メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
14章:帰郷 - 3 -
荷卸しが終わる頃、ヴィヴィアンは悠々と船に戻ってきた。
ティカは着替えを済ませ、波止場で寛いでいるところで、いつもより大きく感じる船を眺めていた。半分以上の荷が船からでたことで、ヘルジャッジ号の吃水線が久しぶりにあがっているのだ。
「やぁ、ティカ」
ヴィヴィアンは機嫌よくいった。彼が一人で戻ってきたので、ティカのそばかすだらけの顔がぱっと輝いた。
「お帰りなさい! キャプテン」
「ただいま。これからシルヴィーたちと王宮へいくんだけど、ティカも一緒にくる?」
「えっ」
ティカはびっくりして目を丸くした。驚きのあまり、何を考えていたのか、思考が一遍にふき飛んでしまった。
「僕、王宮なんて無理ですよ」
「大丈夫だよ、俺と一緒にいくんだから」
「でも僕、挨拶とか、礼儀とか」
狼狽えて、自分の服をぺたぺた触るティカの頭を、ヴィヴィアンは優しく撫でた。
「非公式な訪問だし、緊張も遠慮もいらないよ。いい機会だから、俺の家族を紹介するよ」
茶飲みに誘うような口調でいわれたが、ティカは勢いよく首を左右に振った。ヴィヴィアンの家族といえば、ガロ=セルヴァ・クロウ連合王国――ロアノス王家ではないか。
「僕、留守番をしています! そうします」
「そう? ティカは喜ぶと思うんだけどな。王宮を見てみたくない?」
ティカはぶんぶんと首を振った。ヴィヴィアンは首を傾げて、その困りきった表情を覗きこみ、ほほえんだ。
「判った。気乗りしないなら、無理にとはいわないよ」
「……すみません」
「謝らなくていいよ。今日は色々と話すこともあるし、遅くなるかもしれないしね。ティカはまた今度の方がいいかもしれない」
ヴィヴィアンは身を屈めて、ティカをぎゅっと抱きしめた。
「俺はシルヴィーたちといってくるから、ティカはオリバーたちと遊んでおいで」
ティカは顔をあげた。喜びに輝く橙 の瞳を覗きこみ、ヴィヴィアンは優しくほほえんだ。
「久しぶりの王都だ。楽しんでおいで。ただし、羽目を外しすぎないようにね」
「アイ、キャプテン!」
「パージにいる間に、サーシャのお墓へいってみる?」
ティカは目を丸くした。
「今、プリシラに場所を調べてもらっているんだ。恐らく、教会区の共同墓地だと思うよ。いきたい?」
「いきたいです!」
ティカは二つ返事で頷いた。ヴィヴィアンは優しくほほえんだ。
「決まりだ。ついでに、幸福館にもいってみる?」
ティカは強張った。いいつけを破って、黙って逃げだしたのだ。今さらどんな顔をして会えばいいか判らない。
「判った。嫌ならいかなくていいよ。正式なティカの引き取り手続きを済ませておくね」
「ありがとうございます、キャプテン……」
ティカはすっかり感動して、想いのこもった声でいった。彼とユージニアに抱いていた蟠 りは跡形もなく霧散しており、深い感謝の念で胸がいっぱいだった。
「どういたしまして」
ヴィヴィアンは微笑すると共に手を伸ばし、掌でティカの頬を包みこんだ。親指で、そっと下唇をなぞる。
「……お礼をもらってもいい?」
そういってヴィヴィアンは、顎をもちあげて顔を近づけた。ティカの脈拍は急上昇し、頬が熱く火照るのを感じた。吐息が唇に触れたと思った次の瞬間、柔らかく唇を塞がれた。
「んっ」
遠巻きに眺めている船員たちの間に、どよめきが起こる。
ここは外なのに――ティカは羞恥に震えたが、ヴィヴィアンはしっかりと唇を重ね合わせ、戸惑うティカを強く抱きしめた。
「~~っ!」
色々と限界で、ティカはヴィヴィアンの胸を叩いた。彼は小さく笑い、ゆっくり顔を離した。真っ赤になっているティカを目を細めて見つめたあと、顔をあげて、にやにやしている船員たちを見た。
「諸君、陸を楽しんでくれたまえ。七日後にはアプリティカの造船所に船を預けるから、各自荷物は残さないようにね」
「「アイ、キャプテン!」」
彼等は笑顔で答えた。
「俺はこれからシルヴィーたちと王宮にいってくる。ここで解散だ。皆も、休暇を楽しんでくれたまえ」
船員たちの目が輝いた。荷下ろしを終えた彼等は、既に身だしなみを整えており、街に繰りだすための一張羅に着替えている。
しばらく航海はお休み、アプリティカのギカントマス造船所に船を預け、そのまま調整期間に入る。その間、船員たちは自由に過ごすことができる。シルヴィーは長期休暇に浮かれる学生に注意する教師よろしく、
「陸にあがったからといって、羽目を外しすぎるなよ。賭博と酒に溺れて素寒貧 になっても、船を当てにはできないぞ。半年は造船所にあるんだからな」
「「アイ、サーッ!」」
その返事の明るいこと。規律に厳しい航海士が釘をさしても、船員たちは飛んで跳ねだしかねない、欣喜雀躍 の様子だ。
ヴィヴィアンたちと共にアプリティカについてくる船員もいるが、殆どの船員はパージに留まる。ティカの班仲間も、宿つきの酒家に入り浸る予定らしい。
兄弟たちは、甲板の上ではきびきび動けても、陸にあがった途端に怠惰と享楽に耽ってしまう――いつものことなのである。
「次の航海についていきたければ、くれぐれも面倒は起こすなよ。俺は裁判につき合うほど暇じゃないからな」
厳しい口調でシルヴィーが締めくくると、ヴィヴィアンは苦笑をこぼした。
「まぁ、シルヴィーはこういう男だ。皆もよく判っているだろう?」
シルヴィーは鋭い眼差しをヴィヴィアンに向けた。
「あんたが一番怪しいんだ。いいか、絶対に面倒を起こすんじゃないぞ? 俺だって休暇を満喫したいんだ。くだらない用事で呼びつけてみろ、出航前に湾に沈めて謝罪させるからな!」
ヴィヴィアンは降参のポーズをとり神妙な顔で頷いたあと、笑顔で船員たちを見た。
「というわけで、解散! 諸君、元気に過ごしたまえよ!」
「「アイアイ・サ――ッ!!」」
そろって敬礼、異口同音に唱和、拍手喝采を叫びながら、各々パージの喧騒へ消えていった。
ヴィヴィアンはティカの肩に手を置くと、オリバーを傍へ呼んだ。やってきたオリバーを見て、ティカは目を瞬いた。彼はしっかり上着をきていたのだ。
「お洒落だね、オリバー」
「サンキュ」
ヴィヴィアンもオリバーの頭をくしゃっと撫でた。
「似合っているよ、色男。さて、あまり煩くいうつもりはないけど、ティカを酔わせすぎないよう、気をつけてやって。夜までには、滞在先のホテルまで送り届けてやってほしい」
「アイ、キャプテン! 任せてください」
オリバーは胸を張って答えた。
目の前で、親友に自分の世話を託される光景を見せられのは、ティカとしては居心地が悪かった。視線を伏せがちにしていると、ヴィヴィアンが身を屈め、身構えるティカの額に優しく口づけた。
「楽しんでおいで、ティカ」
「……アイ、キャプテン。いってきます」
ティカは、はにかみながらいった。
「うん。またあとでね」
ヴィヴィアンは優しく黒髪を撫でたあと、きびすを返し、シルヴィーとユヴェールを連れて、颯爽と王宮の紋章が入った車に乗りこんだ。
彼らの出発を見送る間、オリバーが肘で突いてくるので、ティカもやり返した。
「すごいよな、ロアノス王家からのお出迎えだぜ! キャプテンたち、本当に王宮にいくんだ」
「うん」
ティカはぎこちなく頷いた。実はヴィヴィアンがこの国の第三王子であることは、限られた船員しか知らない。オリバーでさえも知らないのだ。
自動車が振動すると、ヴィヴィアンは最後にティカの方を見た。ティカが手を振ると、彼も小さく振り返してくれた。
車が通りに消えて見えなくなるまで、ティカはオリバーと共に見送った。
ティカは着替えを済ませ、波止場で寛いでいるところで、いつもより大きく感じる船を眺めていた。半分以上の荷が船からでたことで、ヘルジャッジ号の吃水線が久しぶりにあがっているのだ。
「やぁ、ティカ」
ヴィヴィアンは機嫌よくいった。彼が一人で戻ってきたので、ティカのそばかすだらけの顔がぱっと輝いた。
「お帰りなさい! キャプテン」
「ただいま。これからシルヴィーたちと王宮へいくんだけど、ティカも一緒にくる?」
「えっ」
ティカはびっくりして目を丸くした。驚きのあまり、何を考えていたのか、思考が一遍にふき飛んでしまった。
「僕、王宮なんて無理ですよ」
「大丈夫だよ、俺と一緒にいくんだから」
「でも僕、挨拶とか、礼儀とか」
狼狽えて、自分の服をぺたぺた触るティカの頭を、ヴィヴィアンは優しく撫でた。
「非公式な訪問だし、緊張も遠慮もいらないよ。いい機会だから、俺の家族を紹介するよ」
茶飲みに誘うような口調でいわれたが、ティカは勢いよく首を左右に振った。ヴィヴィアンの家族といえば、ガロ=セルヴァ・クロウ連合王国――ロアノス王家ではないか。
「僕、留守番をしています! そうします」
「そう? ティカは喜ぶと思うんだけどな。王宮を見てみたくない?」
ティカはぶんぶんと首を振った。ヴィヴィアンは首を傾げて、その困りきった表情を覗きこみ、ほほえんだ。
「判った。気乗りしないなら、無理にとはいわないよ」
「……すみません」
「謝らなくていいよ。今日は色々と話すこともあるし、遅くなるかもしれないしね。ティカはまた今度の方がいいかもしれない」
ヴィヴィアンは身を屈めて、ティカをぎゅっと抱きしめた。
「俺はシルヴィーたちといってくるから、ティカはオリバーたちと遊んでおいで」
ティカは顔をあげた。喜びに輝く
「久しぶりの王都だ。楽しんでおいで。ただし、羽目を外しすぎないようにね」
「アイ、キャプテン!」
「パージにいる間に、サーシャのお墓へいってみる?」
ティカは目を丸くした。
「今、プリシラに場所を調べてもらっているんだ。恐らく、教会区の共同墓地だと思うよ。いきたい?」
「いきたいです!」
ティカは二つ返事で頷いた。ヴィヴィアンは優しくほほえんだ。
「決まりだ。ついでに、幸福館にもいってみる?」
ティカは強張った。いいつけを破って、黙って逃げだしたのだ。今さらどんな顔をして会えばいいか判らない。
「判った。嫌ならいかなくていいよ。正式なティカの引き取り手続きを済ませておくね」
「ありがとうございます、キャプテン……」
ティカはすっかり感動して、想いのこもった声でいった。彼とユージニアに抱いていた
「どういたしまして」
ヴィヴィアンは微笑すると共に手を伸ばし、掌でティカの頬を包みこんだ。親指で、そっと下唇をなぞる。
「……お礼をもらってもいい?」
そういってヴィヴィアンは、顎をもちあげて顔を近づけた。ティカの脈拍は急上昇し、頬が熱く火照るのを感じた。吐息が唇に触れたと思った次の瞬間、柔らかく唇を塞がれた。
「んっ」
遠巻きに眺めている船員たちの間に、どよめきが起こる。
ここは外なのに――ティカは羞恥に震えたが、ヴィヴィアンはしっかりと唇を重ね合わせ、戸惑うティカを強く抱きしめた。
「~~っ!」
色々と限界で、ティカはヴィヴィアンの胸を叩いた。彼は小さく笑い、ゆっくり顔を離した。真っ赤になっているティカを目を細めて見つめたあと、顔をあげて、にやにやしている船員たちを見た。
「諸君、陸を楽しんでくれたまえ。七日後にはアプリティカの造船所に船を預けるから、各自荷物は残さないようにね」
「「アイ、キャプテン!」」
彼等は笑顔で答えた。
「俺はこれからシルヴィーたちと王宮にいってくる。ここで解散だ。皆も、休暇を楽しんでくれたまえ」
船員たちの目が輝いた。荷下ろしを終えた彼等は、既に身だしなみを整えており、街に繰りだすための一張羅に着替えている。
しばらく航海はお休み、アプリティカのギカントマス造船所に船を預け、そのまま調整期間に入る。その間、船員たちは自由に過ごすことができる。シルヴィーは長期休暇に浮かれる学生に注意する教師よろしく、
「陸にあがったからといって、羽目を外しすぎるなよ。賭博と酒に溺れて
「「アイ、サーッ!」」
その返事の明るいこと。規律に厳しい航海士が釘をさしても、船員たちは飛んで跳ねだしかねない、
ヴィヴィアンたちと共にアプリティカについてくる船員もいるが、殆どの船員はパージに留まる。ティカの班仲間も、宿つきの酒家に入り浸る予定らしい。
兄弟たちは、甲板の上ではきびきび動けても、陸にあがった途端に怠惰と享楽に耽ってしまう――いつものことなのである。
「次の航海についていきたければ、くれぐれも面倒は起こすなよ。俺は裁判につき合うほど暇じゃないからな」
厳しい口調でシルヴィーが締めくくると、ヴィヴィアンは苦笑をこぼした。
「まぁ、シルヴィーはこういう男だ。皆もよく判っているだろう?」
シルヴィーは鋭い眼差しをヴィヴィアンに向けた。
「あんたが一番怪しいんだ。いいか、絶対に面倒を起こすんじゃないぞ? 俺だって休暇を満喫したいんだ。くだらない用事で呼びつけてみろ、出航前に湾に沈めて謝罪させるからな!」
ヴィヴィアンは降参のポーズをとり神妙な顔で頷いたあと、笑顔で船員たちを見た。
「というわけで、解散! 諸君、元気に過ごしたまえよ!」
「「アイアイ・サ――ッ!!」」
そろって敬礼、異口同音に唱和、拍手喝采を叫びながら、各々パージの喧騒へ消えていった。
ヴィヴィアンはティカの肩に手を置くと、オリバーを傍へ呼んだ。やってきたオリバーを見て、ティカは目を瞬いた。彼はしっかり上着をきていたのだ。
「お洒落だね、オリバー」
「サンキュ」
ヴィヴィアンもオリバーの頭をくしゃっと撫でた。
「似合っているよ、色男。さて、あまり煩くいうつもりはないけど、ティカを酔わせすぎないよう、気をつけてやって。夜までには、滞在先のホテルまで送り届けてやってほしい」
「アイ、キャプテン! 任せてください」
オリバーは胸を張って答えた。
目の前で、親友に自分の世話を託される光景を見せられのは、ティカとしては居心地が悪かった。視線を伏せがちにしていると、ヴィヴィアンが身を屈め、身構えるティカの額に優しく口づけた。
「楽しんでおいで、ティカ」
「……アイ、キャプテン。いってきます」
ティカは、はにかみながらいった。
「うん。またあとでね」
ヴィヴィアンは優しく黒髪を撫でたあと、きびすを返し、シルヴィーとユヴェールを連れて、颯爽と王宮の紋章が入った車に乗りこんだ。
彼らの出発を見送る間、オリバーが肘で突いてくるので、ティカもやり返した。
「すごいよな、ロアノス王家からのお出迎えだぜ! キャプテンたち、本当に王宮にいくんだ」
「うん」
ティカはぎこちなく頷いた。実はヴィヴィアンがこの国の第三王子であることは、限られた船員しか知らない。オリバーでさえも知らないのだ。
自動車が振動すると、ヴィヴィアンは最後にティカの方を見た。ティカが手を振ると、彼も小さく振り返してくれた。
車が通りに消えて見えなくなるまで、ティカはオリバーと共に見送った。