい膨らんでいる。
ティカは甲板に立ち、水夫たちが働く様子を見学したり、紺碧の大海原を眺めたりしていた。海面には、素敵な尾ひれの飛魚が船の横を舞うように飛んでいく。
甲板作業の監督が落ち着いたところで、水夫長のサディールはティカを傍へ呼び、船の説明をしてくれた。
「いいか? この船には、百二十人以上が乗っている。うちは古参も多いが、出航毎に船乗りを集めるから、顔ぶれは毎回ちょっとずつ変わる。工房に引きこもってる奴は別として、十日も経てば甲板の顔ぶれは覚えるだろう」
「サディールは、いつから乗っているんですか?」
「俺は処女航海から乗っている。航海回数はもう数えてねぇな。うちはキャプテンが若けりゃ水夫も若くて、三十八の俺も年かさの方だ。ティカやオリバーより年下の奴もいるぞ」
ティカは目を丸くした。
「そうなんですか?」
サディールは荒っぽく頷くと、船縁を叩いた。
「ヘルジャッジ号の船型は木造の
風がなくても? ティカは首を傾げた。
「じゃあ、何の為に帆があるんですか?」
「今日みたいに、いい風が吹いてる時は帆で進むんだ。エーテル消費はなるべく節約してる。この間の嵐みたいに、いざという時の為に貯めておきたいからな」
「どうやってエーテルを貯めているんですか?」
サディールは屈んでティカに顔を近づけると、眼帯をしていない方の右目を指差した。血のように真っ赤な瞳だと思っていたが、今は陽に当たって紅茶色に見える。
「実は、
「へぇ!」
ティカは、船首から斜めに突きでた
「無限海広しといえど、ここまでの改造船はそうそうお目にかかれないと思うぜ」
サディールが自慢げに話すのには理由がある。エーテルは生活基盤を支える重要な人工エネルギーだが、生成工程は非常に複雑で、個人で生成できる代物ではないのだ。ヘルジャッジ号にその仕組みがあるということは、相当高額な改造を施したのだろう。
「大砲は全部で八十門。照準つき長距離砲は船首に五門、
「アイ」
「それから、
「アイ」
「航海当直は一日六回に分けて、三人の航海士が一日四時間づつ、計二回担当してる。それに合わせて甲板部員も
「アイ、サー。この船、夜も走ってるんですか?」
「当然だ。入港している時以外は二十四時間走ってるさ。当直時間前になったら、船橋から
「アイ」
「海の上じゃ、船は家も同然。同じ船に乗ったからには、俺達は全員、家族で兄弟だ。ちょいと荒っぽいが、気のいい奴ばっかりだぜ」
肩をバシバシと叩かれて痛かったが、ティカは頬を緩めた。波止場でプラムを齧った時は殴られそうになったが、今はティカを仲間として受け入れようとしてくれている。
「同じ船室の顔ぶれと班行動を一緒にする。何をやるにも班行動だ。甲板作業、当直、飯、病人の世話、新人の教育もな」
ティカは頷いた。同じ船室に、オリバーがいてくれて良かった。他の船員は、まだ名前すら知らない。
「ティカは甲板部員だ。基本的に甲板の仕事は全部やる。晴れても、風が吹いても、雨が降っても甲板作業だ。キャプテンから戦闘はさせるなって聞いているが、自分の身くらい守れねぇとな」
サディールはじろじろとティカを眺め回した。
「ティカ、剣を持ったことは?」
「ありません」
「だよな……今度、オリバーに教えてもらえ」
ティカの不思議そうな顔を見て、サディールはつけ足した。
「あいつはチビだが、すばしっこいし腕も立つ。年も同じで話しやすいだろ。しばらくはオリバーから、いろいろ教えてもらえ」
「アイ」
サディールの後ろから、こちらを見つめるオリバーと目があった。気さくに手を振ってくれる。ティカも表情を綻ばせて、海の兄弟であり、友達に手を振り返した。
「よし、飯を食ったら休憩して、今夜から当直だ。オリバーのところへいきな」
背中を叩かれ、ティカはオリバーの傍に駆け寄った。