HALEGAIA
7章:
今夜は
美しくも禍々しい夜空に、魔王の帰還を告げる法螺貝を吹き鳴らす音が、朗々と響き渡った。
たいまつの炎に照らされた
絢爛豪華な玉座の間に、深紅の衣装をまとったミラが顕れると、眷属たちは膝をおって出迎えた。
――お帰りなさいませ。
臣下たちの囁きが折り重なる。天井の
目が眩むような空間は広く、高く、照明の光が窓硝子やシャンデリアに反射して、濃縮された炎の
「お帰りなさいませ、魔王様。地上はいかがでしたか?」
玉座の傍に控える魔女、リストラリスは、恭しく跪いたまま訊ねた。
「いつもと同じです」
ミラは淡々と応えながら、豪華な玉座にもたれた。陽一のいない地上は退屈だ。
「陽一様のいらっしゃる地上のことですわ」
リストラリスは静かに立ちあがった。彼女は三メートルもある長身で、斜陽を背に立つときなどは、彼女の影は全世界を被う。
「……陽一とラーメンを食べにいきたかったのに、邪魔が入りました。腹いせに三千世界を滅ぼしてきたところです」
ふぅ、とミラが物
「地上は阿鼻叫喚ですわね」
いつでも微笑を浮かべている謀略の魔女。
しかし美しい。曲線の美しい、繊細で妖しげな紫色のドレスが素晴らしく似合っている。ボディスは薄い紫で、胸には真珠と血のしずくの形をした
「こちらにいらしてよろしいのですか? 陽一さま、
小首を傾げた拍子に、波打つ豊かな藤色の髪が肩からこぼれた。
「野暮用です。それに……呼ばれるのを待ちたい」
少し視線をそらして答えるミラを見て、リストラリスはくすくすと笑った。
「悪魔を焦らすなんて、陽一さまは罪な御方ですね」
「本当に」
「時間ならいくらでもありますわ。心行くまで甘い
悠久の
「そうしたいけれど、あまり長時間いると陽一は元気をなくしますから……本当は
この場所は陽一にとってトラウマだ。もしかしたら、いまなら平気なのかもしれないが、彼が悲鳴をあげたりしたらと思うと、胸が痛む。
躊躇っているミラを見て、リストラリスは不思議そうに小首を傾げた。
「陽一様を誘惑なさればよいのでは? 我々の専売特許でしょうに」
「神の加護が邪魔をします」
「魔王様なら、いかようにもできるのではなくって?」
「……強引な真似をすれば、陽一に嫌われてしまう」
「まぁ」
リストラリスはほほえんだ。
「想われていらっしゃるのですね」
「ええ……陽一を想うと胸が苦しい。陽一もこうして離れている時、僕を想ってくれたらいいのだけれど」
肉の疼きだけではない、心も強く陽一を求めている。陽一にも同じように想われたい……彼の心がほしい。早く名前を呼んでほしい。
「想われていますわ。魔王様に想われて平静でいられる人間なんて、この宇宙にいませんわ」
「……だけど陽一には神の加護がありますから。僕の魅了がいまいち効かないんですよねぇ」
「恋煩いですわね」
「そう、恋をしているんです。陽一が足りない。もっと陽一に好かれたい……」
リストラリスはちょっと考えてから、くちを開いた。
「陽一様の趣味嗜好に寄り添うのはいかがですか? 好きな書物や観劇など」
「サブカルチャーですね。確かに陽一のいる人間界も、様々な漫画や小説、映画にゲームと娯楽で溢れかえっていますよ」
雑談しているところに、灰色の作業着姿に、“安全第一”と印字されたヘルメットを
「魔王様~☆ “天使の輪”をお届けに参りました」
玉座から少し離れたところで片膝をついたジュピターは、両手で恭しく硝子箱を差しだした。
「ご苦労さまです」
ミラは頬杖をついたまま答えた。
“天使の輪”はリストラリスが受け取り、彼女は箱をあけると、中身が見えるようにしてミラにさしだした。
白い絹のうえに、金色に輝く“天使の輪”が納められている。
忌々しい神の魔法が漂うそれを、ミラは仕方なさそうに受け取る。地上で過ごすための必須アイテムと実感したばかりだが、進んで身に着けたいと思うような代物ではない。
「
ジュピターは騎士のように、手を胸に押し当てて答えた。凛とした所作だが、妙なヘルメットのせいでいまいちキマらない。
「すみません。うっかり本性が覗いてしまって。やはりこれがないと、人間への殺意を抑えるのは難しいですね」
“天使の輪”をひとさし指でくるくると回しながらミラはいった。
「地上にお戻りになる際は、どうぞお忘れなく! それでは私はこれで失礼します☆」
はきはきと応えて、ジュピターは優雅にお辞儀をすると、玉座の間を颯爽とでていった。
「……シュピターは、すっかり変わりましたね」
リストラリスは頬に白い繊手を押しあて、そうコメントした。
「ええ、僕に対する執着が消えて快適です。いきすぎた嫉妬をお仕置きするのも面倒でしたからね」
「魔王様に盲目でないジュピターは、新鮮ですわ。焦がれるほどの夢を奪われて、少しかわいそうな気もしますけれど」
「今のジュピターは神様LOVEですよ。理想の相手に懸想していられるのだから、幸せでしょう?」
悪魔らしい俗っぽく傲慢な言葉に、リストラリスはくすりと微笑した。
「そういえば、文化祭の様子を見ましたよ。素敵な演奏でしたわ。魔王様も陽一様も、本当に嬉しそうで、お楽しそうで……ルネとオデュッセロが羨ましいですわ。わたくしもご一緒したかったわ」
「うん、あれは楽しかった」
ミラは優しく微笑した。顔が赤くなるような
その初々しい姿を見て、リストラリスは慈母のように微笑する。敬愛する我が偉大な魔王が、まるで恋する乙女のようだ。悪魔と人間の恋の結末がどうなるかはさておき、いま、彼が幸せそうで何よりだと思う。
「陽一には、前に怖い思いをさせてしまったので、
「そうですわねぇ……
確かに、アドリア海の孤島は陽一も気にいってくれて、よく遊びにきてくれる。夏になったら泳ぎたいといっていた。
「ビーチですか……いいかもしれませんね」
雑談していたミラは、弾かれたように席をたった。陽一に名前を呼ばれたのだ。次の瞬間、嬉々として召喚に応じた。
残されたリストラリスは、主不在の玉座を見つめて、白く発光する瞳をさらに煌めかせた。
「これがカプリング萌えですのね。推せますわ」