メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 4 -

 くるりと回転をし終えた後、長身の精霊に手を取られた。
 仮面の奥から、青い双眸を悪戯っぽく煌めかせて、オフィーリアの手の甲に唇を落とした。

「我が君……!」

 たとえ仮面で顔を覆っていても、玻璃の六枚羽を隠していても、全身から発せられる神々しい覇気は少しも隠せていない。最高位精霊の威厳をそなえている。

「次は私と踊ってください」

「あ」

 動揺して手を外そうとしたら、腰を引き寄せられた。

「とても綺麗ですよ」

 そういうアシュレイこそ、呼吸も忘れるほど美しい。
 頭髪に銀細工を飾り、髪を後ろで一つに結わいている。白豹しろてんの外套を豪奢に羽織り、水晶のレイピアを腰にく姿は、眩いほど神々しかった。

「わ、我が君」

「せっかく仮面をつけているのですから、畏まらずに、名前で呼んでください」

 絶句するオフィーリアに顔を寄せて、耳朶にそっと息を吹き込んだ。

「どうか、アシュレイと」

「……ッ!」

 甘く請われて、身体の芯が訳も判らず震えた。その難題には、とても答えられそうにない。
 視線を彷徨わせるオフィーリアを熱っぽく見下ろして、アシュレイはふと視線を和ませた。
 気まずさを攫うように、音楽に身を任せる。
 想いを口にせずとも……
 言葉はなくとも、足は弧を描き、豊かな旋律と一体になった。息のあった身体の動きに、どちらからともなくほほえむ。
 重ねた手、腰に回された確かな腕を感じながら、オフィーリアは不思議な心地を味わった。
 もうこの先、こんな風に二人で踊ることはないであろうが、この瞬間を、永く記憶し続けてゆくことになるだろう。
 一途な眼差しも、煌めくようなほほえみも、流れる白銀の髪も、けぶるような睫も、形のいい唇も。
 永遠に、忘れられないだろう。
 魔法が消えた後も、この瞬間を密かに思い出して、自分を慰めることになるのだろうか……

(今はよそう。考えてはだめ)

 しがらみを忘れて、この瞬間を素直に楽しみたい。
 複雑な哀切を捻じ伏せて、オフィーリアは音楽に身を任せた。
 そうして、どれくらい踊っていたのだろう?
 アシュレイは少しも疲れを感じさせないが、オフィーリアはすっかり息が上がっていた。
 手が離れていくのを惜しみながら、膝を曲げてお辞儀をすると、アシュレイも礼節に則ったお辞儀をした。
 周囲から囃し立てるような歓声が沸き起こる。
 硬直するオフィーリアの頭上から、視界を遮るような花びらが降り注いだ。
 有翼の精霊達が霊気で光の絵を描きながら、空へと舞い上がる。
 盛大な歓声に唖然としたオフィーリアは、すぐに一歩引いて、彼等に調子を合わせた。我等が精霊王を讃えんと、手を鳴らす。

「私と貴方への祝福です。受けとめてください」

 苦笑と共に、アシュレイは眼を瞠るオフィーリアの腰を引き寄せた。流れるように手を取り、甲に唇を落とす。
 降り注ぐ薔薇の花びらは、ぽっと光を放ち、光屑の残像がゆらりと夜空へ舞い上がった。
 いきな演出は、ロザリアの仕業だ。美しい友達は、悪戯が成功したような顔で眼を瞑っている。

「嬉しい」

 口の中だけで呟いたつもりだったが、隣に立つアシュレイは耳に拾った。嬉しそうに表情を綻ばせて、オフィーリアの髪に指を滑らせる。

「私もですよ、オフィーリア」

 優しい声に、オフィーリアは力なく首を振って応えた。
 今夜限りの夢を見ただけ。
 憂う心を知ってのことか、アシュレイは手袋に包まれた手をとり、慰めるように指先に口づけた。眼を見開くオフィーリアを見つめて、瞳の奥に熱を灯す。

「――……」

 理性で説き伏せてきた心が、ことり、小さく音を立てた気がした。
 音楽が変わっても、アシュレイは期待を込めた眼差しを向けてきたが、オフィーリアは辞退した。息が上がっているし、山ほど注目を浴びてしまった。
 遠ざかる後ろ姿を残念そうに見送りながら、アシュレイはその場に残り、遠路をやってきた精霊達と歓談に興じている。
 先ほど、夜空から舞い降らせたロザリアの薔薇の花弁は、多くの者の服や帽子に留まっており、その花びらも得票に数えられると発表された。
 なんと、やる気のないロザリアが、薔薇の女王の最有力候補に踊り出たのだ!
 土壇場で番付狂いが起こり、会場は大賑わいである。
 注目に耐え切れず、オフィーリアはロザリアの手を引いて、賑わいから離れた。仮面をつけていても、あれほどの注目を浴びるのは辛い。
 静かな泉の傍に立ち、熱気を冷ましていると、草叢くさむらが揺れた。
 美貌の薔薇の女王、原初の薔薇の精霊がそこにいた。