HALEGAIA

6章:悪魔トランス - 1 -

 さて、宇宙間の隠微いんびを探る波乱に満ちた公開授業も終わり、無事LHRを終えて、放課後。
 いつものように陽一は、部活にいこうとミラに声をかけようとした、そのとき、
「魔王君、ちょっといいかな?」
 聞きなれない声に振り向くと、上級生が二人いた。全国高等学校音楽イベントに出場したり、学生バンドで配信もしている、ちょっと有名な軽音部の先輩方である。
「俺は、二年の高柳たかやなぎしょう。こっちは茂木もぎ信也しんや。俺ら軽音部なんだけど」
 と、ギターの高柳先輩は朗らかにいった。口もとには快活な笑みが浮かんでおり、いかにも陽キャといった印象で、どこにいてもムードメーカーなのだろうと思わせずにはおかなかった。一方、その隣の茂木は無表情で、何を考えているのかよく判らない。
 ふたりがどうしてミラに会いにきたのか判らず、陽一が目をぱちくりさせていると、
「この間、魔王様のファンサイトにUPされた、英文朗読の動画を見てさー、あ、ちゃんと会員制サイトだから安心してね。俺は会員No一五一」
 高柳の言葉に、えっ、と思わず陽一は声をあげた。
「ミラのファンサイトあるんですか!?」
 高柳は不思議そうな顔をした。
「遠藤君知らないの? 魔王様のソウルメイトなのに」
「えっ、いや、その……」
 その噂、二年生も知っているのか。くちごもる陽一を、ミラはぎゅっと抱きしめて、
「ソウルメイトですよ」
 きっぱりと肯定した。
 耳をそばだてているクラスメイトから、なんともいえぬどよめきが沸き起こるが、高柳は声をあげて笑った。
「あはは、仲良しじゃん。魔王様のファン、ガチ恋勢もいるけど、遠藤君とセットで推してる子も多いから大丈夫だよ」
(何が大丈夫なんだろう)
 不安の増した陽一だが、愛想笑いを浮かべるしかない。
「ほら、この動画。声も発音もめっちゃ綺麗だね!」
 高柳はスマホを操作して、動画を再生してみせた。先日の英語の授業の、鳩乱入騒ぎからのミラの英文朗読の様子が映っている。全く気づかなかったが、誰かが動画を撮っていたらしい。
「魔王様、めっちゃ遠藤君の方を見て朗読してるよね。どんだけ好きなんだよって感じ」
 高柳のからかいめいた言葉に、陽一は顔が紅潮するのを覚えた。
「高柳、陽一を辱めるのはやめてください」
 ミラが後ろから抱き着いてきた。おまけに髪にちゅっとキスをして、そこかしこから奇声があがった。
「お前が一番辱めてるよ!」
 わめきながら陽一が抱擁を振りほどくと、高柳は爆笑し、無表情だった茂木までもが、くすっと笑みをこぼした。
「ウケるんだけど! ふたりとも面白いなぁ。俺たち今度文化祭でバンド出演するんだけど、良かったら魔王様、ヴォーカルをやってくれないかな?」
 高柳が期待に満ちた目でいった。クラスメイトから期待を帯びた声があがる。陽一も幽かな胸の高鳴りを覚えながら、ミラを見た。ミラの歌を聴いてみたい。
「俺たちドラム・ベース・ギターのスリーピースバンドなんだ。曲は作ってあるんだけど、歌える奴いなくてさ」
 高柳がそういうと、茂木は「俺、ドラム」と初めて喋った。
「陽一がギターを弾くなら、いいですよ」
 ミラの言葉に、高柳は興奮に目を輝かせた。
「えっ!? 本当? てか、遠藤君ギター弾けるの!?」
「陽一は上手ですよ」
 陽一が答えるより早く、ミラが答えた。
「おおッ」
 高柳の目がキラ――ンと光った。
「趣味で弾いているだけですよ。人とあわせたことないし、バンドなんて俺には無理ッス」
 陽一は慌てて否定した。確かに、父親の影響で子供の頃からギターを弾いている。入学当初は軽音楽に入部するか迷ったりもした。でも結局、陸上部に入ったわけだし、人前で演奏したことは一度もないのだ。
「いまのは謙遜です。陽一は度胸もあるし、練習すればすぐ上達しますよ。僕は陽一が一緒にやるなら、楽器でもヴォーカルでも何でもやりますよ」
 ミラが割って入った。
「おおぉぉっ、貴方が神か!!」
「悪魔です」
 被せるようにミラが訂正すると、高柳は舞台じみた仕草で両手を天に掲げてみせた。
魔王サタン万歳!!」
 ひょうげた風に叫んでいるが、その台詞は洒落にならない。鷹揚に頷いているミラを見て、陽一は口もとをひくつかせた。
「いい心がけですよ、高柳翔。悪魔崇拝に必要なのは欲望です。神は人間の欲望を叶えたりしませんからね」
「ハハッ、魔王様キャラたってんねー! なんか台詞がそれっポイ」
 無邪気に笑う高柳を見て、ははは……と、陽一は苦笑い。
「良かったら遠藤君のギターも聞いてみたいな。今度、部室に遊びにきてよ」
 高柳の言葉に、陽一は迷いながらも、この話に魅力を感じていた。元々ギターは好きだし、文化祭でバンド演奏することにも憧れる。これぞ青春って感じだ。
「部室で練習しているんですか?」
 おずおず陽一が訊ねると、高柳はにこっとほほえんだ。
「そうだよ。元々部員少なかったけど、最近さらに減っちゃって貸し切り状態だから、ははは……」
 自嘲気味な笑みに、陽一は内心で頸をひねった。高柳の周囲に黒い靄が漂っている。これは何だ? 疑問に思うが、正体を見極める前に高柳が続けた。
「今度、部室に遊びにきてよ。連絡先交換しよ」
「はい。あの、木曜日にいってもいいですか? 陸上部休みなんで」
 アカウントを交換しながら、陽一はおずおずと申しでた。
「もちろん!」
 ぱっと高柳の顔が喜びに輝く。彼は、晴れやかな顔で続けた。
「ふたりを誘って良かった。気が楽になったよ。なんか躰まで軽くなった気がする」
 そのとき、彼の輪郭が淡く光り、周囲の黒い靄が焦げついた。大半は消え失せたが、一部は逃げるように飛び散り、近くにいた生徒にとり憑いた・・・・・
 陽一はぎょっとしたが、高柳も、取り憑かれた生徒もまるで気がついていない様子だった。
「それじゃ、また!」
 高柳はにこやかにいうと、茂木と共に教室をでていった。
 ふたりがでていった扉を凝視していた陽一は、ややして、恐る恐るといった風にミラを見た。
「……さっきの見た? 黒い……何あれ?」
 不気味な靄はもう見えない。
 教室には陽が射して光が満ちていながら、どうしてか薄闇が張りつめているような……得体の知れないものに触れてしまったような感覚が、惻々そくそくと身に沁みてくる。
「いわゆる邪気ですよ。彼は引きつけ体質なのでしょう。彼自身は生来の陽気で跳ね返せますが、周囲にいる人間が少なからず被害を蒙っているようです」
 ミラは、明日の天気は曇りらしいとでもいうような、あっさりとした口調で、陽一の意表を突くようなことをいった。
「邪気? 悪霊ってこと?」
「ええ。高柳はなかなか面白い人間ですね。色々なものを引き寄せ、振りまきながら、本人はまるで気がついていない」
 そういってミラは、ふっと妙に冷たい笑いを見せた。その歪めた口角を掠めた影は悪魔めいていて、思わず陽一の背筋を悚然しょうぜんと撫でたほど迫力があった。
「先輩にちょっかいだすなよ」
 真顔で陽一が釘をさすと、ミラはきょとんとした顔つきになり、それから菫色の瞳を和ませた。誰もが憧憬してやまない美しく静かな瞳を。
 うっかり見惚れている間に、彼は陽一の肩を抱き寄せ、耳にくちびるをつけて囁いた。
「嫉妬しなくても、僕は陽一ひとすじですよ」
 吐息が耳に触れて、陽一は真っ赤になる。今度は別の意味で背筋をぞくぞくとしたものが這いあがり、照れ隠しにミラを突き飛ばした。
「嫉妬じゃねーよ」