メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

1章:出会いと出航 - 13 -

「女の人も乗っているんだね」
 事務所をでたあと、ティカはオリバーに訊ねた。
「うん、男に比べたら断然少ないけど、何人か乗ってるよ。医者も女だし」
「へぇ! 海賊船に女の人が乗っているとは思わなかったな」
「最近は結構多いよ。それに、プリシラは強いぜ」
 ティカは驚いて目を丸くした。
「彼女も闘うの!?」
「接近戦では、襲撃部隊長の一人だよ」
「えぇ?」
「本当だって。ほっそりしたエペで、躊躇なくぶすぶす刺すんだぜ。怖ぇよ」
「エペ?」
「レイピアみたいな、細身の針みたいな剣だよ」
 オリバーはハンモックを片手で抱え直すと、空いた右手で剣を前に突きだす仕草をしてみせた。そんな物騒な真似を、本当にプリシラのようなひとがするのだろうか?
 雑談を交わしているうちに目的地についた。
 第二甲板にあがると、帆布の張られた廊下の左右に、ずらりと船室デッキの扉が並んでいた。
「ここだよ」
 オリバーはプレートに第七班と書かれた扉の前で足をとめると、木製の扉を開いた。なかには六つのハンモックがかけられており、何人か寝ていた。
 共同部屋らしく散らかっているが、頑丈そうな衣装箱や書斎机のある、なかなか立派な船室だ。
「多い部屋で八人が寝てる。この部屋はティカを入れて七人だ。共同船室の船員は、そのまま班行動を共にする仲間だよ。当直も食事も一緒だぜ。よろしくな」
「うん!」
「本当は、この部屋も定員いっぱいだったんだけど、この間のユーマリー海海戦で空きがでたんだ」
「どうして?」
 オリバーはティカを真っ直ぐ見つめると、二人死んだんだよ、と答えた。ティカは言葉が見つからず、じっとオリバーを見つめた。
「航海に危険はつきものさ。でも安心しろよ、この船は本当に強いんだ。ちっとやそっとじゃやられないから」
「うん……」
 ティカは力なく答えた。今日、サーシャを亡くした。たった一人の大切な少女を亡くして、自分のなかの何かが変わった。それほどのことなのに、二人亡くなるとは、どれほどのことなのだろう……想像もつかない。
「ほら、早くかけなよ」
「あ、うん……」
 高い位置の釘しか空いておらず、ハンモックをかけたものの、自力では登れそうにない。どうしたものか困っていると、オリバーが近づいてきた。
「くくっ……未熟者ルーキー、ほら椅子使えよ」
「オリバーは?」
「俺は獣人だぜ」
 彼は得意そうに答えると、ティカの右隣にあるハンモックに軽々と飛び乗った。素晴らしい身体能力である。
 ティカは椅子を使ってハンモックによじ登った。プリシラにもらった契約書を眺めてみるが、暗くて見えない。
「気になるなら、明日説明してやるよ」
 右を向くと、オリバーと目があった。
「本当?」
「うん」
「でも僕……物覚え悪いんだ」
 オリバーは小さく笑った。
「そんな気ぃする。全部覚える必要なんかない。金品分配と褒賞の項目だけ知っておけばいいよ」
「そっか」
「俺も寝ちゃおう。お休み、ティカ」
「うん、お休み」
 男達の寝言やいびきがやかましかったが、孤児院育ちのティカは、集団で眠る環境に慣れていた。
 肉体労働の疲れもあり、あっという間に深い眠りに落ちていった。

 二時間後。
 ティカはハンモックに包まれ、ぐっすり眠っていたが……
「ティカッ!」
 突然、大きな声に起こされた。
 同室の水夫達も何人か、びくっと顔をあげて入り口を見ている。
 ティカはハンモックの上にいることを忘れて、危うく転げ落ちそうになった。慌ててしがみつくと、あっという間に傍へやってきたヴィヴィアンに、攫うように横抱きにされた。
「わっ!?」
 一瞬、心配そうな顔をしたオリバーと目が合ったけれど、声をかける間もなく船室から運びだされた。
 ヴィヴィアンは一言も口を利かずに、ティカを抱えたまま、ものすごい速さで昇降階段を登って船長室キャプテンズデッキに駆けこんだ。
 ソファーの上にティカをおろすと、首から下げた羅針盤の蓋を開いて、食い入るように見つめた。
「キャプテン……?」
 間もなく、彼は安堵したように肩から力を抜いくと、とめていた息を吐きだした。
「あぁ、よかった……針が動いた」
「一体、どうしたんですか?」
「判らない。急に動かなくなったんだ。焦ったよ。稼働させるための仕組みが判らないんだ。大陸の技術を凌駕していることは確かなんだけど……バビロンにもない技術だと思う。これじゃ、精霊王が作ったという説もあながち否定できないよね」
「今は動いているんですか?」
「動いてる……訳が判らない。ティカが傍にいるから?」
 答えを探すように、ヴィヴィアンは深い青の瞳でティカを見つめた。
「ティカは、何者なんだろうね……」
 何もかも見透かそうとするような、真剣な眼差しがふと怖くなり、ティカは逃げるようにしてソファーに背中を押しつけた。
「無限幻海には、ティカがいないと絶対に辿り着けない気がする」
 ヴィヴィアンの言葉に、ティカも今朝から感じている、説明のつかない衝動を思いだした。
「僕……幸福館を飛びだした時も、この船を見た時も、誰かに呼ばれているような気がしたんです。サーシャかと思ったけど、違うのかもしれない……」
 ヴィヴィアンはティカの手を取ると、ぎゅっと握りしめた。
「いいね、それ。俺達はきっと、出会うべくして、出会ったんだよ」
 熱のこもった口調だった。
 その言葉はティカを高揚させ、同時に微かな恐怖を呼び起こした。目には見えない、巨大な歯車が動きだしたように感じられたのだ。
 ヴィヴィアンの青にも紫にも見える虹彩に、金色の星の瞬きが煌めく。
 彼こそ、何者なのだろう?
 無限海に名を馳せる大海賊、キャプテン・ヴィヴィアン――それは、彼のほんの一面に過ぎないのではないだろうか?
 ティカはそろりとヴィヴィアンの手から自分の手を抜くと、ぱっと立ちあがった。
「あの、僕、船室に戻りますね」
 ヴィヴィアンは虚を突かれた顔になった。
「え? あぁ……叩き起こして悪かったね。ハンモックならここにもあるから、使っていいよ」
「え? でも」
「あそこじゃ煩くて眠れないだろう?」
「僕、どこでも寝られます」
「遠慮するな」
 そういってヴィヴィアンは、手際よく部屋の隅にハンモックを吊るすと、ティカを振り返って猫の子を呼ぶように手招いた。
「おいで」
「……アイ」
 ティカは遠慮がちに傍へ寄った。縁取り装飾のされた豪華なハンモックで、縫製も頑丈そうだ。高さもちょうどよく、梯子を使わなくても横になることができる。
「ほら、寝てごらん」
 促されるまま、ティカはハンモックに寝そべり、
「うわぁ……」
 天国の心地を味わった。支給されたハンモックよりも、ずっと寝心地が良い。目を閉じると、そっと前髪を撫でられた。
「お休み」
 優しい声に、ティカは胸の高鳴りを覚えた。
「お休みなさい、キャプテン……」
 今夜は緊張して眠れないかと思ったが、目を閉じているうちに、深い眠りへと誘われていった。