HALEGAIA

1章:鳥籠 - 8 -

 この時初めて、陽一ははっきりとミラに恐れを抱いた。児戯のように人を拉致監禁しておいて、罪悪感を抱かず、楽しそうに笑っているのだ。人間を飼育? 完全にイカれている。
「……天使だと思ったのに」
 項垂れる陽一を見て、ミラは、慈悲深く美しい微笑を浮かべた。
「人間にしてみれば僕は、黙示録的な天災も同然なのでしょうね。どの世界でも、闇の精霊、邪神、混沌の領主、破壊神、魔王、魔王サテン魔王デーモン・スルターン……そんな風に呼ばれますから」
「魔王……? 魔王って、あの魔王?」
「ええ、陽一の想像の通りだと思いますよ」
「……俺の想像だと、魔王といえば悪の権化で、人間の敵で、角が生えていたり、翼があったりするんだけど」
 ミラは感心した様子で頷いた。
「その通りですよ。普段は悪魔たちの長として、魔界ヘイルガイアを治めていますが、神に依頼されれば、人間世界に繰りだして、彼等を弄び、堕落させ、破壊するのが仕事です」
 あんまりな説明に、陽一はめんくらった。
「そんなことが、仕事なの?」
「神は自ら創ったものを傷つけられないので、そうしたいと思った時には、結界を解いて悪魔を呼びこむのです。悪魔は人間を好き勝手にできますからね。ところが悪魔は結界を解けないので、悪魔と天使は、協力関係にあるのです」
 ミラはかなり噛み砕いて説明したが、陽一の混乱はさらに深まった。
「そんな……神さまが、人間を傷つけたいと思うことなんてあるんですか?」
 奇妙な話である。天使と悪魔に協力関係? 不倶戴天ふぐたいてんの敵ではなく?
「感情論ではなく、天使と悪魔の金科玉条きんかぎょくじょうです。慈愛の天使を遣わすこともありますが、一から世界を作り直すために、悪魔を送りこむことも多々ありますよ。創造と破壊は、延長線上の事象ですから」
 と、苦笑とも冷笑ともつかぬ笑みをミラは返した。
「だからって、壊さなくてもいいんじゃ……そのままにしておけば」
「神の采配ですから、僕にはなんとも。ただ、猶予を与えることもありますよ。大抵は無意味ですが。どの人間世界も、辿る結末は同じです」
「結末って?」
 ミラの視線が陽一を射た。
「手に負えない戦争を幾つも始めて、内部から疲弊し朽ちていく……神々の黄昏ラグナロクの始まりです」
「えー……なんか納得いかない……それは、神さまが自分勝手じゃない? 自然の流れに任せてはだめなの?」
 確かに、とミラは笑った。
「だけど自然の流れですよ。三千世界の摂理ですから」
 長く、深いため息を吐いて、陽一は脱力したように椅子の背もたれに躰を預けた。
「だめだ……全然判らない。俺はもう、狂っているのかもしれない」
「正常なようですよ」
 神秘的な菫色の瞳を見て、陽一は乾いた笑みを浮かべた。
「だって、この鳥籠浮いてるし。神様、魔法に魔王って、映画やゲームみたい……現実と思えない」
 ミラのいったことが本当なら、彼は陽一を監禁している張本人で、人間に対して大量殺戮を犯す集団の頂点に君臨している、危険極まりない魔王ということになる。目の前で寛いだ様子で紅茶を飲んでいる絶世の美少年が、魔王。わけが判らない。
「まぁ、陽一が混乱するのも無理はありませんね。人間が魔界ヘイルガイアにくるなんて、僕も初めてで、結構驚いています」
 どこか楽しげにいうミラを、陽一はじっと見つめた。
「……ミラさんは、魔王なのに、どうして俺を助けてくれたの?」
「さぁ、自分でもよく判りません。気が向いたとしか」
 その声はやはり明るい。陽一には、彼の興奮や無邪気な様子が、まるで理解できなかった。
「心配しなくても、きちんと飼育しますよ」
 意味深長にほほえむ悪魔を、陽一は胡乱げな目で見つめ返した。
「……嫌だよ、そんなの。家に帰してくれよ」
「だけど、人間界にいるより、ここにいた方が幸せかもしれませんよ?」
「はぁ? そんなわけないだろ。わけのわからない世界に拉致されて、檻に入れられて、拷問でしょ」
「拷問?」
 ミラの蔑笑に近い薄笑いを見て、陽一はいささかむっとして眉をひそめた。
「何? 不衛生な檻に監禁されて、食料もなくて、怪物の気まぐれで嬲られるんだぞ。拷問だろ」
 ミラは肩をすくめた。
「鳥籠に隔離しているのは、保護のためです。共存可能な種は、放し飼いにしていますよ」
「俺が鳥籠に入っているのは、他の生き物に殺されないためとでもいいたいの?」
 詭弁だと思いながら、陽一は挑むように訊ねた。
「そうですよ。他にも、危険生命体も鳥籠に隔離しています。極めて凶暴な悪霊や、致死率百パーセントの感染病原菌を持つ蠅などをね」
 おいおい、と陽一は胡乱げにミラを見た。
「なんでそんなもの飼おうと思ったんだよ」
「面白いと思って」
 ミラは、悪戯っぽい笑みを浮かべていった。
「おい」
 陽一は凄みを利かせた声をだした。さらに続ける。
「そんな理由なのかよ。ここにいる生きもの全部、お前を楽しませるために捕まえられたのかよ」
 なじられても、ミラは平気なようだった。それどころか笑いを洩らした。
「ええ、そうですよ。陽一にとっては腹立たしいのでしょうね。ただ、鳥籠に入れたくらいで拷問呼ばわりは、いくらなんでも戯言です。死にたくなるほどの拷問が、どんなものか知らないくせに――」
 せせら笑うミラを見て、陽一はカッとなった。
「ふざけんなよ!」
 荒げた怒声に、氷柱つららが落ちるようにミラの言葉がぽきりと折れた。陽一の激情は一瞬冷え、すぐにまた沸騰し、唾まじりの罵詈雑言となって迸った。
「全部、お前のせいじゃねぇか! 責任とれよッ!」
 けれどもミラは、余裕の笑みを浮かべて、怒鳴りちらす陽一を、ただ眺めているだけだった。
「何笑ってンだよッ! 責任とれっていってンだよ!」
 したから睨みつけるようにして陽一は吠えた。彼に世話を焼かれ、食事や服を与えられて感謝感激していた一寸前の自分を思うと、滑稽でたまらなかった。抑えようのない、憤怒の念がこみあげてくる。
「なんとかいえよッ!」
 それでもミラが薄笑いを浮かべているので、酷く狂暴な感情が芽生え、思わず拳を硬く握りしめた。
 殴りかかりそうな勢いを見せても、ミラは、全く動じなかった。彼は慌てるどころか、どこに隠し持っていたのか、朱い房飾のついた陶製の煙管きせるを優雅にもち、指先で火をつけてみせた。
 陽一は呆気にとられ、紫煙をくゆらせる男を凝視した。正気を疑ったが、恬然てんぜんとした態度を見ているうちに、頭は冷えていった。
 しまいには諦めの境地で腰をおろし、ぐったりと椅子の背もたれに沈みこんだ。