メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
10章:ナプトラ諸島沖合海戦 - 6 -
「キャプテン」
遠慮がちな小声であったが、ヴィヴィアンは弾かれたように振り向いた。
「ティカ」
呼ばれて傍へ歩み寄ったものの、かける言葉が見つからない。ヴィヴィアンはそんなティカを見下ろした後、無表情のままに他の乗組員を見た。
「誰か、ティカを船室 に連れていって」
船員の中から、オリバーが慌てて駆けてくる。
「ティカ、行こう」
「でも……」
手を引かれたが、ティカは躊躇った。オリバーとヴィヴィアンの顔を、不安そうに何度も見る。
強い視線が顔に刺さる。死人のように青褪めた顔をした男は、ティカを凝視していた。ぞっとするような視線だ。
昏い眼差しを遮るように、ヴィヴィアンは男とティカの間に身体を移動させた。
「何しにきたの?」
どこか冷ややかな口調に、ティカの肩は小さく撥ねた。逆光で、ヴィヴィアンの表情はよく見えない。彼は今、どんな顔をしているのだろう?
言葉にならぬ濁音を発していると、頭をくしゃっと撫でられた。そうかと思えば、突き放すように肩を押される。
「いい子だから、大人しく待ってな」
「でも……」
なおも躊躇いを見せると、オリバーに強く腕を引かれた。
「行こう」
ティカと違って、迷いのない口調だ。明確な意思を持った力に抗えず、引きずられるようにして昇降階段へ向かう。
潜水服を着用して船縁に立つ男は、手を組んで天を仰ぎ、あらゆる聖者と神の名を呼んでいた。
船室まで二人して無言で歩くと、中に入るなり、オリバーは口を開いた。
「こっちだって、何人か殺 られてる。俺達は襲われた上で勝って、向こうは負けたんだ。キャプテンは間違ってないよ」
いつになく、オリバーは強い口調で言い切った。
海のように青い瞳で、真っ直ぐにティカを見つめる。中途半端に敵に同情を寄せたことを、責められている気がした。
「ごめん……」
凛とした眼差しを直視できず、力なく項垂れた。すぐ傍で、小さくため息をつく気配がする。
「ティカが悪いわけじゃないよ。ただ……キャプテンの顔を見て、気持ちが判っちゃったていうか」
「……怒ってた」
情けなくも、自分の爪先を見つめたまま呟いた。
「というより、傷ついていたよ。ティカに、咎めるような眼差しで見上げられて」
予想外なことを言われて、ティカは小さく息を呑んだ。驚いて顔を上げると、オリバーの思慮深い眼差しとぶつかった。
「僕……っ」
続ける言葉も判らぬまま口を開くと、オリバーは複雑そうな表情を顔に浮かべた。
「判ってるよ。ティカに悪気がないことくらい。ティカって、びっくりするくらい悪意がないんだから」
「ぼ、僕、ヴィーに謝って……ぐぇっ」
背を向けて走り出そうとしたら、襟を思いきり掴まれた。
「後で迎えにくるって。大人しく待ってなって言われたろ?」
首を抑えながら恨めしげに振り向くと、親友はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「……いつの間に、ヴィーって呼ぶようになったんだ?」
「っ!?」
「知らないとでも思ってた? カルタ・コラッロに行ってから、増々甘くなったよね」
急な話の展開についていけず、ティカは眼を瞬 いた。
俯く少年よりは、遥かに大人な同い年の少年は、あちこち撥ねる黒髪を撫でた。
「オリバー!」
髪を撫でる手を跳ね除けると、親友は愉しげに笑った。
「良かったじゃん。両想いになれたんでしょ?」
優しい笑みに、からかいの色は浮かんでいない。ティカの警戒心は、すぐに解けた。
「……うん」
「詮索するつもりはないけど……無限幻海の秘宝は、ティカが持ってるんだろ?」
「――っ」
思わず息を止めた。
その驚嘆の表情こそ、答そのものなのだが、ティカは気付いていない。オリバーはからかったりせず、真剣な顔つきで続けた。
「班員は皆、気付いているよ。ジョー・スパーナに二度も狙われたし、キャプテンの守り方は、尋常じゃないからね」
「気付いてるのっ!?」
「そりゃ、同じ班だし。だからさ……ティカを大事にするのは、そういう面もあるのかなって思ってたけど、ちゃんと想われてるよね。良かったね」
穏やかな口調で、オリバーは笑みを深めた。思いのほか優しい眼差しを向けられて、ティカは照れ臭げに俯いた。
鈍いティカでも、彼が密かに心配してくれていたのだと判る。
「ありがとう……」
「賭けに勝ったな。うまくいくって、俺は最初から判ってたんだぜ」
三角の耳をぴんと立てて、オリバーはにひひっと愉しげに笑った。
賭けとは、ブラッドレイがティカとヴィヴィアンの関係をネタに言い出した、どうしようもないアレのことだ。
どうやらオリバーは“二人は恋人”を一口買っていたらしい。ティカは苦笑いを浮かべて、ぽりぽりと頬を掻いた。
遠慮がちな小声であったが、ヴィヴィアンは弾かれたように振り向いた。
「ティカ」
呼ばれて傍へ歩み寄ったものの、かける言葉が見つからない。ヴィヴィアンはそんなティカを見下ろした後、無表情のままに他の乗組員を見た。
「誰か、ティカを
船員の中から、オリバーが慌てて駆けてくる。
「ティカ、行こう」
「でも……」
手を引かれたが、ティカは躊躇った。オリバーとヴィヴィアンの顔を、不安そうに何度も見る。
強い視線が顔に刺さる。死人のように青褪めた顔をした男は、ティカを凝視していた。ぞっとするような視線だ。
昏い眼差しを遮るように、ヴィヴィアンは男とティカの間に身体を移動させた。
「何しにきたの?」
どこか冷ややかな口調に、ティカの肩は小さく撥ねた。逆光で、ヴィヴィアンの表情はよく見えない。彼は今、どんな顔をしているのだろう?
言葉にならぬ濁音を発していると、頭をくしゃっと撫でられた。そうかと思えば、突き放すように肩を押される。
「いい子だから、大人しく待ってな」
「でも……」
なおも躊躇いを見せると、オリバーに強く腕を引かれた。
「行こう」
ティカと違って、迷いのない口調だ。明確な意思を持った力に抗えず、引きずられるようにして昇降階段へ向かう。
潜水服を着用して船縁に立つ男は、手を組んで天を仰ぎ、あらゆる聖者と神の名を呼んでいた。
船室まで二人して無言で歩くと、中に入るなり、オリバーは口を開いた。
「こっちだって、何人か
いつになく、オリバーは強い口調で言い切った。
海のように青い瞳で、真っ直ぐにティカを見つめる。中途半端に敵に同情を寄せたことを、責められている気がした。
「ごめん……」
凛とした眼差しを直視できず、力なく項垂れた。すぐ傍で、小さくため息をつく気配がする。
「ティカが悪いわけじゃないよ。ただ……キャプテンの顔を見て、気持ちが判っちゃったていうか」
「……怒ってた」
情けなくも、自分の爪先を見つめたまま呟いた。
「というより、傷ついていたよ。ティカに、咎めるような眼差しで見上げられて」
予想外なことを言われて、ティカは小さく息を呑んだ。驚いて顔を上げると、オリバーの思慮深い眼差しとぶつかった。
「僕……っ」
続ける言葉も判らぬまま口を開くと、オリバーは複雑そうな表情を顔に浮かべた。
「判ってるよ。ティカに悪気がないことくらい。ティカって、びっくりするくらい悪意がないんだから」
「ぼ、僕、ヴィーに謝って……ぐぇっ」
背を向けて走り出そうとしたら、襟を思いきり掴まれた。
「後で迎えにくるって。大人しく待ってなって言われたろ?」
首を抑えながら恨めしげに振り向くと、親友はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「……いつの間に、ヴィーって呼ぶようになったんだ?」
「っ!?」
「知らないとでも思ってた? カルタ・コラッロに行ってから、増々甘くなったよね」
急な話の展開についていけず、ティカは眼を
俯く少年よりは、遥かに大人な同い年の少年は、あちこち撥ねる黒髪を撫でた。
「オリバー!」
髪を撫でる手を跳ね除けると、親友は愉しげに笑った。
「良かったじゃん。両想いになれたんでしょ?」
優しい笑みに、からかいの色は浮かんでいない。ティカの警戒心は、すぐに解けた。
「……うん」
「詮索するつもりはないけど……無限幻海の秘宝は、ティカが持ってるんだろ?」
「――っ」
思わず息を止めた。
その驚嘆の表情こそ、答そのものなのだが、ティカは気付いていない。オリバーはからかったりせず、真剣な顔つきで続けた。
「班員は皆、気付いているよ。ジョー・スパーナに二度も狙われたし、キャプテンの守り方は、尋常じゃないからね」
「気付いてるのっ!?」
「そりゃ、同じ班だし。だからさ……ティカを大事にするのは、そういう面もあるのかなって思ってたけど、ちゃんと想われてるよね。良かったね」
穏やかな口調で、オリバーは笑みを深めた。思いのほか優しい眼差しを向けられて、ティカは照れ臭げに俯いた。
鈍いティカでも、彼が密かに心配してくれていたのだと判る。
「ありがとう……」
「賭けに勝ったな。うまくいくって、俺は最初から判ってたんだぜ」
三角の耳をぴんと立てて、オリバーはにひひっと愉しげに笑った。
賭けとは、ブラッドレイがティカとヴィヴィアンの関係をネタに言い出した、どうしようもないアレのことだ。
どうやらオリバーは“二人は恋人”を一口買っていたらしい。ティカは苦笑いを浮かべて、ぽりぽりと頬を掻いた。