メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

10章:ナプトラ諸島沖合海戦 - 3 -

「――急げぇッ! 火薬詰め、はじめぇッ」

 ヘルジャッジ号の甲板で、砲撃隊長が怒号を叫んだ。
 既に持ち場に張り付いている乗組員達は、命令に俊敏に応じた。
 兄弟達は、陸だと一晩中ラム酒を痛飲するような無頼漢になるが、船の上では見事に豹変してみせる。献身的で勇敢、武器の扱いにも操船にも巧みな、どんな危険な戦闘・探検の時も、船長キャプテンを先頭に率先して働く一隊と化すのだ。

「第一班、終わりッ」

「二班、おなじィッ」

 威勢の良い返事が四方から返る。
 見れば舷側には、飛距離に長けたライフル銃がずらりと並べられている。土嚢の円環に身を沈めた水夫は、対空噴進弾を構えている。梯子を持ち出す上からの敵を撃ち落とす為だ。

「砲門開けぇッ! 点火用意ッ! 目標、大型級潜水艦、ルノワ海賊船!!」

「了解! 点火用意!」

 着々と砲撃準備も進められる。

「船首三度右! 射角補正二度!」

 精緻な補正を指示しているのは、戦術参謀も兼ねるシルヴィーだ。
 恐ろしく有能な彼は、右手で機関に指図しながら、同時に左手で船橋ブリッジに立つ舵手に命令をしている。

「急げッ」
「装填、了」

 全てが整い、砲撃隊長が号令を叫ばんと、息を吸い込んだ。

ぇ――ッ」

 遠射砲撃が幕を開けた。
 ドンドンドンッ!!
 耳をろうする砲撃音と、騒々しい水飛沫が立ち昇る。
 照準を自らチューニングした高性能ライフルを銃眼から覗かせ、ロザリオは的確な射撃の腕前を惜しげなく披露している。
 日頃は青い制服を纏うプリシラやジゼルも、すっきりとした夜より暗い戦闘装束を纏い、ライフルを構えている。彼女達は近接戦では隊長を務めるが、遠距離戦では優秀な狙撃手として、ロザリオの麾下きかで働く。
 血に染まる白兵戦を想定して、甲板には銀刃の武器もずらりと並べられた。
 これはきっと、激戦になる。
 今日こそは甲板に立ち続けようと、ティカも張り切って駆け出そうとしたところを、襟を引っ張られた。

「ティカ、戻ってな」

 またしても、ヴィヴィアンに掴まった。
 砲撃戦が激化する前に、ティカはいつものように喫水線より下にある船室デッキに戻された。上甲板よりも砲撃の心配が少ないからである。

「キャプテン、僕も甲板を手伝います!」

「駄目だよ、危ないから」

「だけど、皆だって戦っているのに!!」

 もはや、のけ者にされている境地であった。必死さが伝わったのか、ヴィヴィアンは美しい顔に憂いを見せる。

「気持ちは判らないでもないけど……」

「僕だって、皆に危ない目に合って欲しくない! 皆が戦ってるのに、僕一人だけ安全な所で待っているなんて」

「ティカ」

「剣も上達した! 大砲の使い方も教えてもらった! 役に立てますっ!」

 顔に影が落ちる。彼は屈んで、ティカの額に口づけようとした。身をよじって、煩げに振り払う。相変わらずの子供扱いには我慢がならない。
 暴れるティカを、ヴィヴィアンは抑え込むように強く抱きしめた。

「判った。戦いの場については、きちんと考えよう。いつまでも隠してはおけないしね。でも今回は、俺の言うことを聞いて」

 理性的な声に宥められ、荒れていたティカの感情も幾らか鎮まった。

「……アイ」

「よし」

 不承不承に頷くと、ヴィヴィアンは身を屈めて、ティカの額に口づけようとする。今度は大人しく受け入れると、頬と唇にもキスが落ちた。こんな時だと言うのに、とても甘い触れ方だ。

「甲板が……」

 もう一度唇にキスされたところで、ティカは心配げに扉を見やった。

「ロザリオがいるから、大丈夫。俺にはティカのご機嫌の方が大切だ」

「ヴィー……」

 少々呆れた声でティカが呟くと、得意の泰然自若たいぜんじじゃくぶりでヴィヴィアンは愉しげに笑った。ようやく立ち上がり、颯爽と船室を出て行く。

「どうか、気をつけて!!」

 姿勢の良い後ろ姿に、慌てて声をかけた。

「無名の海賊が、俺の行く手を阻むとはいい度胸だ。景気づけに暴れてくるよ」

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくの笑みを閃かせ、今度こそヴィヴィアンは消えた。
 パタン。
 もう、何度も耳にした、扉の閉まる音。
 またしても、置いて行かれた……
 甲板部員なのに、有事に甲板に立たせてもらえないようでは、永遠にヘルジャッジ号の一員を名乗れない気がする。
 気が滅入り、ティカにしては重々しいため息をついた。