メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

14章:帰郷 - 9 -

 造船所をでると、見たこともないほど豪奢な馬車が停まっていた。
 蜂蜜色の車体に、扉には金の渦巻き模様の装飾が施され、金箔を被せた大きな車輪がついている。扉に麗々しく描かれたロアノス王家の紋章。高い御者台に座った男の恰好も、紳士のように優雅だ。彼は四頭の白い馬の手綱を掴んでいた。
 お伽噺から飛びだしてきたような馬車にティカが目を奪われていると、ヴィヴィアンはティカの肩を抱いたまま、どんどん馬車に近づいていった。
「え? えっ?」
 馬車の目の前までやってくると、ティカは不思議そうにヴィヴィアンを見あげた。
「ん? アプリティカでは馬車が主流なんだよ。さぁ、乗って」
 と、ヴィヴィアン。
「えっ、乗っていいんですか?」
「もちろん。俺の馬車だもの」
「えっ!?」
 ティカは目を丸くした。その素直な驚嘆の表情に、ヴィヴィアンは小さく笑った。
「驚いたかい? ヘルジャッジ号ほどではないけれど、きっと乗り心地はいいと思うよ」
「僕、こんなに立派な馬車に乗るのは初めてです」
「それは何より。さぁ、どうぞ」
 ヴィヴァアンは芝居がかった仕草で、恭しくティカに手をさしのべた。ティカが情緒もへったくれもなく、その手をぎゅっと掴むと、彼はおかしそうに噴きだした。きょとんとしているティカを見て、
「ふ、なんでもないよ。ほら、乗ってごらん」
「うん!」
 ティカは、灰色の天鵞絨びろうど張りの恐ろしく贅沢な席に納まると、物珍しげになかを見回した。扉についた銀の重厚な把手、クリスタルと銀でできた車内灯。身体をひっこめて、背もたれに深く沈みこむと、思わず賛嘆のため息がこぼれた。
「気に入った?」
 ティカはヴィヴィアンを見つめて、にっこりした。
「とっても!」
 馬車が動きだすと、ティカは窓を開けて、新鮮な空気をなだれこませた。海の上と違い、新緑の香りがする。
 アプリティカは、かつて偉大なる精霊王に愛された街である。
 栄光の残照輝かしい街並みは、蒼古として美しい。
 浮彫のふんだんな木造家、クリーム色の漆喰壁やら立派な切妻屋根が並んでいる。
 街の周辺には、のどかな農園や製糖所が広がっており、自動車の変わりに昔ながらの馬車が走っている。
 大通りの街路に並ぶ大樹は紅葉を迎え、金色燦然こんじきさんぜんに燃えあがり、頭上高く一つになってアーチをつくっていた。その光景が、見渡す限り続いているのだ。路面は陽の光と樹々の影でまだらになり、木々がそよ風に吹かれるたびに光と影の模様も揺れている。
「うわぁ……」
 思わず賛嘆の声をあげるティカを見て、ヴィヴィアンは青い瞳を優しく細めた。
「気に入った?」
「はい! なんて大きな樹なんだろう」
 ティカは、アプリティカの街にすっかり恋をしていた。これまでにも様々な街や島を見て、その都度感動があったが、この街には格別のときめきがある。
 目をきらきらと輝かせて、次々と建築物を指さしては質問を続けるティカの興奮と感動が伝播し、いつしかヴィヴィアンは、笑みを抑えきれずにいた。この太陽のような少年にかかっては、どんな人間でも、釣りこまれずにはいられないのだろう。
 日が暮れて、冷たくなってきた風がティカの顔に吹きつけた。寒さにぶるっと震える様を見て、ヴィヴィアンは腕を伸ばして窓をしめた。
「疲れたかい?」
「大丈夫です」
 風がやむと、車内の温度は暖かく感じられる。ティカは、硝子越しに窓の向こうを眺めやった。
 丘のふもと近くの草原には、無数の羊が群れている。この辺りの農民は羊を飼っており、修道院でも飼っているようだ。
 丘には、粉をく風車が点在しており、傍で農夫達が力強い両腕と首を曲げて仕事をしている。
 しばらくすると、馬車の心地よい揺れのおかげで、ティカは眠気を催した。馬車の内部は豪華な造りだったが、どういう姿勢をとっても落ち着いて眠れない。側面にもたれかかると、馬車ががくんと揺れるたびに頭をぶけて痛い思いをする。今度は姿勢を正して腕を組み、頭を背もたれに預けてみた。と、車輪がたまたま溝にはまり、上半身がぐらっと右に傾いだ。ティカは慌てて手をついて上体を支えた。
 向かい側に座っているヴィヴィアンはおかしそうに笑い、自分の膝を叩いた。
「ほら、こっちにおいで」
 ティカは眠気でぼんやりしながら、素直に言葉に従った。ヴィヴィアンの隣に移ると、彼は片手で頭を抱くようにして胸にもたせかけてくれた。
「ありがとうございます……」
 ティカは眠そうな声でお礼をいった。
「起こしてあげるから、少し眠りな」
「ん……」
 優しい指に髪を梳かれながら、ティカは瞼を閉じた。暖かくて心地よい。天国に誘われるようにして眠りに落ちた。

 夕闇がおりてきた頃になって、ティカは目を醒ました。ヴィヴィアンの胸に手をつき、思わずぎょっとした。横向きの態勢になって彼の腕に抱かれ、脚に脚をからめ、片手を彼の腰に回していたのである。
(うわっ……僕ってば、こんな格好で寝ていたの?)
 ヴィヴィアンの瞳が開き、顎を引いてティカを見つめた。気だるげな笑みを浮かべ、
「眠れた?」
「すみませんっ、僕……」
 ティカが焦って身体を起こそうとすると、背に回されていた腕に力がこもった。
「このままでいいよ」
「でも」
「いいから」
 ヴィヴィアンは銀色にけぶる睫毛を半ば伏せ、ティカの少し開いた唇をじっと見つめた。
「……このままでいよう」
 腕のなかの少年を落ち着けるように、ヴィヴィアンは背中を優しく撫でた。
 なんとなく、キスを求められていることを感じて、ティカは赤くなった。勇気をだしておずおずと唇を重ねると、ヴィヴィアンの片手が腰のくびれにおさまり、背中を撫でながら上に這いあがった。
「ん……っ」
 頭の後ろに手が回り、指先がうなじをさする。陶酔を誘われ、ティカは身体の芯が震えるのを感じた。ヴィヴィアンの舌が唇の境界をなぞり、それに応えて薄く開くと、忍び入ってきた舌に口内を探られた。
「ふ、ぅ……ん……」
 優しくいたぶるように、舌を深く入れては引かれる動きに、ティカは同じことをしてみた。
 次の瞬間、ヴィヴィアンは荒々しくティカを引き寄せると、舌を搦め、愛撫した。尻を包み、身体をぐいっと抱き寄せて、硬くなった部分に押しつける。
「んぅっ!」
 体温が急上昇するなか、シャツの下に手がすべりこみ、素肌を撫でられた途端にティカは強張った。思わず両手をヴィヴィアンの胸につき、困惑した顔で見つめた。
「あ、あのっ」
 餓えたような青金石色ラピスラズリに見つめられて、ティカは言葉が続かなかった。狼狽えて、視線を彷徨わせてしまう。
「……ごめん、紳士らしくなかったね。続きはあとにしようか」
 ヴィヴィアンはかすれた声で呟くと、ゆっくりと身体を離した。ティカはほっとしつつ、彼が離れていくのを少しばかり寂しく感じた。