FAの世界

3章:大水晶環壁 - 4 -

 先発隊は水晶の拱門を抜けると、坂をのぼり灌漑用の溝を超えて、実に敏捷な動きで、颶風ぐふうのごとく疾駆した。
 悪意に満ちた咆哮が森に響き渡る。夜闇でも、水晶の稜線りょうせんは碧白い燐光を放ち、その一角は焔が舞いあがっているのが見てとれた。
 災厄のしるしだ。
 不吉な危惧は、大水晶環壁かんぺきの真下にたどりついたとき、確信に変わった。
 ソードは覆面から覗かせた荒々しい目を光らせる。幾千年水晶郷を守ってきた壁に亀裂が走り、空洞が生じている。
 金剛よりもなお強い大水晶環壁かんぺきを傷つけずにはおかぬ、暗黒の意思を感じる。これを放置すれば、きずは少しずつ広がり、やがて粉砕にいたらしめるだろう。
 いまもそこから不気味な黄金の闇が、心霊の放射が可視化している。
 空気が一段重くなる。くる・・。身構えた一刹那いちせつな、焔を凝らせたような黄金は巨大な燃える鳥の姿に変わった。
「くるぞ」
 今度こそソードは警句を発した。
 全身を異妖な光で煌めかせ、その光輝がソードの目をくらませた。彼は目を閉じて霊気に集中すると、光り輝く死の鳥が、流星のごとく襲ってくるのを感じ取った。
 猛虎のごとく身のこなしで死の一撃をかわすと、両手に黒水晶の鍵爪を構えた。
 旋回した死の鳥は高く舞いあがり、大きな焔の翼ではためいた。火の粉が針葉樹に降り注ぎ、たちまちごうっと燃え盛る。
 ソードたちはすぐに水晶波で森を覆った。焔は鎮火して、白い煙を漂わせる。
 死角から飛来する焔鳥の一撃を、今度もソードはかわした。さらに挟撃されると、宙に逃げながら黒い水晶の爪でその躰を引き裂いた。
 ゴゥッ! 怒りを顕すかのように、妖魔の焔がいやました。
 不定形の焔に見えても、燃料は貴金族の手でつくられた合金である。水晶の爪は金剛よりも強く、あらゆる物質を切り裂くことができる。
 千年の仇敵を互いに捉え、闘いは激化する。
 侵入した敵を屠りならソードは、敵の出現地点――時空往還機を探そうとした。それは壁の向こうにあるに違いなかった。
「修復は私が」
 ユシュテルの言葉に、ソードは頷いた。
「頼む。俺は時空往還機を破壊する」
「僕もいきます!」
 最年少のジュラが進みでた。さらに数人が続き、ソードが目配せすると、彼らは躊躇なく空洞に飛びこんだ。
 敵の侵入がいったん止まり、残されたユシュテルらは修復を開始した。空洞の淵に手を押し当てると。命を吸い取られる錯覚がしたが、全身全霊を懸けて気を注ぎこんだ。
 少しずつ、少しずつ空洞は塞がっていくが、その代償に途方もない生命力が必要だった。
 キィン……冷たい結晶化の音に、ユシュテルは隣を見た。
 千年、苦楽を共にした仲間の胸の奥から、命の音が聴こえる。顔の半分は結晶化していた。
 かける言葉はなかった。全員が覚悟していたことだ。
 万感のこもった最後の視線が行き交う――悪辣なる侵犯に鉄槌を。我が水晶の君をお守りせよ。共に在れたことを感謝する。友よ、幸運を祈る。
 水晶核をのこして、ひとり、またひとりと消滅していく。
 塵埃じんあいのごとく水晶の煌めきが舞い散るなか、それでも遺された者は、大水晶環壁かんぺきに己が命を注ぎこむことをやめない。
 結界よ甦れ――ユシュテルも指先から水晶化が始まり、眼裏に危険信号が明滅していたが、やめることはしなかった。
 少しずつきずが修復されていくなか、ソードたちもまた、言葉もない死闘を繰り広げていた。
 並走するジュラの死角を狙う一撃を、水晶波で防いだ。凄まじい衝撃の音がして、朱金の火花と水晶の残滓ざんしが舞う。
 ジュラは視線で詫びるが、ソードは構わず、周囲の警戒を怠らなかった。
 ほんの数日前、千年ぶりの水晶嬰児えいじであるジュラは、潜在能力値から空席だった八職の一柱ひとはしらに任命された。
 水晶族は、揺籃ようらんの泉で受肉する際に太古の記憶を継承する。ジュラも闘いの歴史と現況を理解しているが、実戦経験ばかりは培わなければならない。
 見つけた――時空往還機は金の外郭に包まれていた。貴金族の操る特殊合金だ。
 破壊しようと味方が動けば、敵もそれに気づいて集中砲火をくわえようとする。燃え盛る炎はさながら悪魔の哄笑こうしょうだった。
 炎をかいくぐり破壊対象を取り囲んだとき、敵の精神波が侵犯してきた。
<無駄だ。宇宙の庇護があろうと、余は必ず座標を導きだす。焼き尽くされたくなければ、中枢水晶を差しだせ>
 千年の執着を帯びた声は、かつてキャメロン王に肉薄した貴金族の長だ。邪悪な精神攻撃に、年若い八職はちしきの手が止まる。いともたやすい精神感応に、敵が嘲笑を浴びせかける。
「ジュラ!」
 ソードは叫んだ。
 無防備になったジュラを妖魔が挟撃する――三体をソードは薙ぎ払い、すり抜けた残り一体は、味方が己の身を挺して切り伏せた。
 水晶核が砕け散る。敵は悪辣な歓喜の炎を燃えあがらせ、あぁッ、ジュラは悲痛な声をあげた。心の平衡を完全に乱されている。
「破壊しろ!」
 ジュラは溢るる涙を押しぬぐい、微細な水晶のきらめきを浴びながら、再び合金を砕こうと力をこめる。味方も命を賭してジュラを守ろうとする。幾重にも守られた特殊合金を貫くには、高密度の水晶波しかない。それを為せる者は、年若いジュラをおいてほかにいなかった。
「持ちこたえよ!」
 ソードはげきを飛ばす。
 灼熱の炎刀乱舞が容赦なく襲いかかる。仲間の水晶核が砕ける響きに、悲しんでいる暇はない。すべきことはただひとつ――時空往還機を破壊する。たとえ我が身が砕け散ろうとも、それだけは為さなければならない。
「壊しましたッ」
 ジュラが叫んだ。
 即座にソードたちは引き返そうとしたが、背後に敵が回りこんだ。自陣への退路を断たれ、じわりじわりと炎の壁が差し迫る。
 危険な炎の坩堝と化した一刹那いちせつな、ソードは瞬間的霊力解放を試みた。敵から距離をとるのではなく、光を超えて間合いを詰める。炎に触れた皮膚が焼けるのも構わず、鍵爪で引き裂いた。
 水晶と光の一閃に、妖魔の群は反撃の間もなく消し飛んだ。炎の断末魔、最後の炎の煌めきがぱっと辺りに散った。
 ――“道”がうまれた。
 ソードの切り拓いた活路に味方は身をすべらせた。空洞は既に塞がっていたので、殆ど直角に大水晶環壁かんぺきを駆けあがり、頂を越えたとき、きらめく水晶光線が天にった。
 薄青い、神聖なる死の業火に直撃した焔鳥が、次々に墜落していく。
 早暁そうぎょうの薄明を背景に、焔鳥は螺旋を描いて舞いあがった。水晶壁の亀裂を探そうとするが、侵入叶わず、耳をつんざく咆哮をあげている。
 自陣に降りたつと同時にくずおれたソードを、ユシュテルとジュラが左右から支えた。
「ソード、しっかりしてください」
 蒼褪めた顔でユシュテルがいった。
 覆面から覗くソードの両目は、既に水晶化していた。金剛よりなお硬い黒い鍵爪は欠けて、焔に焼かれた腕も黒く結晶化している。
「壁は」
 ソードは模糊もことした視界で、大水晶環壁かんぺきの具合を確かめようとした。
「急場は凌ぎました。貴方の負担が一番大きい、く泉殿に戻りましょう」
 ユシュテルの言葉に、ソードも頷いた。気力の限界だった。
 聖寵せいちょうの泉に引き返す味方の数は、半分に減っていた。八職はちしきもふたり死んだ。
 満身創痍で闇を疾駆しながら、誰もが暗澹とした緊張感に浸されていた。があることを理解していたのだ。
 絶滅の瀬戸際にある水晶族は宇宙に庇護されているが、敵は凄まじく強大で、光を超ゆるもの。宇宙の幾星霜を点に短縮できる。
 今回は斥候せっこうだった。次は主力の精鋭部隊が送られてくるだろう。貪欲熾烈な魔の手が、大水晶環壁かんぺきに迫ろうとしている。
 勇猛果敢にして不撓不屈の意思をもつ水晶族ではあるが、総力では劣る。ようやく泉殿の主を迎えたが、復興には時間がかかる。
 不吉な予感――否、確信である。
 水晶の継承という端境期はざかいきを狙って、これから空前絶後の侵害を受けることになるだろう。