メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 6 -

 アガレットは眼を驚愕に見開いた。編んでいた魔力を散らして、誇り高い薔薇の精霊ががくりと膝をつく。
 仰ぐ真紅の瞳には、熱っぽくも、迷いが浮かんでいた。

「オフィーリア……」

 切なげに名を呼ばれて、オフィーリアは後じさった。

「私……何て真似を。許して。貴方を傷つけようとするなんて、どうかしていたわ」

 確実に魔法の効果が現れている。美しい真紅の瞳には、嫌悪も侮蔑も浮かんでいない。ただ、焦がれるような熱っぽい光と、憧憬が浮かんでいた。
 困惑してオフィーリアが踏鞴たたらを踏むと、アガレットはさっと立ち上り、おののくオフィーリアの足元に跪いた。

「許して。オフィーリアの為なら、何でもすると誓うわ」

 とてもアガレットらしからぬ一途な言葉で、深みのある真紅の薔薇を掌に咲かせた。緋色の罪に喩えられる、大輪の肉厚の花弁、魅惑的な香り……くらりと眩暈がする。

「フィーに近付かないで!」

 恭しく捧げる手つきを見て、ロザリアは唸り声を発した。薔薇を叩き落として、睨みつける。
 薔薇の女王は、むっとしたように眉をひそめた。ロザリアを冷ややかに見つめて、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「未熟な精霊が偉そうに。お前に何ができるというの」

 やりこめられたロザリアは、悔しげに唇を噛みしめた。オフィーリアは柔らかな金髪を撫でると、アガレットを睨みつけた。

「ロゼに酷いことをいわないで。もうたくさん。二度と私達に関わらないで」

 強張った表情で毅然と告げるオフィーリアを仰いで、アガレットは苦しげに顔を歪めた。

「そんなことを、いわないで……お願いよ、オフィーリア」

「解呪が判ったら、解いてあげるから。それまでは、どうかそっとしておいて」

 差し伸べる手を無視して、オフィーリアは背を向けた。

「オフィーリア!」

 愛しい者が去っていく。
 振り向かずにいってしまう。
 張り裂けそうな胸を抑えながら、アガレットはがくりと床に手をついた。
 真実ほんとうの愛が判ったのに!
 これまでの報いが、我が身に降り懸かる。
 視線一つもらえないなんて。どうして、あのような冷たい態度を取れたのだろう? 愛する者を傷つけてしまったのだろう?

「オフィーリア……愛しい私の女王」

 彼女の為ならば、何でもしてあげるのに。アガレットは生まれて初めて後悔を知り、悲嘆に暮れた。
 しかし、さすがは気高い薔薇の女王。
 僅かな間に己を立て直し、毅然と顔を上げると、駆けてゆく背中に瞳を注いだ。

「お待ちになって」

「こ、こないで!」

 後ろを気にしながら、オフィーリアは叫んだ。全力で駆けているが、距離を稼げない。アガレットが膝をついていたのは短い時間で、すぐに後ろを追い駆けてきた。

「お待ちになって、愛しい方」

「ひぃッ」

 情けない声をあげて、オフィーリアは半泣きで走った。群衆を避けて森へきたのに、気付けば宴の輪に飛び込んでいた。
 しかし、これだけの人がいれば、アガレットの追跡を撒けるかもしれない。そう思っていると――

「永遠の愛を捧げるわ! 誰よりも美しい、大切な、愛おしい貴方。黄昏の君へ」

 いつの間にか、円形舞台の上にアガレットがいて、聴衆に埋もれたオフィーリアを探すように、高らかに告げた。
 今すぐ消え入りたい心地で、オフィーリアがその場を離れようとすると、

「聞いていられないわッ! いい加減なことばっかり! フィーにいい寄らないでッ」

 挑発に乗せられたロザリアは、威勢よく喚いた。周囲の視線に加えて、アガレットの熱視線がオフィーリアに突き刺さる。
 死にそうになっているオフィーリアを残し、ロザリアは舞台に立つアガレットを睨みつけるや、つかつかと舞台へ駆けていく。

「未熟な精霊が、及びじゃないのよ」

「こっちの台詞よ、年増ッ」

 舞台の上で、二人の間に火花が散った。
 次の瞬間、熱狂的な拍手と喝采が起きた。
 七冠した薔薇の女王と、薔薇の女王最有力候補同士の対決を期待して、聴衆達は瞳を輝かせている。

「傲慢で気位の高い貴方が、愛を捧げるですって? 笑わせてくれるわね。ロゼの方がフィーを愛しているッ!!」

 胸を反らして、ロザリアは高らかに告げた。思いきりの良い告白に、周囲の精霊も気圧されている。おぉ、と奇妙などよめきが起こった。
 挑戦的な視線を跳ね返して、ハッと嘲るようにアガレットは嗤った。

「目障りなのよ、小娘。負け犬の遠吠えね。いくら勝てないからって、品もなく喚いたりして、無様だわ」

「なんですって!」

「黄昏の君は、どうして、こんなに煩い小娘を傍に置くのかしら? 邪魔でしょうに……」

「そんなことない! ロゼとフィーは仲良しなの! 及びじゃないのは、アガレットの方よッ!!」

 ロザリアは完全に頭に血が昇っている。ムキになるものだから、アガレットも高笑いをしている。

「ろ、ロゼ……」

 仲裁したいが、大きな声を張り上げることもできず、オフィーリアはおろおろと小声で呟いた。

「まるで子供ね。ねぇ……傍にいらっしゃい。こんな小娘は置いておいて、私と薔薇際を楽しみましょう?」

 優嫣ゆうえんに笑みかけられ、オフィーリアは無言で後じさった。視線を遮るように、ロザリアが身体の位置をずらす。

「やめてくれない? 傲慢な女王様。貴方はフィーに相応しくないわ」

「威勢だけはいいわね。なら、どちらが相応しいか、勝負しましょうよ」

 凄艶な笑みを浮かべて、アガレットは提案した。

「望むところよ! ロゼの方がずっとフィーを愛しているって、証明してあげる」

 受けて立つわ、とばかりに勇ましく腕を組み、仁王立ちのロザリアが吠えた。
 低い黄楊つげの樹の囲まれ、草に覆われた円形劇場で、華麗なる闘いの幕が開けた。
 演目は、薔薇の女王の頂上決戦!
 観衆は、これは見ものだぞ、と熱狂的な拍手を送った。