HALEGAIA
3章:悪魔たちの
下界は混沌と恐怖、黙示録的な大混乱のただなかにあった。
ミラの率いる悪魔軍団が人間界を燔祭 の焔で焼き尽くし、放埓 なる饗宴を繰り拡げているのだ。
捉えた者を慮辱し、殺し、吊るし、焼き、児戯のように弄び、全き恐怖の断崖へ突き落としている。
怒号に叫喚。
悪魔の恍惚。
絶望の死の舞踏 。
幾条 もの炎柱が地上から天へと伸びあがる空の相 は凄まじく、真に混沌極まる光景だが、新世界誕生の摂理である。
人間たちには杳 として知れない、百千万と繰り返してきた破壊と創造の過程に、魔族たちは飽きもせず夢中になっている。
その様子を、ミラは無聊 なままに眺めていた。
蹂躙されていく群衆よりも、楽園 の様子が、陽一のことが気になる。
鳥籠に捕らわれている脆弱な人間のことが、乱痴気な魔宴よりも気になるというのは、奇妙なことである。
恐らく、彼が魔界の裡 に囚われていることが大きいのだろうが、こうして人間を蹂躙している最中も、陽一のことを考えているのだから不思議だ。
思えば、初めて見た時から、懐かしさのような、奇妙に落ち着かない気分にとり憑かれていた。
人間に刻印 を与えるなど、今までなら考えられなかったことだ。
それなのに陽一に対しては、名前を呼ばれるたびに与えている。
否、呼ばれなくとも会うたびに、刻印 の有無に関係なく、何度あの唇に口づけたことだろう?
そもそも自分はなぜ、何をするでもなく、ただ会話をするために、時にはちょっと寝顔を見るためだけに、陽一の鳥籠を覗いているのだろう?
魔界の君主が人間のご機嫌伺いなど――配下が訝しむのも無理はない。ミラ自身も意味不明だ。
もしかしたら陽一は、実は人間ではなく、なにか全く別の、新種の生き物なのかもしれない。
……か、どうかはさておき、見ていて飽きないことは確かだ。“お願い”をされると悪い気はしなくて、解放以外の望みなら、なんでも即時に叶えてやった。
鳥籠の居心地を整え、食事を与え、娯楽を与え……陽一の、喜ぶ顔が見たくて。
対価にほんの少し血や精も頂戴しているが、彼の命を脅かすほどには奪っていない。大切に飼っている。
今のところ陽一は、ミラにとって最優先事項だ。
さて、そろそろ呼ばれる頃合いだが、陽一は何をしているのだろう?
(焦らされているのかな?)
彼は、しばしば空腹をぎりぎりまで我慢しようとする。今回も無駄な抵抗をしているのかもしれない。
そう思うと、愉快な気分がこみあげてきた。嫌そうな顔で渋々、ミラの名前を呼ぶ陽一の姿が目に浮かぶ。
彼のことを考えていると、異変の余波が、空間を超えてミラの意識に割りこんできた。
陽一の鳥籠の扉が開いている?
なぜ――訝しんだのも束の間、扉の周辺にきらきらと漂う翡翠の燐火 を見て、おおよその想像はついた。
(ジュピターめ……)
流離 う聖幽界 の因子であろうとも、ミラの支配領域、魔界 には干渉しない――宇宙の不文律を冒すとは!
全く懲りない……つい最近も、四肢を砕いて劫火で炙り続けるお仕置きをしたばかりだというのに。
いっそ天晴である。
彼ら のミラに対する恋着は、ミラが思うよりも深いのかもしれない。
(ビショップも災難ですね)
ミラは対岸の火事を眺める気分で笑む。
聖霊同士は感覚を共有しているが、なかでも対の聖霊はとりわけ鮮明にとらえる。対の聖霊というのは、三千世界ごとに存在する、開門と封印を担う二人一組の聖霊のことだ。
彼等は、喜びも、痛みも、苦しみも共有する。片方が死ねば、喪失感に見舞われる。
超俗理性的なビショップは、大体いつもジュピターのことで気を揉んでいる。相方を制 めるのも彼なのだが、今回は間に合わなかったらしい。
さて――
陽一は、舌の刻印 を使おうとせず、森を探索しているようだ。無謀にもほどがあるが、魔界 をでていけると本気で思っているのだろうか?
ミラは美しい顔に官能的な微笑をたたえ、下界の猛炎を眺めおろした。
大いなる終曲が聴こえる。
愉悦に煌めく瞳は、炎に飲みこまれていく街を眺めているようで、魔界 の様子を、陽一を見ていた。
吸血樹 の百枝を冠する茂みは抜けたようだが、一難去ってまた一難。
ダラードの群れに囲まれた陽一は、真剣な顔で、手に持った枝を構えて、威嚇している。
「ふふっ」
あまりにもほほえましくて、思わず微笑が漏れた。
一介の人間が枝を武器にダラードに勝てるはずもないのだが……助けにいってやろうか?
陽一の肌は汗ばみ、皮膚のしたの熱い血潮が香ってくるようだ。窮地を救ってやる対価に、血を頂くのも悪くない。
そう考えた時、陽一は足首に噛みつかれて呻いた。
ミラは、よっぽどその場に踏み入ろうかと思ったが、刻印 を使おうとしない陽一の気概を買い、影ながら手助けをしてやることにした。
陽一の手に持つ枝に不可視の威を与え、ダラードに致命傷を負わせると、忽 ちダラードは頭 を垂れてあとずさりをし、昏い茂みのなかへ消えた。
陽一は訝しげな様子でいたが、間もなく背後を気にしつつ、歩き始めた。
さぁ、次はどうする?
ミラは余興を眺める気持ちで、陽一の冒険を見守ることにした。
ミラの率いる悪魔軍団が人間界を
捉えた者を慮辱し、殺し、吊るし、焼き、児戯のように弄び、全き恐怖の断崖へ突き落としている。
怒号に叫喚。
悪魔の恍惚。
絶望の
人間たちには
その様子を、ミラは
蹂躙されていく群衆よりも、
鳥籠に捕らわれている脆弱な人間のことが、乱痴気な魔宴よりも気になるというのは、奇妙なことである。
恐らく、彼が魔界の
思えば、初めて見た時から、懐かしさのような、奇妙に落ち着かない気分にとり憑かれていた。
人間に
それなのに陽一に対しては、名前を呼ばれるたびに与えている。
否、呼ばれなくとも会うたびに、
そもそも自分はなぜ、何をするでもなく、ただ会話をするために、時にはちょっと寝顔を見るためだけに、陽一の鳥籠を覗いているのだろう?
魔界の君主が人間のご機嫌伺いなど――配下が訝しむのも無理はない。ミラ自身も意味不明だ。
もしかしたら陽一は、実は人間ではなく、なにか全く別の、新種の生き物なのかもしれない。
……か、どうかはさておき、見ていて飽きないことは確かだ。“お願い”をされると悪い気はしなくて、解放以外の望みなら、なんでも即時に叶えてやった。
鳥籠の居心地を整え、食事を与え、娯楽を与え……陽一の、喜ぶ顔が見たくて。
対価にほんの少し血や精も頂戴しているが、彼の命を脅かすほどには奪っていない。大切に飼っている。
今のところ陽一は、ミラにとって最優先事項だ。
さて、そろそろ呼ばれる頃合いだが、陽一は何をしているのだろう?
(焦らされているのかな?)
彼は、しばしば空腹をぎりぎりまで我慢しようとする。今回も無駄な抵抗をしているのかもしれない。
そう思うと、愉快な気分がこみあげてきた。嫌そうな顔で渋々、ミラの名前を呼ぶ陽一の姿が目に浮かぶ。
彼のことを考えていると、異変の余波が、空間を超えてミラの意識に割りこんできた。
陽一の鳥籠の扉が開いている?
なぜ――訝しんだのも束の間、扉の周辺にきらきらと漂う翡翠の
(ジュピターめ……)
全く懲りない……つい最近も、四肢を砕いて劫火で炙り続けるお仕置きをしたばかりだというのに。
いっそ天晴である。
彼
(ビショップも災難ですね)
ミラは対岸の火事を眺める気分で笑む。
聖霊同士は感覚を共有しているが、なかでも対の聖霊はとりわけ鮮明にとらえる。対の聖霊というのは、三千世界ごとに存在する、開門と封印を担う二人一組の聖霊のことだ。
彼等は、喜びも、痛みも、苦しみも共有する。片方が死ねば、喪失感に見舞われる。
超俗理性的なビショップは、大体いつもジュピターのことで気を揉んでいる。相方を
さて――
陽一は、舌の
ミラは美しい顔に官能的な微笑をたたえ、下界の猛炎を眺めおろした。
大いなる終曲が聴こえる。
愉悦に煌めく瞳は、炎に飲みこまれていく街を眺めているようで、
吸血
ダラードの群れに囲まれた陽一は、真剣な顔で、手に持った枝を構えて、威嚇している。
「ふふっ」
あまりにもほほえましくて、思わず微笑が漏れた。
一介の人間が枝を武器にダラードに勝てるはずもないのだが……助けにいってやろうか?
陽一の肌は汗ばみ、皮膚のしたの熱い血潮が香ってくるようだ。窮地を救ってやる対価に、血を頂くのも悪くない。
そう考えた時、陽一は足首に噛みつかれて呻いた。
ミラは、よっぽどその場に踏み入ろうかと思ったが、
陽一の手に持つ枝に不可視の威を与え、ダラードに致命傷を負わせると、
陽一は訝しげな様子でいたが、間もなく背後を気にしつつ、歩き始めた。
さぁ、次はどうする?
ミラは余興を眺める気持ちで、陽一の冒険を見守ることにした。