HALEGAIA
3章:悪魔たちの
陽一はジュピターと共に、見知らぬ街におりた。熱風が鼻腔と肺を侵し、むせそうになる。薄目で辺りを見回し、陽一は愕然となった。
赤い煉獄が都を席巻していた。
暗雲立ちこめる瀟洒と思わしき街は、空爆にでも遭ったのかと思う崩壊ぶりで、至るところで黒煙がたち昇っている。
生暖かい、不快極まる雑多な匂い。硫黄と燃焼の臭気、血と臓物の饐 えた匂い。産業革命期の西欧を思わせる街並みに、陽一は蒼褪めた。
「ここはどこ? まさか、地球じゃないよね!?」
ジュピターは陽一の手を引いて、瓦礫の影に身をひそめた。
「地球ではありません。資源を枯渇させてしまった、悪しき旧世界です」
ジュピターは思わしげに曇天を見つめて、次に陽一を見た。
「ここで待っておいでなさい。天界 から迎えがやってくるでしょう……動いてはいけませんよ」
最後に念を押すように告げると、ジュピターは背を向けた。翡翠の双翼が神々しく拡がる。敬虔なる気後れから、陽一は声をかけるのが躊躇われた。
「待って!」
慌てて声を発した時には、天使は煌めく燐光を残して、高く舞いあがっていた。
取り残された陽一は、辺りを見回し、恐怖にすくみあがった。
魔族降臨。魔界 と現実世界の結界が消え失せ、邪悪なる超自然の力が、完全に地上を支配している。
奈落の深淵から、夥 しい数の地味魍魎の群れがやってきて、欣喜雀躍 しながら人間を蹂躙している真っ最中だ。
ここは、まさか、先ほど水晶に映しだされていた世界なのか?
そう考えた途端に、陽一の呼吸は止まりかけた。心臓は烈火の如く暴れ、熱波にも関わらず手足が冷たい。
辺りを見回すほどに、恐ろしい閃きは、確信に変わってゆく。ここは滅びゆく世界だ。ミラが滅ぼそうとしている、三千世界の一つだ。
嗚呼、なんて光景だろう。
死よりも恐ろしい拷問――殴り、焼き、切り裂き、殺 り、姦 り、都邑 に、血の驟雨 を降らせている。落日の陽を受けて紅玉色に照り映え、死々累々の道々に落ちる。
往来は屠畜場と化し、肉片や五体の各部が散乱している。手や足、頭、臓物といった肉片、そのほかあらゆる人間の残骸だ。
不快極まる、吐き気をもよおす匂いが立ちこめている。
牛や豚を焼くと旨そうな匂いがするのに、なぜ、人の焼ける匂いはこうも不快なのだろう? 糞尿の溜まった臓物が一緒に焼けるからだろうか?
これが地獄か。
苦悶と、気が狂ったような怯えのこもる叫び声。苦痛の悲鳴!
呵々嬉々 。身の毛もよだつ笑い声!
焔が舞い狂い、街路樹や建物の焼け折れる音は、さながら号哭 。
残虐極まりない地獄絵図に、陽一の思考は早くも麻痺し始めていた――そんな莫迦 な――こんなことが、現実であるはずがない――落ち着けと自分にいい聞かせるが、大した効果はない。
もはや逃げようという気力もなく、壁を背に尻もちをつき、血濡れた刃で人が頭頂からかち割られる様を、どこか遠い世界の出来事のように眺めていた。
全き暗黒の狂気に飲みこまれそうになりながら、ふと脳裡に思い浮かんだ名前に、陽一はぐしゃりと顔を歪めた。
(ミラ――……)
この期に及んで、まだ彼に救済と庇護を求めてしまったことに、死にたくなるほどの絶望を覚えた。
今、かろうじて正気を保っているのは、意志の苦闘意外のなにものでもないが、そろそろ限界だ。信じていた全てが崩れ去り、安寧はほど遠く、どこにも休まる場所がない。
(お母さん……)
小さな子供のように母親を求め、苦しいほどの哀切の念に襲われた。
いっそ狂ってしまえれば、楽になれるのかもしれない。或いは、優しい安楽死が赦されるのならば――神々が憐みを賜らんことを!
その時、目の前で少女が転んだ。醜悪な悪鬼が迫り、少女の両足を掴んで持ちあげた。妹の理沙と同じくらいの少女が、酷い目にあおうとしている――考えるよりも先に、躰が動いていた。
「よせッ!!」
力いっぱい体当たりをしても悪鬼はびくともしなかったが、少女から手を離し、陽一を睨みつけた。
「グォッ、グォッ!」
濁音を発しながら、今度は陽一に手を伸ばす。陽一は身を屈めて避けながら、尻もちをついてる少女に向かって叫んだ。
「逃げろ! 早く!」
少女は、はっと目を瞠り、慌てて身を起こした。しかし、逃げるのを躊躇っているので、陽一はさらに叫んだ。
「いいから逃げろ!」
少女は背を向けて、転げるようにして駆けていった。悪鬼は逃げていく少女には目もくれず、陽一を見ている。
「ちきしょう」
陽一は背を向けて走り抜けようとしたが、襟首を掴まれ、足が浮きあがった。凄まじい衝撃が頸椎に走り、そのまま背中から地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
あまりの衝撃に、視界に白い星が散った。全身の骨が砕けたように痛くて、苦しくて、息ができない。
意識が遠のきながら、皮膚が燃えあがったように感じられた。
死に直面した際の走馬燈なのか、父、母、妹……家族の顔が、思い浮かび、心のなかに小さな火を灯す。幾つもの追想が、陽一の願いを押した。
(一目でいい、皆に会いたい……)
視界が真っ白になった時に、賛美歌めいた柔らかな光が射した。
神秘と宇宙的驚異の霊気が満ちる――天界 の神門が開き始めたのだ。
赤い煉獄が都を席巻していた。
暗雲立ちこめる瀟洒と思わしき街は、空爆にでも遭ったのかと思う崩壊ぶりで、至るところで黒煙がたち昇っている。
生暖かい、不快極まる雑多な匂い。硫黄と燃焼の臭気、血と臓物の
「ここはどこ? まさか、地球じゃないよね!?」
ジュピターは陽一の手を引いて、瓦礫の影に身をひそめた。
「地球ではありません。資源を枯渇させてしまった、悪しき旧世界です」
ジュピターは思わしげに曇天を見つめて、次に陽一を見た。
「ここで待っておいでなさい。
最後に念を押すように告げると、ジュピターは背を向けた。翡翠の双翼が神々しく拡がる。敬虔なる気後れから、陽一は声をかけるのが躊躇われた。
「待って!」
慌てて声を発した時には、天使は煌めく燐光を残して、高く舞いあがっていた。
取り残された陽一は、辺りを見回し、恐怖にすくみあがった。
魔族降臨。
奈落の深淵から、
ここは、まさか、先ほど水晶に映しだされていた世界なのか?
そう考えた途端に、陽一の呼吸は止まりかけた。心臓は烈火の如く暴れ、熱波にも関わらず手足が冷たい。
辺りを見回すほどに、恐ろしい閃きは、確信に変わってゆく。ここは滅びゆく世界だ。ミラが滅ぼそうとしている、三千世界の一つだ。
嗚呼、なんて光景だろう。
死よりも恐ろしい拷問――殴り、焼き、切り裂き、
往来は屠畜場と化し、肉片や五体の各部が散乱している。手や足、頭、臓物といった肉片、そのほかあらゆる人間の残骸だ。
不快極まる、吐き気をもよおす匂いが立ちこめている。
牛や豚を焼くと旨そうな匂いがするのに、なぜ、人の焼ける匂いはこうも不快なのだろう? 糞尿の溜まった臓物が一緒に焼けるからだろうか?
これが地獄か。
苦悶と、気が狂ったような怯えのこもる叫び声。苦痛の悲鳴!
焔が舞い狂い、街路樹や建物の焼け折れる音は、さながら
残虐極まりない地獄絵図に、陽一の思考は早くも麻痺し始めていた――そんな
もはや逃げようという気力もなく、壁を背に尻もちをつき、血濡れた刃で人が頭頂からかち割られる様を、どこか遠い世界の出来事のように眺めていた。
全き暗黒の狂気に飲みこまれそうになりながら、ふと脳裡に思い浮かんだ名前に、陽一はぐしゃりと顔を歪めた。
(ミラ――……)
この期に及んで、まだ彼に救済と庇護を求めてしまったことに、死にたくなるほどの絶望を覚えた。
今、かろうじて正気を保っているのは、意志の苦闘意外のなにものでもないが、そろそろ限界だ。信じていた全てが崩れ去り、安寧はほど遠く、どこにも休まる場所がない。
(お母さん……)
小さな子供のように母親を求め、苦しいほどの哀切の念に襲われた。
いっそ狂ってしまえれば、楽になれるのかもしれない。或いは、優しい安楽死が赦されるのならば――神々が憐みを賜らんことを!
その時、目の前で少女が転んだ。醜悪な悪鬼が迫り、少女の両足を掴んで持ちあげた。妹の理沙と同じくらいの少女が、酷い目にあおうとしている――考えるよりも先に、躰が動いていた。
「よせッ!!」
力いっぱい体当たりをしても悪鬼はびくともしなかったが、少女から手を離し、陽一を睨みつけた。
「グォッ、グォッ!」
濁音を発しながら、今度は陽一に手を伸ばす。陽一は身を屈めて避けながら、尻もちをついてる少女に向かって叫んだ。
「逃げろ! 早く!」
少女は、はっと目を瞠り、慌てて身を起こした。しかし、逃げるのを躊躇っているので、陽一はさらに叫んだ。
「いいから逃げろ!」
少女は背を向けて、転げるようにして駆けていった。悪鬼は逃げていく少女には目もくれず、陽一を見ている。
「ちきしょう」
陽一は背を向けて走り抜けようとしたが、襟首を掴まれ、足が浮きあがった。凄まじい衝撃が頸椎に走り、そのまま背中から地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
あまりの衝撃に、視界に白い星が散った。全身の骨が砕けたように痛くて、苦しくて、息ができない。
意識が遠のきながら、皮膚が燃えあがったように感じられた。
死に直面した際の走馬燈なのか、父、母、妹……家族の顔が、思い浮かび、心のなかに小さな火を灯す。幾つもの追想が、陽一の願いを押した。
(一目でいい、皆に会いたい……)
視界が真っ白になった時に、賛美歌めいた柔らかな光が射した。
神秘と宇宙的驚異の霊気が満ちる――