メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -
3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 9 -
遠くから、オフィ-リアを呼ぶ声が聞こえる。
耳の片隅に拾い、オフィーリアはひっそりとため息をついた。姿を隠して、一人きりなったと安堵を覚え……何をやっているのかと、自嘲めいた念に駆られた。
一人きりになるのが怖くて、魔法を使ってしまったのに。
今はその魔法のせいで困った事態に陥り、一人になりたがっている。このまま解呪を知り得なければ、このねじ曲がった状態が、永遠に続くのだろうか?
「もう嫌……」
疲れたように独りごちると、枝を踏みしめる音が聞こえた。振り向けば、怒気を纏った炎の精霊がいた。
「アガレット様に、何をした?」
「え?」
「とぼけるな。何やら只ならぬ様子を、遠くから見たぞ。アガレット様が、お前ごときに跪くとは信じられん。一体、どんな力を使ったんだ?」
彼の名はフェリクス。アガレットを盲信していることで知られている、精霊の一人だ。先のやりとりを見られていたと知り、オフィーリアは激しく動揺した。
「我が君の寵も、その力で得たのか」
「違います!」
「その力は毒だ。精霊王ですら操ってしまう……」
「あ、操ってなんて」
「そうでなければ、説明がつかない。あれほど人間を嫌っていた方が、お前のようなあいの子を世界樹宮へ招くわけがない」
「私は我が君を害そうなど、考えておりません」
「アガレット様を呪縛する、悪しき魔女め」
忌々しげに吐き捨てられ、オフィーリアは唖然と立ち尽くした。
「その悪しき力で、王の寵を得たのだろう。お前を害せば我が身も無事には済まされまい……だが、見捨ておけない」
「私はそのような者ではありません!」
「ならば、解毒してみせろ。我が君とアガレット様のお心を返すのだ」
「解くための言葉が必要です。私はそれを知らないのです」
「信じられるか。口では何とでもいえる」
「本当です!」
「魔法のかけかたは知っていて、解く方法は知らない? そんな都合の良い話があるものか」
「ですが、本当に知らないのです」
「浅ましい未練としか思えぬ。その悪しき力を失うことが怖くて、嘘を吐いているのであろう」
「違います! 望んで手に入れた力ではありません!」
「白々しいことを。美しい王の寵を得て、傍を許され、あれほど大切にされておいて、欲しくなかったというのか」
「私が喜んでいると思うのですか? どんなに幸せを感じても、魔法と思う度に虚しさが募るのです。苦しみから抜け出せないのです」
「……確かに、その外見では自信を持てまい。解く魔法を知りえないのは、その弱い心がお前に囁くせいではないのか?」
「なんですって?」
「あいの子に誑かされたと知れば、我が君はお怒りになるだろう。お前は、八つ裂きにされてもおかしくない」
非情な言葉に、オフィーリアは息を呑んだ。
「なぜ驚く? お前もいったではないか、魔法と思う度に虚しさが募ると……魔法が解ければ、無事では済まされまい。その恐怖心が、お前から解毒の言葉を奪っているのではないか?」
「……」
「我が君のお怒りが怖いのなら、いっそ逃げたらどうだ?」
「え……?」
「精霊界を出て、地上へ降りるといい。あいの子のお前には、似合いだ。どこへなりと行くがいい」
「……戻れるのなら、あの森へ戻りたい」
「そこは駄目だ。精霊王に知られている……もっと、ずっと遠くへいけ」
途方に暮れるオフィーリアを見兼ねたように、渋々といった体でフェリクスは口を開いた。
「ならば、俺しか知らない、秘境の地底湖へ連れていってやろう」
「え?」
「大気に火山の霊気が満ちているから、ちっぽけな気配など隠してくれる。そうそう見つからないだろう」
「……どうして、教えてくれるのですか?」
まさか好意ではあるまい。疑問符の浮いたオフィーリアの顔を見て、フェリクスは嫌そうな顔をした。
「お前の為じゃない。アガレット様と我が君を、堕落から御救いする為だ。忌まわしき呪いを解く方法を思い出したら、連れ出してやろう」
「ロゼと一緒でなければ、ここを出ていけない」
「お前を連れていった後で、後から知らせてやる」
「本当に……?」
不安に揺れるオフィーリアに向けて、ぶっきらぼうにフェリクスは手を差し伸べた。
「嘘などつかぬ。さぁ……」
その手を取るかどうか、この先の明暗を分かつように思えた。
暗示めいたものを感じながら、誘惑に抗えず、オフィーリアは震える手を伸ばした。
刹那。ざわりと空気が凍えた。
「彼女に触れるな」
霜のように冷徹な声が降る。差し伸べた手を、しかと見られ、オフィーリアは驚愕に眼を見開いた。
耳の片隅に拾い、オフィーリアはひっそりとため息をついた。姿を隠して、一人きりなったと安堵を覚え……何をやっているのかと、自嘲めいた念に駆られた。
一人きりになるのが怖くて、魔法を使ってしまったのに。
今はその魔法のせいで困った事態に陥り、一人になりたがっている。このまま解呪を知り得なければ、このねじ曲がった状態が、永遠に続くのだろうか?
「もう嫌……」
疲れたように独りごちると、枝を踏みしめる音が聞こえた。振り向けば、怒気を纏った炎の精霊がいた。
「アガレット様に、何をした?」
「え?」
「とぼけるな。何やら只ならぬ様子を、遠くから見たぞ。アガレット様が、お前ごときに跪くとは信じられん。一体、どんな力を使ったんだ?」
彼の名はフェリクス。アガレットを盲信していることで知られている、精霊の一人だ。先のやりとりを見られていたと知り、オフィーリアは激しく動揺した。
「我が君の寵も、その力で得たのか」
「違います!」
「その力は毒だ。精霊王ですら操ってしまう……」
「あ、操ってなんて」
「そうでなければ、説明がつかない。あれほど人間を嫌っていた方が、お前のようなあいの子を世界樹宮へ招くわけがない」
「私は我が君を害そうなど、考えておりません」
「アガレット様を呪縛する、悪しき魔女め」
忌々しげに吐き捨てられ、オフィーリアは唖然と立ち尽くした。
「その悪しき力で、王の寵を得たのだろう。お前を害せば我が身も無事には済まされまい……だが、見捨ておけない」
「私はそのような者ではありません!」
「ならば、解毒してみせろ。我が君とアガレット様のお心を返すのだ」
「解くための言葉が必要です。私はそれを知らないのです」
「信じられるか。口では何とでもいえる」
「本当です!」
「魔法のかけかたは知っていて、解く方法は知らない? そんな都合の良い話があるものか」
「ですが、本当に知らないのです」
「浅ましい未練としか思えぬ。その悪しき力を失うことが怖くて、嘘を吐いているのであろう」
「違います! 望んで手に入れた力ではありません!」
「白々しいことを。美しい王の寵を得て、傍を許され、あれほど大切にされておいて、欲しくなかったというのか」
「私が喜んでいると思うのですか? どんなに幸せを感じても、魔法と思う度に虚しさが募るのです。苦しみから抜け出せないのです」
「……確かに、その外見では自信を持てまい。解く魔法を知りえないのは、その弱い心がお前に囁くせいではないのか?」
「なんですって?」
「あいの子に誑かされたと知れば、我が君はお怒りになるだろう。お前は、八つ裂きにされてもおかしくない」
非情な言葉に、オフィーリアは息を呑んだ。
「なぜ驚く? お前もいったではないか、魔法と思う度に虚しさが募ると……魔法が解ければ、無事では済まされまい。その恐怖心が、お前から解毒の言葉を奪っているのではないか?」
「……」
「我が君のお怒りが怖いのなら、いっそ逃げたらどうだ?」
「え……?」
「精霊界を出て、地上へ降りるといい。あいの子のお前には、似合いだ。どこへなりと行くがいい」
「……戻れるのなら、あの森へ戻りたい」
「そこは駄目だ。精霊王に知られている……もっと、ずっと遠くへいけ」
途方に暮れるオフィーリアを見兼ねたように、渋々といった体でフェリクスは口を開いた。
「ならば、俺しか知らない、秘境の地底湖へ連れていってやろう」
「え?」
「大気に火山の霊気が満ちているから、ちっぽけな気配など隠してくれる。そうそう見つからないだろう」
「……どうして、教えてくれるのですか?」
まさか好意ではあるまい。疑問符の浮いたオフィーリアの顔を見て、フェリクスは嫌そうな顔をした。
「お前の為じゃない。アガレット様と我が君を、堕落から御救いする為だ。忌まわしき呪いを解く方法を思い出したら、連れ出してやろう」
「ロゼと一緒でなければ、ここを出ていけない」
「お前を連れていった後で、後から知らせてやる」
「本当に……?」
不安に揺れるオフィーリアに向けて、ぶっきらぼうにフェリクスは手を差し伸べた。
「嘘などつかぬ。さぁ……」
その手を取るかどうか、この先の明暗を分かつように思えた。
暗示めいたものを感じながら、誘惑に抗えず、オフィーリアは震える手を伸ばした。
刹那。ざわりと空気が凍えた。
「彼女に触れるな」
霜のように冷徹な声が降る。差し伸べた手を、しかと見られ、オフィーリアは驚愕に眼を見開いた。